memory of caprice

浮世離れしたTOKYO女子の浮世の覚書。
気まぐれ更新。

小津安二郎の映画音楽~お天気のいい音楽~

2014-09-17 07:33:26 | 映画
朝日の朝刊で、「小津安二郎がいた時代」という不定期連載があり、大学生の頃、小津安二郎の全映画上映を渋谷のミニシアターに通いつめて観た記憶から小津映画には格別の思いがある。
情緒的なようでいてスタイリッシュ。温かいけれど湿度が薄い。

今回の記事には、そんな小津映画のヒミツがひとつ明かされたような気がした。

2014年9月14日

  「東京物語」(1953年)の音楽を担当した斎藤高順(たかのぶ)にとって、同作が初めて手掛ける映画音楽だった。松竹で映画音楽の指揮をとっていた吉沢博の紹介で、初めて小津安二郎に会ったのは、斎藤が27歳の時だった。
 それまで斎藤はラジオドラマの音楽などを作っていた。斎藤が緊張しながら、映画音楽は「今度が初めてです」と言うと、小津は「そいつはいいや」と笑ったという。後年、斎藤と歌を作った作詞家柏木隆雄(76)は、斎藤から聞いた小津の思い出の中でこの話が最も印象に残っている。若かった斎藤を小津が1人の作曲家としてみてくれた。
 「そのことに感謝していました」
 小津作品では、映画音楽が完成すると、録音前に小津の面前で生演奏を披露する「試演会」が行われるのが習わしだった。「東京物語」の試演会で、極度の緊張状態にあった斎藤に、聴き終った小津は「今度の音楽はなかなかいいね」と声をかけた。小津は音楽にも厳しいと耳にしていた斎藤は感激したという。
 こんなことがあった。「東京物語」で原節子と東山千栄子がしみじみと語りあう場面がヤマ場と考えた斎藤は、シーンに合わせた音楽を付けた。だが、映画ではかすかにしか聞こえない。小津は「場面と合いすぎて全体のバランスが崩れる」と言った。落胆した斎藤に小津は「僕は、登場人物の感情表現を助けるための音楽を希望しないのです」と説いた。「悲しい場面の時でも、青空で太陽がさんさんと輝いていることもある。僕の映画の音楽は、何が起ころうといつもお天気のいい音楽であってほしい」
 斎藤は小津の心を理解した。その後、斎藤は「秋刀魚の味」(62年)まで、計7本の小津作品を手掛けた。
 中井貴恵(56)が小津映画の脚本を朗読する「音語り」で音楽を担当するジャズピアニストの松本隆明(60)は「音楽が主張しすぎないという小津監督の意図を一番理解していたのは斎藤作品では」と話す。小津の遺作「秋刀魚の味」もしんみりした場面で陽気な音楽が流れる。「監督が狙っていた音楽が一番上手く表現された作品かもしれません」
 斎藤は、自衛隊や警視庁の音楽隊長などを務め、2004年4月に亡くなった。葬儀では小津映画の音楽が小さく流れ続けた。悲しみに包まれた厳粛な葬儀は、春の穏やかな日差しと、ほのぼのとした「お天気のいい音楽」に満たされていたと、次男の斎藤民夫(56)は語る。「いま思うと、まるで小津映画の一コマのようでした」





 


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