先日「船を編む」をやっとDVDで見た。
「マジメ君、右という言葉を説明できるかい」
から始まる三浦しおんさん原作のこの映画。冒頭のセリフはこれ。辞書を作るという
作業がどんなものなのか、街角に出て生きた言葉を探して歩く主人公達に感動した。
「認める」「受け入れる」「許す」「愛する」これらのすてきな言葉は数在れど
これらの意味、説明できる人はどれだけいるのでしょう。
むずかしく説明できる人はいる。たくさんいる。言葉が出来てから僕らはずっとそれ
ばっかりやってきたから。でも、作業になってない。だから「感情」の表現はどんどん
増えていく一方。 考えてみれば当たり前だ。(作業でも「滝に打たれる」とか
「瞑想する」なんてダメ、これ、なんの作業なのか不明だから)
たとえば広辞苑でも、もちろん素晴らしい文章だけど「認める」という言葉を「許す」という
言葉を使って説明している。よく考えるとどっちも雰囲気しか分からない言葉だ。
もしも
「Q点に意識の焦点を合わせる」ことが誰でも出来て、快適に向かう「作業」
だとすれば、
こころの事がなんでも作業に変わる
「悩み」がこの世から消える。だって「生きるべきか死ぬべきか」は「気持ちいい!」って
いうときには浮かんでこないアイディアだから。
もし、機嫌が良ければ「どうやって生きようかなあ!」だけになるもんね。
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