今朝は例によって、朝食後、「マッサン」を見て、ほんの少し「朝いち」を見て、思わず「そうなんだあ~。」 と言うのも今朝のテーマが”いい母に悩む若いママ”だったからだ。 そんなに悩んでいるんだなあ・・・と見ながら、可哀そうになった。 私も長女を産んですぐに実母が他界、だれにも頼れず、しかも主人は仕事で大忙し。 「そうだったよねえ」と共感しながら見る面も有り、ついつい本気で見ていたが時計を見て我に帰り、出勤。
私は産後、1年間の育休をほぼ一杯までもらって子育てしたが、やはり日々が戦場だった。 保育園に1歳足らずで預けて、まだおっぱいも張ってしんどかった。 数人の友人たちがみてくれたから、子供が具合が悪くても、少々の熱があっても、出勤した。 職場でもまだまだ産休も育休も遠慮しなければいけないような雰囲気。 育休後も針のムシロ。 私の義父母は早くに他界し、義父母とのいざこざは経験していない。 しかし職場ではそれに似た経験をした。 母子家庭そのもの・・・。 今になってみると、主人も大変だったと言うことが理解できるが、やはり当時は孤独だったなあ。
保育園に預けても、紙おむつが使用できない時代だったため、布のおむつを真冬の寒いしかも真夜中ごろに干すこともあった。 干すなりに、布がもう凍ったたものだ。 自身の時間なんてほぼなかった。 それでもその仕事が好きだから続けた。 とにかく必至だった。
どれほどの犠牲が仕事を続けるうえであったか・・・今思うと・・・いやずっと心の中では「良かったのかなあ」「仕事を続けなければ良かったのかなあ」の思いがあった。 もっと大切な時間を子供たちと共有できたのではないか・・・そんな思いもある。 今もってである。
それでも子供たちが大人になって「自身も仕事をするよ」と言ってくれた時には、あれでよかったのかしらとも思う。
そう・・・どんな時にも100%パーフェクトはない。 それぞれが必至に過ごしていると思う。 誰がどう言おうが、その人なりに必至。 他人には分からないことで思い悩みながら人は生きている。
専業主婦の友人たちも多く、彼女たちはやはり今朝テレビで見たような「世間から置いてけぼり」のような気持ちになり「これでいいのか」と、かなり悩んだ時期もあったと聞く。 それもそうなんだなあ・・・と思う。 外へ出れば出たで、男性と同じくさまざまなプレッシャーがある。 何がいけなくて何が良いはない!!
ただただ言えるのは、みな一番に考えているのは「自身の子供のこと」。 子供が大切だから、仕事へも行く。 専業主婦もする。 そして悩む。
私はもう10年くらい前に現場を離れた。 しかし昔よりは配慮されてきたのかなあ…と外野で見守っている。
子供の耳が悪くて耳鼻科通いに泣かされた日々もあった。 勤務時間終了にならなければ、行けない状態だった。 病院の受付時間は5時に終了する。 勤務時間は4時45分。 すぐそばに保育園があってもわずか15分で病院へはいけない。 神業だ。 それを何度もこなした。 もうとにかく必至。 「耳が聞こえなくなったら・・・」そればかり考えたいた。 風邪をひかせないように気をつけているのに、しかも忙しい時に子供の具合は決まって悪くなる。 だから周りの年配たちも機嫌が悪かった。 もちろん中には理解して下さる先輩もいらしたが、男性には「同じだけ給料もらうんだから」そう言われた時には腹が立って腹が立って・・今思い出しても腹が立つ。
私はそんな職場で子育ての時期を過ごした。 非情な世界だと考えたいたから、自身が年取り、若い人たちが「子供が具合が悪い」などと言うと「早くお帰りなさい。何とかなるから」と言ったものだ。 お互い様なのに。 そう お互い様。
仕事をしようが、決して輝いてばかりじゃない、嫌むしろしんどいことを必至で耐えている・・・そんな時も多いこと。
みんなそれぞれ心痛めて、考え過ぎているように思う。 いけないことをしたら叱り、いいことをしたら褒める。 母親が暗い顔をしていては元気な明るい子供にはならない。 昔何かの講演会で聞いたことがある。 「母親は家庭の太陽」だと。 なかなかそんな理想論も当てはめてばかりとはいかないが、ほんの少し角度を変えてみると、また違って今の生活が明るく見えてくるかもしれない・・・。
今ある状態で、明るく前を向くこと・・・。 「その時」が来ればまた道が開けるはず。 「今」がず~と続くわけではない。 続くことは決してない。
