数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

印象的なあの頃(2)

2020-07-29 09:44:55 | 日記
 佐藤優氏の「先生と私」という本の他に書斎には、四方田犬彦氏の「先生とわたし」がある。

 四方田犬彦氏は奥付を読むと、私より2学年年上ですが、高校時代の様子は私の地方でも学生運動の影響という点では同じ状況でした。

 確か初めての高校の登校日だったかに、私鉄の駅を降りて、高校に向かう真っ直ぐな一本道を歩き始めたら、高校の先輩がビラを配っていました。ビラを受け取るという経験は大学へ入った時も同じでした。書かれている内容よりは、書かれている文字の書体が同じような印象が今もかすかに残っています。それは、大学へ入って初めて見た、立て看にも同じ書体で書かれていました。

 駅から高校に着くまでの10分ほどの間にたくさんのビラをもらった記憶があります。高校生になったと実感したある意味での瞬間でもありました。中学3年に時も同じ駅で降りていたのですが、1ヶ月経って、高校1年生としてその駅を降りた瞬間から状況は大きく変わっていました。本当に高校生になったという高揚感は今も忘れられない。

 先日久しぶりにその駅前に行きました。建物の感じは変わっていませんが、看板や店の様子はほとんど変わっていました。角にあった喫茶店もなくなって、今は塾に変身していました。ボーリング場はすでにかなり前になくなっていたし、本屋さんもなくなっていた。これはどこの町でも同じかな。高校へ行ってみようかとは少しも思わなかったのはどうしてかな。京都へ行く時には、気持ちのどこかに大学へ行ってみようかと思うことはあるのですが。

 喫茶店に関して、私の同時代の年代は喫茶店世代とも言えるかもしれないくらい、街には喫茶店がたくさんあった。大学時代の京都はまさに喫茶店文化が生活に同化している感じで、特別取り上げることもない当たり前の光景として喫茶店がそこにはあった。
 
 この四方田犬彦氏の本は大学時代の先生の話ですが、高校時代の四方田犬彦氏の話も読んだことがあり、その後の氏の大学時代へ続く話として読めます。しかし、時代背景と自らの体験としての時代背景を共有したものとして、行間の後ろにある心象を垣間見える瞬間が楽しめる本です。この時代背景の共有というのは、本を読む上で特別なものに感じます。特に、私の同時代の人の文章に関して。

 その四方田犬彦氏の高校時代の自伝が、これです。


 
 

印象的なあの頃

2020-07-29 05:43:42 | 日記
 誰しも、自分の過去を振り返る時に、なぜか一番印象深く残っている時期があると思います。あなたの場合は自分のどの時期でしょうか。私の場合は、高校1年生の時代です。

 そんな思いを起こさせてくれた本がこの本でした。
著者の本は、たくさんある中で、それほど読んではいませんが、ひょっとして、著者にとっての印象的な過去はこの時代にあるのではないかと、私自身の過去を思い出しながら感じました。

 私より少し若い著者ですが、教育環境はかなり異なっていると感じました。高校受験に際しての塾の存在など、田舎の私と埼玉という著者の違い以上に大きな差異を感じました。今の50代から60代の人でも塾の影響が大きく、その中学から高校にかけての時代に影響を与えていたのかと、少なからず大きな衝撃受けてのがこの本を読んでの一つの印象でした。

 著者の影響を受けた先生が、塾の先生という点で、私とは根本的に違いますが、それは勉強するスタイルにも大きな差があることを実感しました。なるほど著者はこんな教育環境で学んだんだと、そして中学から高校にかけての一番感受性の高い時期の教育環境はその後の自らの生き方の中にも大きな影響を与えるものだと、私のその頃を思い出し比較しながら、改めて同じ年頃の自分を思い出すのでした。

 私の場合は、基本的に授業を受けてその環境の中で、本を読んだりすることで、先生に教えられるというよりは自分で勉強するという環境でした。塾そのものがなかったに等しい状況でした。でも、本屋さんは今の時代と違って、確実に今より充実していたように思います。

