この日も剪定諸作業。
太枝切りと剪定枝束ねをしていました。
午前10時過ぎに病院から、父危篤の知らせが来ました。
作業を中断して病院に駆けつけたところ、父は持ち直してくれました。
またもや血圧が低下したそうです。
昨日までは僅かながら意思表示の頷きはできたそうですが、なにも聞こえていないように反応がありません。
そう遠くないうちにお別れの時を迎える、そう思わされました。
私は11時過ぎに一旦実家に戻って祖母の昼食の用意、母が泊まり込むための準備をすることに。
午後から少し実家の農作業を手伝ってから、夕方両親のもとへ。
翌朝の朝食は私が作って届けるとして、その後、病院に駆けつけられるよう実家のお手伝いをするかもしれない、という段取りを決めておきました。
兄がポツリと「お父さんの棺には仕事道具は入れられないンだよね…紙で作れば、入れてやれるよね?」と。
おいおいおいおい、お父さんにあの世に行ってまで農作業させるのかよ…。
私の本心はそんな気持ちなのですが、父はドライブ好きのほかには農作業大好きだったンです。
軽く溜息は出たものの「ニイチャン、私は工作好きだから、お父さんの仕事道具を紙で作るから。それでいい?」と。
おもむろに父愛用の手ノコを撮影し始めたら、兄が「いやいや、そんなに本格的じゃあなくていいから…」と。
私が「私の手ノコと形が違うから、撮っただけ。作るのは任しておいて」と。
これでも博物館の展示パネル適度なら作ったことあるので、楽勝です。
要は段ボールでも厚紙でもいいので、ちょっと立体的に作ればいいンでしょう?
果実を張り子で作れと言われれば、それも作れるンですけれどね。
それと父に中心静脈栄養による延命措置をしたことについて、兄は「本当にやって良かったと思う」だなんて言い始めていましてね…。
私はまだ全然ダメなんです。
父の唯一の願いだった「延命措置はイヤだ」を叶えてやれなかったことへの贖罪を一生抱えて生きていくンだ、と思わずにはいられない私。
やはり兄とは相容れない関係なんだと深く心に刻みました。
父が頑張ってくれる限り、応援しています。
次回も楽しくお手伝いしたいです。