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岩国市、周南市、下松市、光市、防府市、山口市、柳井市、その他周辺地域の不動産に関してはご相談ください。⇒山口県岩国市岡村不動産鑑定事務所
私は産後、1年間の育休をほぼ一杯までもらって子育てしたが、やはり日々が戦場だった。 保育園に1歳足らずで預けて、まだおっぱいも張ってしんどかった。 数人の友人たちがみてくれたから、子供が具合が悪くても、少々の熱があっても、出勤した。 職場でもまだまだ産休も育休も遠慮しなければいけないような雰囲気。 育休後も針のムシロ。 私の義父母は早くに他界し、義父母とのいざこざは経験していない。 しかし職場ではそれに似た経験をした。 母子家庭そのもの・・・。 今になってみると、主人も大変だったと言うことが理解できるが、やはり当時は孤独だったなあ。
保育園に預けても、紙おむつが使用できない時代だったため、布のおむつを真冬の寒いしかも真夜中ごろに干すこともあった。 干すなりに、布がもう凍ったたものだ。 自身の時間なんてほぼなかった。 それでもその仕事が好きだから続けた。 とにかく必至だった。
どれほどの犠牲が仕事を続けるうえであったか・・・今思うと・・・いやずっと心の中では「良かったのかなあ」「仕事を続けなければ良かったのかなあ」の思いがあった。 もっと大切な時間を子供たちと共有できたのではないか・・・そんな思いもある。 今もってである。
それでも子供たちが大人になって「自身も仕事をするよ」と言ってくれた時には、あれでよかったのかしらとも思う。
そう・・・どんな時にも100%パーフェクトはない。 それぞれが必至に過ごしていると思う。 誰がどう言おうが、その人なりに必至。 他人には分からないことで思い悩みながら人は生きている。
専業主婦の友人たちも多く、彼女たちはやはり今朝テレビで見たような「世間から置いてけぼり」のような気持ちになり「これでいいのか」と、かなり悩んだ時期もあったと聞く。 それもそうなんだなあ・・・と思う。 外へ出れば出たで、男性と同じくさまざまなプレッシャーがある。 何がいけなくて何が良いはない!!
ただただ言えるのは、みな一番に考えているのは「自身の子供のこと」。 子供が大切だから、仕事へも行く。 専業主婦もする。 そして悩む。
私はもう10年くらい前に現場を離れた。 しかし昔よりは配慮されてきたのかなあ…と外野で見守っている。
子供の耳が悪くて耳鼻科通いに泣かされた日々もあった。 勤務時間終了にならなければ、行けない状態だった。 病院の受付時間は5時に終了する。 勤務時間は4時45分。 すぐそばに保育園があってもわずか15分で病院へはいけない。 神業だ。 それを何度もこなした。 もうとにかく必至。 「耳が聞こえなくなったら・・・」そればかり考えたいた。 風邪をひかせないように気をつけているのに、しかも忙しい時に子供の具合は決まって悪くなる。 だから周りの年配たちも機嫌が悪かった。 もちろん中には理解して下さる先輩もいらしたが、男性には「同じだけ給料もらうんだから」そう言われた時には腹が立って腹が立って・・今思い出しても腹が立つ。
私はそんな職場で子育ての時期を過ごした。 非情な世界だと考えたいたから、自身が年取り、若い人たちが「子供が具合が悪い」などと言うと「早くお帰りなさい。何とかなるから」と言ったものだ。 お互い様なのに。 そう お互い様。
仕事をしようが、決して輝いてばかりじゃない、嫌むしろしんどいことを必至で耐えている・・・そんな時も多いこと。
みんなそれぞれ心痛めて、考え過ぎているように思う。 いけないことをしたら叱り、いいことをしたら褒める。 母親が暗い顔をしていては元気な明るい子供にはならない。 昔何かの講演会で聞いたことがある。 「母親は家庭の太陽」だと。 なかなかそんな理想論も当てはめてばかりとはいかないが、ほんの少し角度を変えてみると、また違って今の生活が明るく見えてくるかもしれない・・・。
今ある状態で、明るく前を向くこと・・・。 「その時」が来ればまた道が開けるはず。 「今」がず~と続くわけではない。 続くことは決してない。
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