 高校生になって、本格的に勉強を始めるような意識を感じていた時代でした。高校からの帰りの駅前のビルの書籍売り場は、高校の参考書に関して、私の高校の生徒を対象にしているのではないかと思うほど充実した品揃えでした。

 当時の有名な参考書が少し前から復刻版として発刊されたりして懐かしさを感じられた人も私の年代には多いのではないでしょうか。どんな本を使って勉強したのか少し思い出してみますと。

 数学は、最も時間をかけた教科で好きなこともあって、少しの苦痛も感じませんでした。本当にいつまでも考えることができた科目でしたが、最初の使った数学Iでは『数学精義(岩切精二著 培風館):格調高い雰囲気の本で、安っぽい感じでないのが印象的で、わかりやすさというより、大学の先生が書いた本格的な参考書でこれを何回も繰り返した覚えがあります。他にはチャート式数学I(橋本純次著 数研出版)有名な参考書で多くの周りの友達も使っていました。赤と黒の二色刷りで、ページ構成もすっきりしていて、所々のページに「極意」とか「納得」とかが書いてあり、わかるのだけどなぜが安っぽさを感じていました。英語は「新自修英文典」(毛利可信著 研究社)を中学3年から使い始めていました。まず文法をということからでした。この本の練習問題は英作文がほとんどなので、英作文の練習にもなりました。「新々英文解釈」(山崎貞著 佐山栄太郎 補著 研究社)当時オリオン社の通信添削を英語・数学・国語をやっていて、その旬報の多くの合格体験記で紹介されていて使い始めました。これも先の英文法の本と同様、製本も上製本で格調が高く、本格的な勉強をしている気分にもなりました。

 そういえば、最近はこんな製本も少なくなってきました。これも本屋さんが衰退して、出版事情の変化の一つの特徴かと思います。数学書に関しても同じような傾向が伺えます。

 私の場合、先生に影響を受けたというより、周りのクラスメイトからの影響が強く、勉強に関しても一緒に頑張れるという感じでした。クラスには、とても勉強ができて、本当に尊敬できる女の子がいて、いつしか一緒に帰ることもありました。時々、数学ではテストで勝つこともありましたが、英語はいくら頑張ってもいつも少し上をいかれて、それでもその子がいて、自分も頑張れたと思います。そんな子は今思い出しても、自分にとって忘れがたい一人の子です。時々、今どうしてるかなと思い出すこともあります。できることなら、もう一度その時代に戻りたい気持ちです。

 そんな時代もあったのかと、歌のフレーズもでてきそうですが、忘れがたい青春の一コマ、あの時、その時代は確実に誰しももっています。それをどう今思うかはその時の心情で変わってくるのは、同じ写真を見ても印象が違うのとよく似ています。



久しぶりの京都

2020-07-08 09:47:55 | 日記
 政府からのお金が入ったのを機会に,そのお金で本を買うと決めて,京都の丸善に向かう.昨年の12月以来かなと,この前の京都を思い出す.

 教え子が卒業する前にと,年末の京都で昼飯を食べながら,懐かしい話をしたことを思い出しました.この教え子は,教え子としては唯一,私と同じ学部・学科に進学して,さらには所属した研究室も昔私が所属していた研究室の系譜の研究室で,当時大学院の先輩であった,N先生が今はその研究室を引き継いでいます.

 その教え子は,高校時代は,確かに受験勉強もよくできましたが,それだけではない本質を突く質問をしたりするなど,それまでの優等生とは一味違った生徒でした.将来は日本を背負う学者として育って欲しいと密かに思っていましたが,結局大学院に進学するも一般企業に就職することになりました.それでも,企業でいい仕事をしてくれればと今は願っています.

 そんな久しぶりの京都ですが,車で,新名神を飛ばし,昼頃に上洛.早速腹ごしらえとして,中華料理店の眠眠へ.餃子と酢豚を注文.

