昨日は母の日。
いつも行くスーパーマーケットに行きましたが、今年も母の日のカーネーションの無料配布はしていなかったです。
経費削減なのかとは思いますが、私自身、子ども時代に経験したことが少しトラウマになっています。
幼なじみのHくん、Mくん兄弟は、お母さんが病気で入退院を繰り返していました。
兄弟のお母さんがお元気だったのは、私が小学1年くらいまでだったので、Hくんは小学2年、Mくんは幼稚園児くらい。
私が10歳くらいの時にお葬式がありました。
Hくんはちょっと危なっかしいところがあって、建築中の建物や他人の土地に勝手に入ったり、夜もなかなか帰らなかったり、そういった行動に弟を帯同させたり。
今思うと、お母さんは入院中で、会社員のお父さんが帰宅するまで兄弟2人だけで過ごさねばならなかったからだったのです。
私がHくん達と遊んでいたときに「もう5時過ぎたから帰る」と言うとちょっと残念そうな、寂しそうな顔をするのがいつも不思議でした。
私は家に帰れば、家族の誰かはいるし、夕食も用意されていることが普通のことでしたが、兄弟はそうではなかったことに気がつかなかったのです。
今朝、5月10日は東急玉川線が廃線前に記念電車を走行させた日との映像が流れていました。
私は玉川線は知らない世代で、記憶にあるのは新玉川線(今の東急田園都市線二子玉川駅~渋谷駅)だな、と。
前述の兄弟のお母さんが治療を受けていたのがこの沿線の病院で、私も何度かお母さんに会いに行く兄弟とそのお父さんに偶然会ったことがあります。
そのときの表情が今も忘れられなくて、嬉しいそうな兄弟とは別に、お父さんはちょっと厳しい表情でした。
あれ?Hくんのお父さん、こんなに怖い顔の人だったっけ?と。
私の実家の近くには今は閉店したけれど地元密着型のスーパーマーケットがあって、私が子どもの頃は、母の日に買い物をすると赤いカーネーションがいただけました。
ある年の母の日、兄弟がそのスーパーマーケットで買い物した帰りに偶然会ったことがあります。
Hくんがあの電車で見かけたお父さんと同じような厳しい表情で、弟のMくんが微妙な表情でした。
私が話しかけでも、あまり乗り気ではなさそうだったのでいつもと違って変だなぁって。
後から思えば、赤いカーネーションをお店で手渡されて困ったのだろうな、と。
兄弟のお母さんはお亡くなりになっていたので、当時は白いカーネーションを飾るということになっていたから。
私は母の日のカーネーションの色が赤、お母さんがいない人は白、という知識があってもそれがどれだけ残酷なことだと気がつくまで長い時間を要しました。
昨夜、プロ野球中継を見ていたら、母の日にちなんで選手や審判がピンク色のリストバンドなどを身につけていました。
あの時、ピンク色のカーネーションだったら、兄弟のあの気まずい気持ちや表情は、もっと和らいでいたンじゃあないか、と。
もうHくんもMくんも、交流はなくてどこに住んでいるかも知らないけれど、母の日のカーネーション、東急新玉川線を思い出すと、あの兄弟が今も元気でいることを願うばかりです。