数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

なかなか読み進めない本

2022-08-29 21:13:20 | 読書
 数学書は、なかなか読み進めないものですが、最近は、とにかく易しい本を読んで大まかに理解してから、本格的な本を読むことを進める数学者もいます。
 私の学生時代は、本格的な本を読まないといけないというか、それしか方法はないと思っていたのでしたが、確かに易しい本を読むことで挫折することなく勉強できることは大切ですね。生徒に教える立場になると、そのことはよく理解できるのですが、難しいものを理解することが大事みたいな、そんなやり方ではやはり挫折だけが待っているのでしょう。最近そういう視点で数学書を読み始めています。
 今回紹介するのは、数学書ではなく、読むのに時間がかかった本です。
 興味がある分野ですが、とにかく読みにくいというのがこの本です。400ページほどの文庫本ですが、引用文献が400ほどあるので、1ページに半分くらいが引用文であったりして、読み続けていくことが苦痛になるくらいでした。確かに文献を引用しながらの実証的な内容の本ですが、まあ、文庫本になるとは予想しないで、純粋な学術書として意識された本でしょうが、でもねと言いたくなります。
同じ内容の本でも下の本は読みやすく、全く印象が違います。読みやすいということも本として大事な要素だとつくづく感じた今回の本ですが、みなさんはどう思いますか。


終戦、守る?、戦死

2022-08-16 02:36:22 | 日記
 先日、父が94歳の誕生日を迎えました。母は93歳です。二人とも終戦時に17歳、16歳と言う年齢でした。耳が遠く今は会話もなかなか難しいのですが、頭はしっかりしているので、ゆっくり話せばなんとか対話もできます。
 父の兄は1945年にニューギニアで戦死し、母の兄は1945年8月13日に沖縄で戦死しています。以前沖縄に行った時に、沖縄戦で戦死した母の兄の名前が碑に刻まれているのを確認しました。母親は、あと二日で終戦だったのにと、この時期にいつも言っていたことを思い出します。
 私の先祖では、日清戦争で一人戦死していて、日露戦争では同じ村内の方が二人戦死しています。それも兄弟で。それで、その家は跡取りがいなくなるってことで、私の祖父の姉が幼女で、その家に行き、更に養子を迎えてその家は断絶を免れていて、我が家とその家は今も強い親戚関係にあります。その養女で行かれた方の息子さんが、実は私の仲人でもありました。そして、その日清、日露の戦死者の碑が村の石碑が立ち並ぶ一角に建っています。その隣には、第2次大戦で亡くなった方の慰霊碑も建っています。下の写真で、一番右が日清戦争、中2つが日露戦争、そして、左の大きな石碑に連連名で書かれているのが、第2次大戦での戦死者名です。第2次大戦での戦死者はあまりにも多いので、大きな石碑に名前のみが書かれているというわけです。


