一昨日から家の鍵をどこぞへやってしまい、気持ちとしてはずっと何かがつっかえた状態。何をしていても頭のどこかで「もしやあそこに入れているのではないか。あそこかもしれない。」と考えている。今朝も同様に思い当たるところを3箇所探して落ち込んでいた。いつものように神様を拝んだ後、今度脳ドッグを受けるけれど、もしかしたらアルツハイマーとか認知症だったら、覚悟を決めて一気に片づけをしないといけないかもしれないなどと考えて、次女に話した。するといつも置いている場所をひと目見るなり、「お母さん、来て見て。」とニコヤカに言うではないか。行って見ると、なんとなんと歯がゆいこと。つい先程も見たし、先日来ずっと何度も見ている場所に・・・。活けている花の木の枝に引っかかっているではないか。小さな可愛い鈴を付けているけれど、聴こえなかったんだなあ・・・。と言うことで大きなしっかり聴こえる鈴を2個付けることに・・・。今日は朝からいい事があったなあ・幸せ・・・。人間こんなささやかなことに幸せを見出せるんだなあと思うと救われる。
東日本大震災の報道で直接体験したのではないが、被害体験を共有し、心が過剰に揺れてしまい、体調不良を起こすケースがあると新聞で読んだ。落ち込んだり、何もして上げられないというもどかしさを感じたり、酷いときには不眠、頭痛、胸痛、めまい、肩こり、なども生じるとか。
「自分にできることをする」全国の人がその気持ちで・・・前向きに前向きに一歩ずつ・・・。
「悲しんでいても身体が悪くなるだけ。みんなで笑ってがんばっぺし」という宮古市で被災された元気なおばあちゃんの言葉に元気を貰いました。
「自分にできることをする」全国の人がその気持ちで・・・前向きに前向きに一歩ずつ・・・。
「悲しんでいても身体が悪くなるだけ。みんなで笑ってがんばっぺし」という宮古市で被災された元気なおばあちゃんの言葉に元気を貰いました。
あまりの被害の大きさに言葉を失ってしまう。報道される惨状を見ては、涙し心が痛む。家族が元気に過ごし、住む家があり、暖かい布団に包まって眠れる。普通のこと、当たり前のことと感じていたことがどれほどありがたいことなのか・・・。自分にできることは何かを問いながら、家族でできる支援をして、そして祈る毎日である。人の存在のなんと小さいことか、はかないことかを痛感する。それに加えての人災はあってはならないと・・・。
残念ながら今日は2人欠席。8人ではあったが、盛りだくさんの物凄いメニューに大わらわ。中華おこわ、中華スープ、中華春雨サラダ、ほうれん草の白和え、シュウマイ、大根の炒め物。それに何と3種類のお漬物を持ってきていただいて・・・。自宅で餃子は作るが、シュウマイは作ったことはない。あれこれメモしながら習った。やはりコツがある。準備段階の今日の私の担当は、錦糸卵。前回くじ引きで担当に決まった際に、「あ~ついに来た~!」と嘆いたら、何とホットプレートを薦められた。まあ、驚いたことにプロ級!!の仕上がりにビックリ。むか~しこれも教えていただいたのだが、卵を焼くときにほんの少しお酢を入れると、黄色が際立って鮮やかになるとか・・・。今日は大収穫。まさに料理教室。
我が家では一斉に沈丁花が咲いていい香りが漂う。クロッカスもしっかり咲き始めた。会社の近くの散歩コース、川沿いの土手には菜の花が今年も咲き始めている。昔は忙しくてゆっくり花を眺めている時間などなかったが、多少いえかなり時間の流れはゆっくりになってきたようだ。まだまだ昔同様定規で線を引いたような時間を長しがち・・・、反省!花はそんなせっかちな性格も癒してくれる。
大学生くらいまでは行き来のあった従姉妹たちとも、お互いに就職、結婚後は不幸があったときに会うくらいである。去年亡き母の一つ下の妹の次女が声を掛けてくれ始めて、再び行き来が始まった。幼い時分には姉妹がいない私は妹のように思っていたものだ。「お互い子供が落ち着いたら従姉妹会でもしたいねえ。」と言っていたところ、急遽、叔母とその長女、次女と一緒に温泉へ行くことが決まった。お風呂では亡き母を思っておばの背中を流してあげた。顔もよく似ているし、「生きていたら・・・」とついつい思ってしまう。叔母は早くに寝てしまったが、私たち3人は明け方3時ごろまでピーチクパーチク。さすがに翌日はヘロヘロ状態。昔に戻ったようにおしゃべりし、お互いの近況報告に始まり、果てはおしゃれの話まで・・・。「また、行こうね。」と言って再会を約束した。
地震、津波の悲惨な状況に胸が痛む。地震情報があると「津波の心配はありません。」と言う字幕がテレビに流れ、何気なく画面を見ていたがどれほど重大なことなのか分かった。「人智の及ぶところではない」状況。阪神淡路の震災を思い出すが、威力は桁外れだし、加えて津波が何もかもを奪った。瓦礫の町が次々に映像に映し出され想像を絶する状況だ。毎日の日々の生活が本当にありがたいことなのだと思う。普通に生活できることがありがたいことなのだと・・・。
出先で赤信号で停車していてある小学生の標語が目に入った。「買いません不要なもの、買ったら大事にして捨てません。ゴミにしません。」私のように貧乏な時代も知っている世代の人は、微妙な差かもしれないのだが、物に関する価値観がまったく異なる気がする。物がなく高価な時代から安価に物を購入できる時代の両方を知っている私は「工夫したら使えるかもしれない」とか身近な「○○が使えるかもしれない」などとついつい思ってしまう。今流行の断捨離(だんしゃり)ができない。捨ててすっきりした状態での生活にもあこがれるが、一生懸命に作った人がいるんだと思うと、納得行くまで使ってから処分しないといけないような、罰当たりな気がする。まだまだ使えそうなおもちゃ類、立派な書籍類、服などが沢山捨ててある。その反対で、同じ地球人でありながら、ゴミの山を毎日あさって生活する幼子の姿が映像に流れることがある。何とかならないのか・・・。
昨今「エコ」と言うことがかなり叫ばれて、いろんな方面から情報が齎されている。私は学生時代に始めて実家を離れて一人生活を開始したが、そのとき初めて意識したように思う。歯磨きのうがいをする際に、水を流しっ放しにすると一回に付きバケツ1杯の水を流していることになるとか・・・。地球の資源は無限ではない。身近なことから情報を上手に取り入れたエコをしていかないと・・・。
管理している駐車場もそろそろ草が勢いを増してきているため、昨日から除草剤を撒き始めている。でもできることなら薬は控えたいのだが・・・。そこであれこれネット検索をしていると発見。濃い目の塩水が良いとのこと。雨が降る前なら塩を直接まいても良いとか。経済的で身体にも優しい。青菜に塩!!