makoto's daily handmades

お手伝い 12月9回目 剪定諸作業

この日も剪定諸作業。

太枝切りと剪定枝束ねをしていました。

午前10時過ぎに病院から、父危篤の知らせが来ました。

作業を中断して病院に駆けつけたところ、父は持ち直してくれました。

またもや血圧が低下したそうです。

昨日までは僅かながら意思表示の頷きはできたそうですが、なにも聞こえていないように反応がありません。

そう遠くないうちにお別れの時を迎える、そう思わされました。

私は11時過ぎに一旦実家に戻って祖母の昼食の用意、母が泊まり込むための準備をすることに。

午後から少し実家の農作業を手伝ってから、夕方両親のもとへ。

翌朝の朝食は私が作って届けるとして、その後、病院に駆けつけられるよう実家のお手伝いをするかもしれない、という段取りを決めておきました。

 

兄がポツリと「お父さんの棺には仕事道具は入れられないンだよね…紙で作れば、入れてやれるよね?」と。

 

おいおいおいおい、お父さんにあの世に行ってまで農作業させるのかよ…。

私の本心はそんな気持ちなのですが、父はドライブ好きのほかには農作業大好きだったンです。

軽く溜息は出たものの「ニイチャン、私は工作好きだから、お父さんの仕事道具を紙で作るから。それでいい?」と。

おもむろに父愛用の手ノコを撮影し始めたら、兄が「いやいや、そんなに本格的じゃあなくていいから…」と。

私が「私の手ノコと形が違うから、撮っただけ。作るのは任しておいて」と。

これでも博物館の展示パネル適度なら作ったことあるので、楽勝です。

要は段ボールでも厚紙でもいいので、ちょっと立体的に作ればいいンでしょう?

果実を張り子で作れと言われれば、それも作れるンですけれどね。

 

それと父に中心静脈栄養による延命措置をしたことについて、兄は「本当にやって良かったと思う」だなんて言い始めていましてね…。

私はまだ全然ダメなんです。

父の唯一の願いだった「延命措置はイヤだ」を叶えてやれなかったことへの贖罪を一生抱えて生きていくンだ、と思わずにはいられない私。

やはり兄とは相容れない関係なんだと深く心に刻みました。

父が頑張ってくれる限り、応援しています。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「労働」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事