333日の記念に、昨年と今年のきょう書いた文を記す。
生は常に外的信と内的信の分水嶺にある 哲学の路
2020年03月02日
内部の明晰さが、外部の騒音によって消されることのないようにしなければならない。外部の騒音を立てさせるのは、この世の創造主であることは、はっきりしている。この騒音を啓示化しないようにしなければならない。じぶんの内部を信じるのか、外部の暗示を信じるのか、自己はこの分水嶺に常に晒されている。「神」を内部において見いだす。
これが哲学の路である。哲学は常に一個人におけるその個かぎりのものである。
哲学は、他の影響からの内的独立である(ゆえに)。 どういう善意の者でも、不完全であるゆえに余計な言動をするものだから。
人生にも愛にも基準はない
2021年03月02日
人生には、どのように生きたらよいかという基準はない。そのように、愛には、どのように愛したらよいかという基準はない。各々の人生も愛も冒険であり、神聖なものなのである。
譲れぬのは、人生と愛は神聖なものであると思う根本態度であろうか。 主体的なものは神聖なものなのである。