受験勉強から学びのきっかけを掴むことは、だれしも経験があることですが、私の場合は、日本史に関しても特に強く感じています。小中学校とは違って、日本史の中で、特に明治以降の近代史に関して、殆どが高校の日本史で学んだとも言えます。
しかし、学んだという背景には、授業で教えられたとかというのではなく、自ら教科書等を読みながら、史実を覚えながら次第に歴史の流れを自分なりに掴んでいくという経験を受験勉強の中で学んでいったと言えます。
昨今、近代史の教科書の中における扱い等の議論の中で、歴史教育の見直し等も議論されたりしますが、議論をする当事者たちは高等学校の教科書を授業で教えられたことで、自らの歴史認識が構築されたとは思っていないにもかかわらず、歴史教育を見てしまう傾向があるとように思います。確かに受験勉強で多くの知識等は身についたと実感している人は、私自身を含めて多いとは思いますが、それが学校で教えられたと結び付けるには無理があることもわかるはずです。
実際、私など理系の受験生は、今と違って、社会科として、地理、世界史、倫理、日本史、政治経済とすべての科目を履修しました。受験科目も日本史でしかも文系と同じ記述式問題でした。実際の授業は、日本史は江戸幕府の寛政の改革辺りで、授業は終わって、それ以降の歴史に関しては、自分で教科書を読み、資料集も参照しながら、自学自習でした。
日本史に限らず、多くの科目に関しても、同じような状況でした。そんな自らの経験からすると、確かに今の受験生は、学校で、塾で、丁寧に説明を受けていますが、逆に自学自習という面での学び方に関して試行錯誤するという経験が少ないように感じます。自学自習は何をどう勉強するかという出発点から考える必要があり、また試行錯誤も伴います。しかし、この試行錯誤の経験は勉強をするうえで大切なことであると思います。効率だけの中からは,なかなか学問や学びへのモチベーションにつながらないように思います.
教えてもらってなかったら、自分で勉強するということの大切さは忘れてはいけないと思います。教えてもらってないと愚痴をこぼす生徒は、殆どが教えてもらったことも忘れています。自分の胸に手を当てて考えれば、わかることです。自戒を込めて。
丁寧に教えてくれる先生がいいとは必ずしも言えません。学ぶ意欲を喚起してくれた先生がいつまでも心に残っているのは、私の経験からも癒えます。
私の高校1年生の時では、数学のN先生でした。非常勤講師の先生でした。週に3回、2時間都築の授業でした。特に黒板に書いて説明をしてくれるわけでもありません。2時間続きの授業で、50分の授業がおわっても、職員室へ戻らず、教室にいて、休憩していて、質問を受けたりしてくれました。そんな中で、ふと話してくれた話をいつまでも覚えているという経験は私だけではないと思います。時折話してくれた先生の高校時代の話など、今も脳裏に残っています。受験的なことを教えてくれるわけでもなく、自分で勉強したくなる気持ちにさせてくれた印象が強い先生でした。それに引き換え、高校2年生の時の数学の先生は、数学を教えるというより、数学の楽しさを教えるというより、ひたすら問題をやらせるという授業で、それをありがたく思っていた生徒もいたとは思いますが、私は押し付けられる感じで楽しくはなく、たまに先生に質問すると文句を言うという風に言われ、愕然としました。私は、その発想がどこから来るのですかと尋ねたのですが。総じて、今自分が数学の教師として、教えてきて思うことは、当時の私が教えてもらった高校の先生の中には、しっかりした数学的な素養がある先生はほとんどいなかったといえます。
その意味からしても、自分で勉強するという自学自習の大切さは時代を超えても大切なことだと感じています。数学や物理等の科目では、自学自習は難しいですが、日本史などでは高校生段階でも自学自習は可能だと思います。教科書を読んで史実を覚えながら、覚えてくると歴史的な時間の流れがわかってきて、加速度的理解が進んでいくのが実感でき、それが楽しさにつながります。
そんな自分が受験勉強で学んだ日本史でしたが、特に、興味があるのは、明治以降の近代史であり、それは自学自習の結果学んだものですが、折に触れていろいろな切り口からの話題を本から学んでいます。昭和史や、大正ロマン等は特にいろいろな切り口から学ぶ読む楽しさを今も持ち続けていられます。
毎年夏休みには、特に昭和史に関しての本を読むことが多いのですが、読みやすいのは、保坂正康氏や、半藤一利さんの本ですが、最近読んだのが、「近代史からの警告」(保坂正康著:講談社現代新書)です。
コロナ禍という今年の危機に際して、歴史的な特に日本の現代史を顧みての「危機」を過去からもう一度考察する中で、今の「危機」に対して、国が政治が、社会がどうあるべきかを考えるヒントを与えてくれています。5・15事件やその他の歴史的な事件とその危機に際して、どうであったかをいろいろ考察することは今の危機に際しての指針を与えてくれます。こうした考えを政治家や政府の要人、そしてじゃーまリズムにかかわる人間、社会の一般人、そして教育に携わる人がそれぞれ意識しながら考えることの大切さを教示してくれます。とくに、政治家こそ歴史に学ぶことで、未来への大きな指針を正しく見通せることを心してほしいものです。学術問題をはじめとするいろいろな問題等も歴史的認識や学問的な素養の重要さを感じさせてくれます。