頂いた寒蘭が次々に蕾を開いて仄かな香りをただよわせています。
画像の蘭は「聖光」とラベルに書かれています。「しょうこう」とよむのでしょうか、「ひじりのひかり」と読んでみても味わいがあります。淡い黄緑色で品格が感じられます。
画像の蘭は「聖光」とラベルに書かれています。「しょうこう」とよむのでしょうか、「ひじりのひかり」と読んでみても味わいがあります。淡い黄緑色で品格が感じられます。
今年も野々江の大内博三さんが丹精込めて育生された菊を献花されました。
報恩講と襖絵奉納法要に合わせて境内に運び込まれました。
大輪菊が6鉢、懸崖菊が4鉢、盆栽菊が5鉢。丁度満開で参詣の方々の目を楽しませてくれています。
大内さんはミカン農園も広くてお忙しいのにこまめに菊の手入れをなされるのには驚きます。
毎年本当に有難うございます。
報恩講と襖絵奉納法要に合わせて境内に運び込まれました。
大輪菊が6鉢、懸崖菊が4鉢、盆栽菊が5鉢。丁度満開で参詣の方々の目を楽しませてくれています。
大内さんはミカン農園も広くてお忙しいのにこまめに菊の手入れをなされるのには驚きます。
毎年本当に有難うございます。
久し振りに宗方港からフェリーに乗って今治に向かいました。PM4:35発の秋の日が沈み始めた頃でした。
来島大橋付近にフェリーが近づいた頃、突然夕日に海が金色に輝やき始めました。そのすごい光景に見とれていました。カメラを持っていることに気づき撮影してみました。
来島大橋付近にフェリーが近づいた頃、突然夕日に海が金色に輝やき始めました。そのすごい光景に見とれていました。カメラを持っていることに気づき撮影してみました。
全ての日程が終了したのがPM3:40、中島画伯は今治に一泊されて帰途に着かれました。
法要スタッフ、残られた来賓の方々と名残を惜しんで記念撮影。中央より少し左の顎に白い髭をたくわえた方が中島画伯。一番左の女性が絵本さん。
法要スタッフ、残られた来賓の方々と名残を惜しんで記念撮影。中央より少し左の顎に白い髭をたくわえた方が中島画伯。一番左の女性が絵本さん。
奉納式典後に続いて中島画伯と当院若院の進行でトークの時間を持ちました。リラックスした雰囲気の中で30代頃からの大三島の思い出や襖絵制作についての技術的なお話など日頃お聞き出来ないようなお話が次から次へと語られて笑いの中に時間の経つのも忘れました。トークの中で同行された絵本さんにも話が振られたりで終始和やかに進められていい時間だったと思います。
画像はマイクを持たれる中島画伯、その右は当院若院。
画像はマイクを持たれる中島画伯、その右は当院若院。
午後1時より中島千波画伯が描いて下さいました襖絵の奉納法要を営みました。
この法要には中島千波画伯と令嬢絵本さん、来賓として今治市長菅良二氏、元大三島町長奥本忠孝氏、今治市役所大三島支所長藤田孝敏氏、元大三島町長菅省三氏夫人菅弥生さん、元三予水道電気KK菅逸士令嬢千代さんらが列席下さいました。そして松山の雅楽会から8人が参勤下さいまして賑々しい法要となりました。
当日住職が奏上した表白の一部を記しておきます。
(前略)平成18年大三島美術館と長年にわたって因縁の厚い東京芸術大学教授
中島千波画伯に本堂襖絵の製作を依頼いたしました処、画伯は制作を快諾下さり、昨20年12月、完成した本堂にご参詣下さり、創作の構想に入って下さいました。
去る4月2日、京都山科醍醐の樹齢500年と云われる満開に咲きこぼれる枝垂れ櫻を終日写生されたのでした。
東京のアトリエに帰られるや否や4枚の金襖に向かわれて、今正に散らんとする満開の醍醐桜の印象を描き続けられたのです。
60有余日一心となられて絵筆を走らせ続けられました。
6月10日遂に当山本堂の襖絵が描き上げられたのです。
画伯自らが「春輝枝垂れ櫻」と命名されて、当地へ直ちに搬送されて本堂にはめ込まれ6月24日完成いたしました。(中略)
この襖絵は当山の尊前を荘厳して向後、幾多の参詣の人々に安らぎを与え、明朗として放光し続けることでありましょう。
宗祖聖人は『無量寿経』の和讃の中に
いちいちの花の中よりは
三十六百千億の
光明照らして朗らかに
至らぬところはさらになし と申されています。
この爛漫と光り輝く襖絵を拝観する時、彷彿としてこの和讃の光景が思いおこされるのです。(以下略)
と、表白させていただきました。
この法要には中島千波画伯と令嬢絵本さん、来賓として今治市長菅良二氏、元大三島町長奥本忠孝氏、今治市役所大三島支所長藤田孝敏氏、元大三島町長菅省三氏夫人菅弥生さん、元三予水道電気KK菅逸士令嬢千代さんらが列席下さいました。そして松山の雅楽会から8人が参勤下さいまして賑々しい法要となりました。
当日住職が奏上した表白の一部を記しておきます。
(前略)平成18年大三島美術館と長年にわたって因縁の厚い東京芸術大学教授
中島千波画伯に本堂襖絵の製作を依頼いたしました処、画伯は制作を快諾下さり、昨20年12月、完成した本堂にご参詣下さり、創作の構想に入って下さいました。
去る4月2日、京都山科醍醐の樹齢500年と云われる満開に咲きこぼれる枝垂れ櫻を終日写生されたのでした。
東京のアトリエに帰られるや否や4枚の金襖に向かわれて、今正に散らんとする満開の醍醐桜の印象を描き続けられたのです。
60有余日一心となられて絵筆を走らせ続けられました。
6月10日遂に当山本堂の襖絵が描き上げられたのです。
画伯自らが「春輝枝垂れ櫻」と命名されて、当地へ直ちに搬送されて本堂にはめ込まれ6月24日完成いたしました。(中略)
この襖絵は当山の尊前を荘厳して向後、幾多の参詣の人々に安らぎを与え、明朗として放光し続けることでありましょう。
宗祖聖人は『無量寿経』の和讃の中に
いちいちの花の中よりは
三十六百千億の
光明照らして朗らかに
至らぬところはさらになし と申されています。
この爛漫と光り輝く襖絵を拝観する時、彷彿としてこの和讃の光景が思いおこされるのです。(以下略)
と、表白させていただきました。
10/30,31の朝事まで万福寺の報恩講法座を営みました。講師は徳正唯生師でテーマはこの度改正された「浄土真宗の教章」についてお話下さいました。
「教章」はよくわきまえて行かなければならないものですし、聞法生活の骨子となるもので、下地としてどうしても頭に入れておかなければならないものだと思います。
今後、心にかけてお話しようと思います。
「教章」はよくわきまえて行かなければならないものですし、聞法生活の骨子となるもので、下地としてどうしても頭に入れておかなければならないものだと思います。
今後、心にかけてお話しようと思います。