 初めてこの眠眠へ入ったのは,高校2年の時に,友達に誘われて,京都の駿台予備学校で,冬期講習を受けたときでした.当時としては,高校生が予備校の冬期講習を受講するのは今と違って,珍しかったようです.12月の冬休みの2週間ほどの京都での生活は,初めての京都ということもあり,未だに脳裏にその印象が残っています.同じ宿舎には,兵庫県から来た一つ学年が上の受験生もいて,自然と話すようになりました.京大法学部を目指す高3生でしたが,我々二人はまだ高2でしたので,気分的にのんびりしていました.

 受講した講座としては,高2生用ものと違い,受験生用のものを受講したので,必然的に高3生と知り合うようになったようです.まだ高2だったので,数学は文系用なら対応できるということで,その試験演習講座のような講座と,英語は受験生用の英文解釈を受講しましたが,数学の試験講座では,その先輩より点数が良くて,その先輩がショックを受けていた思い出がありました.英語の英文解釈講座では,奈良教育大学の教授で,当時,旺文社のラジオ講座の講師をされていた先生が担当講師でしたが,受験用というよりは,英文を読むという感覚の講座でした.

 夜になると宿舎を出て,夕ご飯をいつもその眠眠で食べていました.特に餃子がおいしくて,毎日食べていました.しかし,今の眠眠の餃子と味とは違うようです.皮の薄さは当時と変わりないですが,具の味が薄くなった気がしています.

 大学へ入って,京都へまた来た時には,中華料理では王将があり,眠眠より安く,学生にとってはありがたい存在でした.当時の王将は今と違って,女性が入れるような小ぎれいな雰囲気ではなく,学生野郎しか入れないような雰囲気でした.そんな学生時代の印象は今も強く私の心の奥底に残っていて,それを頼りに京都を訪れる動機になっているようです.

 丸善も当時の丸善とは違って,一度閉店して,再度開店して,京都らしさもあり,以前とは格段のレベルアップだと思っています.時々東京へ行くときも,丸の内の丸善や日本橋の丸善にも立ち寄りますが,京都の丸善が後発ですが,洋書の数やその種類,喫茶店の内容,雰囲気も京都の丸善に軍配は上がります.

 今回は少し多く買う予定だったので,気持ちも大きく,いろんなジャンルを渉猟しながら買い物籠にいれていきました.特設コーナーでは「青土社」の本が並べtられ手あり,その中で手に取って思わず購入したのが,物理学者の佐藤文隆の回想録でした.
高校時代に,相対論の内容のブルーバックスの著者の本を読んだ記憶があり,湯川秀樹の一番弟子という触れ込みに誘われて買った記憶がありましたが,回想録を読むと必ずしもそうではない感じですが,湯川秀樹のノーベル賞受賞は日本人に大きな印象として誰しも強く共感を覚えた時代でありました.私の弟の名前も秀樹とつけたのは,湯川秀樹からだと小さい頃,親父から聞いた覚えがあります.
 
この回想録を読むと実際の著者の物理学者としての生きざまと時代の変遷がきれいな流れの中で,印象的に心に響いてきます.記述の中に,私の大学時代の大学院の先輩のMさんの名前も出てきて,そういえば,Mさんは物理関係で他大学から来られたのですが,なるほどと頷きながら読める内容です.私の所属していた研究室は工学部の数学物理系の学科に所属していましたが,その中ででも特に純粋の数学物理に近い研究室だったので,教授も理学部出身者が多く,なかには,逆に理学部の教授になられて先輩もいました.工学博士で,理学部教授も珍しいのではないでしょうか.私も,数学では二人くらいしか知りません.

