この日は、兄、母、T叔父、私の4人で防鳥網外しから。
いつもは1〜2枚の防鳥網を風が弱い早朝に外すのですが、この日は3枚外して終了。
それでも2時間半かかる作業です。
私は脚立運びと果樹園の端の除草作業です。
果樹園の端やポール、果樹の周辺はカート式の草刈り機は使えないので、穏やかな効き目の除草剤を使います。
だがしかし、腰高まで成長した雑草に使うには、ちょっと効くまでに時間がかかることと、脚立を立てるのに邪魔なんですよねぇ。
ゆえに手で引き抜く方が経済的でもあるわけです。
T叔父は防鳥網外しまでのお手伝いなので、午前9時半でご帰宅。
残る3人で新梢切り落としをしました。
今回は私が手動の太枝切りバサミを使いまして、時々岡恒の剪定バサミでチョキチョキ。
兄はマキタのバッテリー背負いタイプの電動剪定バサミ、母はバッテリー内蔵型の電動剪定バサミを使用。
この日は昼を挟んで午後3時までお手伝いしました。
で。
午後3時半から父の病院へ3人で出かけました。
私にとっては9月18日以来の面会日となりました。
兄が言うには、この日の父は転院以来3回目の面会で1番調子が悪いとのことでした。
だがしかし、私から見れば転院前より全然調子いいじゃあないか、と。
なによりも表情が穏やかというか明るいンです。
やっぱり今の病院に対する絶対的信頼感が、こんなにも安心感に繋がっているのか、と。
病院の技量とか、建物の古さとかじゃあないンだなぁ、と考えさせられ一面でもありました。
父にとってこの病院が、小学生の頃にできた結核療養所。
それが無医村に初めて医者がやってきた、以降村の診療所、やがて病院となったのだから絶対的信頼に繋がっているようです。
この安らかで穏やかな表情を見たら、次の転院先なんて言い出せないよなぁ。
面会制限はありますが、この状態なら父はもう少し生きていられるな、と。
兄が1日でも父に長く生きてほしいと願ったので中心静脈栄養で生命を維持しています。
私は抵抗感があったのですが、こんなにも父が回復するとはまったく予想できませんでした。
とはいえ、やって良かったのかどうか…それは今でも悩ましい気持ちがチラつきます。
今、父と会話もできていますし、これをアディショナルタイムのようにしか捉えられない自分もいます。