万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

木瓜(ぼけ)

2009年12月14日 | Weblog
 晩秋から春にかけて木瓜(ぼけ)に花がつきます。木ぶり枝ぶりがいい木ですから花が咲き始めると床の花に重宝いたします。
 紅花ばかりが咲くのを「緋木瓜」、白い花ばかりが咲くのを「白木瓜」、画像のように白と桃色が雑って咲くのを「更紗木瓜」と呼ばれています。生け花に良いのはこの「更紗木瓜」でしょう。
 この「木瓜の木」も「ばら科」に属しています。ばら科の花はがいして美人揃いです。
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冬薔薇(ふゆばら)

2009年12月14日 | Weblog
日中は小春日和のここ数日ですが早朝には霜がうっすら降っています。そうした中に境内にバラの蕾が咲きかねているのが見えました。冬のバラは毛虫などがいませんから葉っぱも蕾も無傷です。
 この冬のバラを見ていると、もう十数年前に他界された西尾静子さんの歌集「冬の薔薇」を思い出しました。昭和29年に発行されたもの、わが子を事故で喪った悲しい思いを切々と歌われた440首が編されている歌集なのです。歌集のタイトルとなっている「冬の薔薇」の項の3首の短歌をご紹介しておきます。私が今朝、冬のバラを見た印象をもっと深く細やかな感性で歌っておられます。

      冬の薔薇
  色深き紅ふくめども冬の薔薇開きがてにしてつぼみの久し
  花芯みせて開く日をなみ冬の薔薇くれなゐ深くたたむ思ひか
  胸深くたたむ思ひもとけがてにつぼみて久し冬のばら 
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白詫助椿(しろわびすけつばき)

2009年12月11日 | Weblog
鉢植えであった「白侘助」を今春境内へ下ろし植えました。夏の水やりが足りなかったのか活きが悪く蕾が一杯ついていました。これは遺憾と、蕾をほとんど落としておきました。どうにか活着しそうです。その残しておいた蕾が一輪咲いていましたので早速摘んで小さな花器に挿してみました。
 白侘助はこれぞ「侘助」と云える上品で冬の真珠のようです。枯葉がほとんど散る頃に稟と咲いているので余計にすごさを感じます。
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木村三千人作楽茶碗(きむらみちとさくらくちゃわん)

2009年12月11日 | Weblog
今横浜にお住いの木村三千人先生が作陶されたお茶碗が2碗あります。
先生は小学校の教職にあられましたが、多方面に才能豊かな方で著述、カメラ、茶道、陶芸、木彫、石彫などなど、多方面に勝れた感性を発揮されました。
 画像の黒楽茶碗は今から30数年前に作られたものと思いますが、その頃、全国のプロ、アマを問わず茶碗100点を選ぶと云うコンテストがありました。そのコンテストに出品されて見事100碗に選ばれたのでした。その時何碗も焼かれた中の2碗を下されたのです。すさまじいお茶碗でどっしりと存在感があります。黒釉はカセていて良くは分りませんが楽長治郎のカセた黒を思わせるものがあります。
 100碗に選ばれてからは作陶をあっさりと止めてしまわれました。
 先生には随分と多くのことを教えていただきました。人生の楽しみ方と云うことなのでしょうか、今高齢期を生きて行く上に随分と助けられています。
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諸行無常

2009年12月09日 | Weblog
 今年も余すところ廿日少々となりました。
私ども人類が住まいしている生活環境は日に日に生きにくい状況になりつつあることは明白なことと感じています。
 釈尊は「諸行無常」と有形無形の全存在は変化し続けていることが真實の姿と申されて、故に全存在は無我であると申されました。
 時々刻々変化し続けていますが、人間の考えは変わらないように、これだけは変ってはならないと頑張って頑張って要らぬ処へ要らぬ力を入れて苦しみ抜いているように思えます。私にはよく分りませんが、全ての分野に於て・・・・。
 今年も苦しみが一杯あって、悲しみも一杯あって、なごりおしくも過ぎ去って行きます。
 
 写真は数日前にひっそりと開花していた「一子侘び助」(いちこわびすけ)です。
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父の書簡

2009年12月07日 | Weblog
一昨日三原市大草に居る弟徳正唯生(尊丸)から電話があり、先日本郷の寂静寺さんへ布教に行ったら勝道兄より「三智叔父さんの手紙が出てきたから」と画像のような手紙を知ったと伝えてきました。ファックスか何かで送ってほしいと云っておいたら昨日パソコンにメールで送られて来ていました。
 写りが薄くて読め難いヶ所もありますが、ほぼ読めました。
 昭和8年2月21日付けの書簡で、内容は私の兄綜智が1月19日に生まれ、豊水楽勝和上(寂静寺住職、龍大教授、本願寺勧学)からお祝いが贈られてきたその返書なのですが、後半部分に和上に伝えている文面から昭和7、8年頃の父の考えなり生活なりが少し垣間見られるようです。
 京都時代はインド学を中心とした研究であったが万福寺へ入寺してからは浄土真宗の宗学の修学を志したようで、豊水和上へ宗学の論文を書いて提出するべく約束をしたけれど法務が多忙で仲々進まないが、来年か再来年には是非とも完成させたいようなことが書かれています。
 結局その宗学、浄土教に関する論文は完成させることができなかったのですが、その未完成の論文の原稿は今も残っています。(平成5年刊「微妙音 浅野三智著作集」にその断簡を収録しています)
 それは『無量寿経』の梵本を中心とした研究であったことがうかがえます。
 それにしても80年近くも亡父の手紙が寂静寺に保存されていたことは驚きです。唯だ多謝々々。
  
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水仙が咲いている

2009年12月05日 | Weblog
四恩堂(納骨堂)の裏の崖上に水仙の叢がありますが、その水仙がチラホラ咲き始めています。こんなに早く咲くのは珍しいように思います。11月初めに異常な寒さに襲われその後暖かい日が続いた所為なのでしょうか。
 紅葉もまだ散り残っていて珍しい風景かも知れません。バックの白壁は四恩堂の壁です。
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意宇の里(おうのさと) 椿

2009年12月04日 | Weblog
鉢で育てていた「意宇の里」椿を境内の前住の歌碑の側に今春路地植えしましたが、元気に根付いて次々と咲き始めました。中輪の淡い色合いで好きな椿です。
   独り旅続けし我のいつの日か
        如来と遇し心強さよ
 花が添えられて何となく温かくやさしくなったように感じます。
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