 久しぶりに多くの本を買ったので,郵送で自宅に送ってもらうことにしました.丸善では,1万円以上だと送料無料で宅配してくれるようです.これは助かります.本屋で手に取って,これは読んでみたいと思う本は多いので,実際に手に取って,少し読んでみることは大切です.さらには,その本屋でどんな本が並んでいるかもそれと同時に大切なことです.多くの本が出版される現状では,すべての本を店頭に並べることはできないので,その中で,どんな本を店頭に並べるかは,その店の目利きの精度が試されるのではないでしょうか,もちろんその目利きと読者の自分との相性もあるとは思います.そんな目利きに引かれるのも京都の丸善ですが,東京では神田神保町の東京堂書店が私の好きな書店です.以前の東京堂書店は,数学関係の本は少なかったのですが,最近は少し多くなってきているのも助かります.

 地方の本屋は,ほとんど雑誌や新書文庫程度しか置いてない状況で,活字文化の衰退としか思えない現状にむなしさを覚えます.私の住んでいる三重県の松阪でも,私が高校時代には今から思い出しても,いい本が並べたる本屋も存在していましたが,今では,京都や東京へ足を延ばしたときに購入するか,アマゾンでポチッとするのが殆どです.地方の本屋さんの衰退は目を覆いたくなるほどの現状です.このことに関しては,今の高校生より自分の高校時代の方が良かったと思えます.

数学的な思考とは何か

2020-07-01 12:23:08 | 数学 教育
 名古屋の駅前のジュンク堂で数学所のコーナーで何気なく手に取った,長岡亮介先生の本です.今までも,何冊か先生の本は読んでいたし,基本的に納得する話が殆どで,自分の代弁者のごとく勝手に尊敬の気持ちを抱いています.

 この本は,いくつかの公演をもとに書籍化した本であり,実際に講演を聞くことが一番先生の意図が伝わるのでしょうが,書籍であってもかなりの部分で得られるところ大であると感じました.

 先生の著書としては,旺文社の高校数学教科書がまず挙げられると個人的には思っています.いわゆる「ゆとり世代」の数学教育に使ったものでした.いろいろと忘れられない思い出がある,ある意味特殊な教科書です.

 具体的には,背理法の証明の例では,素数が無限個ある証明が挙げられています.それまでの教科書では,2の平方根の無理数であることの証明が殆どでした.これなどは,著者の主張の一つの表れかと思います.また,誤植が多く,検定教科書としては異例でした.そのため,旺文社の営業担当者がお詫び行脚をされたとか,そんな噂を聞きました.私の学校のもとへは来られたのか記憶はありませんが.

 そもそも,教科書を採択する際,どのようにして高校現場では行われるのか.私の経験した現場でもまちまちです.いろいろな教科書を比較しながら,まじめに議論している場合もありますが,中には傍用問題集や参考書の関係から決める場合や,便利なソフトの関係で決める場合など,その決め方に関しては幅が広いと感じました.

 旺文社のこの教科書は,誤植は個人的には気になりませんが,著者の主張というか,執筆に際しての著者の気持ちの強さを感じた経緯があります.当時,筑波大付属駒場高等学校でもこの教科書が使われていて,その採択意図は実際には聞いてはいませんが,我々と同じ意識があったのでは感じています.

 教科書以外では,数学の参考書の所謂「黒本」といわれる「大学への数学」(研文書院)等も執筆されているのを知っていました.また,駿台予備学校でのカリスマ講師としても有名でした.他にも,「東大の数学入試問題を楽しむ」(亀書房)などがあります.


 今回の「数学的な思考とは何か」(技術評論社)は,上記の「東大の....」の続編とも私には思える一連の数学教育に関しての著者の主張を再確認できる本として,楽しく一気に読めました.

