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母の年回法要や法務で走り回っていましたら、もう3月も4日、あわてて3月の法語を読み味わっております。
参られると思うて
参れぬお浄土へ
本願力にて往生す
このお言葉は稲垣瑞剱先生の法話集からのお言葉です。
稲垣先生は播州姫路に明治18年に誕生されています。お名前は最三(さいぞう)と申しておりました。漢籍学、英文学、東西
の哲学、仏教学、教行信証を中心として真宗学を研鑽され神戸の本願寺関係学校である成徳女子学園に教鞭を取られ校長、理事長
となられたのですが、60才の折得度し本願寺の僧籍に入られ僧名「瑞劍」(ずいけん)となられました。生涯聞法の姿勢を崩さ
れず、ご縁あれば諸方へ出向かれお法(みのり)をお説きになられました。そのご講話は野球で云えば常に直球を投げられ、変化
球は投げられることは無かったように伺えます。常にご本願、お名号、ご信心、お念仏の尊さを語ることに終始され、ご讃嘆され
ることを常とする方であられたようです。
そのようなご講話、ご著述の中から今月の法語が選ばれています。
瑞劍先生が37才の時に厳父久太郎氏が逝去され、その久太郎氏の口癖であった「このままやで」と「参れると思うて参れるお
浄土ではないぞよ」のふたつを受け継がれたとのことです。(同朋舎刊『親鸞に出遇った人びと』p132)
このように信じていたら大丈夫だろうとか、このような感動や喜ぶことが出来たのだから、それを維持して行けば往生出来るだ
ろうと云うようなことでは浄土往生はかなわぬことであって、唯々、如来さまのご本願をお聞かせ頂くばかりであることをこの法
語から、益々味合わせていただくことでございます。
瑞劍先生のご長男久雄先生はロンドン大学で浄土真宗学の教鞭を執られた方で仏典の英訳の重鎮であられます。