万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

本願寺を伝持する僧侶衆

2013年12月09日 | Weblog
 この度の今治組(いまばりそ)京都での住職研修の主たる目的は明専寺ご住職浅野亨之師のご案内で本願寺の法要や荘厳そして

法宝類の護持に当たって下さっている部所を本願寺式務部と云います。常時30人くらい居られるのでしょうか?その式務部の

方々が裏方として働いて居られる本願寺両御堂の後堂を拝観させていただきました。

 両堂に護られている不滅の法灯、ご本尊や御真影さまへの巨大なお仏飯を目の辺りにした驚き、両堂に吊されている輪灯の重量

を体感させて貰ったりで何百年も同じように護持され続けて来たすごさを改めて再認識した見学でした。有難し。

 また、後堂の裏に飛び石を渡った所に「五柳の間」と呼ばれている書院造りの建物があり拝観できました。この建物は以前は勧

学寮であったかと思いますが、室内に入るのは初めてです。今は大きい法要の折の出勤僧侶の控え室に使用されているとのことで

す。江戸末期頃の建造かと思いますが、21代明如上人の執務室として建てられたものとのことです。瀟洒な書院で水墨画の襖な

ど素晴らしいものです。文化財の指定は受けてはないそうです。この部屋の窓から百華苑を望むときれいな紅葉が見えました。本

願寺辺りは京都市内の南部に位置していますから今が紅葉真っ盛りなのでしょう。燃え立つような紅葉です。


     
                         
                          御影堂の後堂

           
      五柳の間                        窓から紅葉が真っ盛り            
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師走の本願寺にお参りしました

2013年12月08日 | Weblog
                       

 

                                        

                         


 昨年もほぼ同じ頃に今治組(いまばりそ)寺院住職と京都へ研修旅行を行ったのでしたが、本願寺の公孫樹の黄葉は半分以上散

っていました。今年は巨大な大きな真っ黄色な固まりが小春日和の師走の空に聳えていました。こんなにも黄金に輝く本願寺の公

孫樹に遇えたのは初めてのことです。思わず写真を撮っていました。

 この玉垣に囲まれている2本の公孫樹とも京都では指折りの大公孫樹だと思います。この誇らしげな黄色の装いもやがて散り行

き裸木となって寒風に晒されて行くことでしょう。


                                  
                                  巨大な御影堂の石造天水桶を四隅で支える天の邪鬼
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石手ダム朝靄(あさもや)

2013年12月03日 | Weblog
 12/2 朝9時に出発して玉川経由で松山に参りました。車を蛇行が続く道を走らせ石手ダム辺りで周囲が靄っていることに気づき石手ダム眺望台に車を止めて少し展望を楽しみました。
 山が紅葉に包まれて靄が立ち上る湖面に映しています。

            

  石手ダムは白鷺湖と云うのです  立ち上る靄のダム湖  ダム堰堤        メタセコイヤの紅葉
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12月の法語

2013年12月02日 | Weblog
                         


      念仏者とは
      一切衆生を
      「御同朋」(おんどうぼう)として
      見出していく存在
                 宮城 (しずか)
                   1931年~2008年

宮城 (しずか)先生は昭和6年京都にお生まれで、大谷大学に学ばれ、大谷専修学院、九州大谷短期大などで教授を勤めら

れ多くの人の心に道心への目覚めを喚起せしめて行かれた有徳の先生であられたことが窺えます。

 宮城先生が申される「念仏者」とは阿弥陀如来の「救わずにはおかない」の誓願が起こされたこの私、この私は邪見で驕慢な罪

を罪とも知らずのうのうとしているこの私。この私があれやこれやの御縁にうながされてお念仏を申している。この人も、あの人

も、人なるが故に深い悲しみと耐え難い苦悩を抱えて彷徨っている。その一人一人に如来さまの「救わずにはおれない」と云う誓

願がかかっている。そのことにひとたび気がついてみると、全ての人が如来さまの慈悲の子、兄弟、同朋であったのであります。

 宮城先生のお言葉からこのように味合わせていただくことであります。

 インターネットのホームページ「宮城先生」を検索いたしますと、「宮城“大無量寿経講義”」のページにヒットしました。

その講義録を少し紹介させていただきます。

 “地獄と天上界というものが生きていることの意味を問う世界なのでしょう。地獄は悲惨さ、惨めさにおいてそれこそなんでこんな思いをしてまで生きなければならないのかと、何でこんなつらい思いをしてまで生きなければならないのかという、その悲惨さの故に意味を問うのでしょう。
 天上界はいろいろの具体的な目標というものが全部満たされた世界ですね。満足したせかいです。人間の欲望が人間の思いのごとくに満たされた世界が天上界ですね。ところが、そこにあらわれてくるものが、退屈のもんだいです。所在なさですね。天人五衰(てんにんごすい)ということがあるわけです。「衰というのは、生命感の衰退ですね。身の置きどころがない。そこにおるおことが虚しいのです。そこでは何のためにここにこうしておるのだろうという思いが出て来るわけです。地獄は悲惨さの故に意味を問いますが、天上界は逆にすべてが満たされた後の虚しさの故に意味を問うのでしょう。何のためだったのかと。”

 “曽我先生が、「浄土は西岸にあるけれども、浄土の門は東岸にある」とおっしゃいますように、門は我々の生活の上に開かれるのです。”

 
 2013年(平成25)の法語カレンダーについてしどろもどろながら13回にわたって味わうところを述べさせいただきまし

た。来年の法語カレンダーももう届いていると思います。来年も13回にわたって味あわせていただきます。宜しくお願い申し上

げます。    合掌 ナモアミダブツ

 

 
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