土日は掃除に気合が入る。ここのところ娘たちと話し合って、節約生活と言うことで毎日拭き掃除はするが掃除機を掛けるのは土日のみ。ビニル手袋をして拭いていて気付いた。随分遅いかも知れないが、台所用スポンジでカーペットやら絨毯は綺麗になると思って拭いていたが、ビニル手袋を使うと両手でやるためもあり早く面白いほど埃が取れる。女が3人もいると家中髪の毛だらけ。掃いても拭いてもここかしこに落ちている。見事なくらいである。カーペットやら絨毯にも同様落ちている。素晴らしい発見に感動。面白くて家中の敷物をやってみた。
日本語として素敵な表現の一つだと思う。一雨ごとに暖かくなり、少しずつ春らしくなっていく。友人から貰った桜草やスノーボール、水仙類が確実につぼみを大きくしている。もしかして今日は暖かいと言うから日中、桜草は開花するかもしれない。
先日、エクセルで入力していた我が家の家計簿のフロッピーがおかしいのに気付き、「もしや1,2日たてば元に戻るかなあ・・・」で気楽トンボに考えていた。が、やっぱり現実には駄目。他のフロッピー類は必ずバックアップをとって用心しているのに、もう大ショック。ここ7,8年くらいのデータがパー。唸っている!!毎年の記録、ある面我が家の日記とも言えるようなもの・・・。大ショック。
母は私が30歳のとき、55歳で他界した。すい臓癌で随分苦しみながら亡くなった。あれから26年。あれこれ思い出すとつい先日のように思えるのだが・・・。私は亡くなったときの母の年齢を超えた。生きていればあれこれ話しているんだろうなあ。時々主人のこと、娘たちのこと、日々の他愛ない出来事に至るまで、すべて母が知っているように錯覚することがある。母ならこんな風にするかしら、こう言うかしらと思ったり・・・。56歳からの母を知らないのだから、私が生きて娘たちに示したいことがあまりにも多いように思う。日々日々母の偉大さを感じる。自分が年を重ねても重ねても手の届かないところにいるような・・・。
今日は買い物へ行った際に、全く存じ上げない奥さんがさりげなく声を掛けてくださり、親切にしてくださった。何気ないやり取りに人間どれほど豊かな気持ちにしてもらえるのか、その後ずっと何だかほのぼの・・・。教えられた出来事・・・。
ここのところなるべく土日は買い物に行かないようにしているため、月曜日は大変。スーパーでハッポスチロールや透明な(卵のパックなど)容器、アルミ缶、牛乳パック、ペットボトルなどを回収してくれるので持参しているが、いっぱいになる。これほどにお世話になっているのかとあらためて思う。普通にゴミ回収に出したら大変。昔を思うと「ウ~ン!!」便利だが何とかならないかな・・・。
若い頃「男の顔は履歴書だ」という言葉を聞いたことがある。確かにある程度の年齢になった人には、そう40代位からかしら、どの人の表情にも味があるように思う。刻まれた皺がその「人」の看板のようにも思え、またその人の歴史を語っているようにも思える。生きている喜び、悲しみ、哀愁・・・。愛おしくも美しささえ感じることがある。
今日は早朝から評価の現地を見に出かけた。お弁当、コーヒーを持参して、会社に戻ったのは9時間後であった。一旦島根県に入り、道を戻って岩国市。こんな山郷も岩国市なんだあ・・・。ちょうど1週間前の土曜日に降った雪がまだしっかり積もっており、50センチ近くあるところもあった。腰の曲がったおばあちゃんが雪かきをしておられ、テレビで見る雪深い地方の映像そのままである。時間が許せば多少でもお手伝いしたいところだが・・・。廃屋が目立ち、何だか切なくなった。かなり広範囲にまたがった現地調査だったため、別世界をわずかな時間で体験した気がする。これほどの雪はもう20数年ぶり。民家が点在する箇所で聞いたところによると、高校生から下の子供が全部でわずか5人だとか・・・。「年寄りばかりじゃよ。」と言う声がまだ耳に残っている気がする。
居間から庭をボーと見ていて、ふと「いいかも」と、庭へ出てみた。ボールを持って傘をさして3本あまりしかないしかも本当にわずかな水菜をちぎった。今夜のサラダに散らしてみよう。見回すと春の訪れを思わす花の芽が出ている。沈丁花のつぼみが沢山付いている。きっとあの甘い香りを今年も放ってくれることだろう。水仙のつぼみがかなり大きくなっている。地面には球根の芽が沢山出ている。これは名前を忘れてしまったけど、大きな薄いピンクのゆりのような花を付ける・・・。一雨ごとに暖かくなる季節。この雨でまたつぼみが膨らむ。
「私って、幸せものなんだなあ・・・」と。実に能天気?!学生時代仲良し4人組で、将来のことをあれこれ話したものだ。こんな女性になりたいとか、こんな家庭であって欲しいなどと言った話をしたものだ。新しい家庭を想像して、「暖炉の前でロッキングチェアに座っているのを旦那さんにゆられているイメージ」とか、「花に水をやりながら行ってらっしゃいと見送るイメージ」とか言っていた。私はと言えば、白い割烹着を着て、書斎にいる旦那さんに「あなた、お茶ですよ」と言って運んでいるイメージ。当時みんなで言っていたことが、「良いイメージを描きながら進んでいかないといけないよねえ」「そうすればきっと幸せになれる」と言うことである。今、それが叶っているように思う。場所こそ違うがそばにいて、お茶を入れている。