 今ちょうど,予備校では三角関数で加法定理の証明等を行っていましたが,ベクトルの内積を使っての証明法には,「なるほど!」と思わず膝をたたきました.教科書では,定理や公式の証明ではそれまでに習った,あるいはそれ以前教科書にならった事項しか使えないという制約から,証明としては,もっといい証明があるのにも思える得ることも多く,現場として教える立場からは,最も気になるところです.教科書が数学の体系とは違う中で編集されていることが,その主な原因であることは教える立場からは意識したいところです.ですから,高校3年生等で,総復習する場合や入試問題では,高校で習った数学的な背景をもとに証明しますから,教科書とは違った証明があり,時にはその証明がすっきりしている場合も少なくありません.例えば,三角関数の加法定理も,この本で紹介されているベクトルの内積を使う方法や余弦定理を使方方法(私の高校時代の教科書はこの余弦定理を使っていました)などいろいろあります.また,点と直線距離の公式の証明等も教科書でこの公式が出てきた時点で,ベクトルを習っていないという状況のもとで,ベクトルを用いないで,平行移動を使っています.しかし,ベクトルを使って証明する方が簡潔であり,さらに点と平面の距離の公式の証明にも使えて便利です.

 大学で数学を教えておられる数学者が,数学教育にも積極的にコミットして,長岡先生のように予備校で受験生にも実際教えられた経験からの提言には納得できることも多く,現場の数学教師としての視点からも思わず同意したくなる点が多々感じられます.


私のリメディアル教育(1)

2020-07-01 11:17:23 | 数学 教育
 今から20年ほど前に,高校の数学教員として現職のまま,筑波大学大学院で2年間数学研究をおこなった経験があります.いわゆる「二足の草鞋」といわれて,今では当時と同じようなシステムはないようですが,貴重な経験を積むことができました.

 現場での数学教育と数学教育といわれる大学の学問に違和感を感じた時期でした.また,数学教育学者と数学者の数学教育へのコミットの仕方や,小中の算数・数学教育と高校での数学教育での数学教育へのコミットの仕方の違和感から,大学院でそのことを確かめたい気持ちになりました.

 もっと根源的には,現場での数学教育に際しての教員としての数学的なバックボーンを高めてみたかったという動機がさらに強かったかもしれません.

 具体的には,当時「分数のできない大学生」等,数学者から現状の数学教育への積極的なコミットが出始めていたことも大きかったと思います.

 小中学校の数学教育を高校現場から見て感じていたのは,数学的な専門性を殆ど度外視した,数学教育学者(大学で数学を教えていなくて,数学教育を教えている先生)による,文科省の学習指導要領の伝達講習的な研修等や教育委員会の事務局の指導主事等が行う,同じような学習指導要領の上意下達式の伝達研修等が現場感覚から遊離しるというものでした.

 一方,高校現場では数学的な内容を日頃からまじめに教材研究の中で研鑽している教員もいる中で,数学教育を語る際に,学習指導要領を錦の御旗のように,金科玉条のごとく,自らの拠り所として議論する教員もいるなど,主義主張の議論も多くある中で,数学的な共通認識での話がなかなかできない状況は,今もあるのではないだろうか.

 そんな現場感覚から,根源的な数学教育,数学を学ぶ中で現場の数学教育で何が大切なものであるかを自分なりに研究してみたい気持ちが強くなり,学びの場を大学院に求めました.

 現場での数学教育,特に高校現場での経験は十分にある状況でしたので,数学教育に関しては,実戦経験もあるので,大学での数学教育とはいかなるものかをある程度期待しつつ,しかし,当時でも薄々感じていた,数学教育への違和感の確認もしてみたいという気持ちでした.そして,もっと広い視点での教育的な視点から現場の教育を客観的に分析してみたい気持ちもありました.特に意識していたのは,教育社会学的な視点からの高校教育でした.大学入試などは特に教育の本音と建前が交錯する場面であり,そこでの切り口から生の教育現場の実態をいろいろな視点から検証してみたく感じていました.
 
 そんな意識の中での共通タームは数学であるべきであり,その共通タームを磨くことなしに,数学教育を分析できないと考えて,特に数学研究を軸足を置きました.具体的には,数学では計算機代数という分野のグレブナ基底の研究を行いながら,高校数学教育への応用を具体的な教材の研究の中に求めつつ,教育社会学の研鑽を積むことにも心がけました.その中で,計算機代数では当時の佐々木建昭教授の研究室での研究と,教育社会学での門脇厚司教授の講義を通してのスキルアップが中心でした.(続く)