 私の住んでいる所は、今は戸数50軒ほどの村ですが、第2次大戦で戦死者の数は、30名ほどになります。その年代のほとんどが戦死しているという状況です。あまりにも戦死者が多くて、初盆供養も数が多すぎる関係で、村の自治会で行なったということでした。その関係で、今も初盆送りは自治会が主催で行うということになっています。
 父は、終戦近くに、特攻隊の試験を受けに広島の呉に向かったらしいです。祖父は父に向かって、父の兄も戦死したので、お前まで死なすわけにはいかないので、試験では○ばかり書いて落ちてこいと言ったそうです。しかし、純粋な父はどうせ死ぬのだから(これが当時の青年たちの思い)という気持ちだったようです。大阪から広島に向かう列車の中は満員で疲れもあって、父は列車の通路で床に腰を下ろしていました。そしてそこに通りかかったた憲兵が親父の胸元を捕まえて、「貴様それでも日本男子か!」と言って殴ったそうです。親父は唇から血を流し、黙って首を垂れているだけだったそうです。そしてそのとき思ったそうです、こんな輩に殴られるなんてたまったものではない、自分は将校になってこいつらを殴り返してやると。そして父は呉での特攻隊の試験では○ばかり書いてきて、試験に落ちることになり、旧制中学を卒業して専門学校に入学することになりました。いまの電気通信大学の前身である電波講習所で大阪の校舎でした。父は、1945年の3月に旧制中学を繰り上げ卒業して、4月から大阪の上記の専門学校に入学したのです。大阪では空襲にもあい、食べ物もなく、苦労したそうです。8月に終戦、9月には福井の駐屯地へ行く予定になっていたそうですが。  勝った負けたより、終わってホッとしたと。そして、翌日、それまでその学校たくさんいた憲兵達はいつの間にか、誰一人いなくなっていたそうです。
 昨今の評論家の中でも、日本が攻められて、侵略されてきて、守るのはどうすればいいかということを耳にします。しかし、守るとはどうすることかな。迎え撃つということで戦闘状態になることです。いまのウクライナを見ればわかります。しかし、ロシアにしても、第2次大戦時のナチスにしろ始めた方は侵略とは言いません。かつての日本もそうです。終戦の日、父や母は負けて悔しとかそういう気持ちはなかったと、ただ戦争が終わってホッとしたと。死ななくて済んだと。
 いま右翼系の評論家の中には、負けたことがその後の東京裁判等での判決を見てもその影響があるといますが、仮に、日本があの時、奇跡的にその後、勝ったとして、終戦時に日本人は勝って良かったと思うのか?父や母の言葉を聞いてもそうは思えない。戦争が終わって良かったと思うでしょう。勝ち負けではなく、戦争そのものをなくすことが大事で、当時のアメリカでも戦死者の家族は戦争で家族を亡くした悲しみの方が大きいと思われる。戦争を人ごとと考える発想をやめるべきですね。自分が戦死する、家族は戦死するという前提で考えるべきです。
 父は、その後専門学校を卒業して、今のNTTの前身に就職も決まっていましたが、兄が戦死して、田舎では跡取りがいないということで、泣く泣く、実家に戻り、農業につきました。実家に帰って来た頃には、悔しくて、専門を生かしたしいことに未練もあり、ラジオを組み立てたりしていたそうです。また、大阪での苦学の時期に同じ学校でよく一緒に勉強していた友人のDさんの話をします。数学のD、電気のM(父)と言われて将来を嘱望されていたそうでした。父達は、ある時期、当時の数学者である掛谷宗一から数学を教えてもらったと聞きました。そんなことが私自身が数学と関わるきっかけの一つにもなっていると思います。そんな父の数少ない友人のDさんも7月に亡くなられたという手紙を受け取りました。父に渡すのも辛いものでした。
 また、父の旧制中学の同級生の親友でその後東大の第二工学部から、日本電装に就職し、その後社長、会長を勤められたIさんとも、同窓会や年賀状で交流を努めて来ましたが、数年前に亡くなられて、だんだんと父の知り合いも少なくなって来ています。そのIさんが卒業された東大第二工学部は今は東大の生産技術研究所になっています。
ここには、そんな戦争に振り回された第二工学部のことが詳しく書かれています。編者の一人は、私が学生時代、その方の著書も少し読んだ記憶がある方です。時代が進んで、私の娘が大学院で所属した研究室が、その生産技術研究所の中にあって、機械系ということもあって、父は、上記のIさんにあって、孫娘がIさんの後輩にあたると言って、楽しそうに語っていたそうです。そんな父も、だんだんと弱って来て、来年の終戦時までは無理かなとも思われます。
 戦争というものが日本では風化されていきつつある中で、戦争のイメージすら勝手な解釈されて行く中で、実態すらはっきりしなくなって行く中で、折に触れて考えることで、きちんと記憶していきたいものです。そんな思いは、私だけではないと思います。
 


甲子園は清原のためにあるのか

2022-08-08 19:32:04 | 読書
 このフレーズが思い起こさせる季節がきました。甲子園の中継の合間に過去の名勝負をハイライトで紹介してくれていますが、私にとっては、やはり箕島対星稜戦ですね。また、当時は阪神より強いと言われたくらい桑田清原のPL学園の強さも印象的でした。
 そんな当時の清原と対戦した投手達のその後と清原との対戦の思いを取材した本が、
です。今の清原を描いた以前の本より読みやすく、1時間で読める内容とインパクトの強さがあります。また、清原との対戦が投手に与えた影響をリアルに取材からうかがい知れる本です。スポーツの魅力、そして人生に与える影響を伝えてくれる本です。それぞれの年代の人に自分なりに読める本ではないでしょうか。スポーツに打ち込んだ人なら共感できる内容です。思い当たる節がある人いると思います、スポーツに高校時代打ち込んだ人なら。

夏になると2

2022-08-07 11:04:12 | 読書
 第1次世界大戦は今から約100年前の出来事ですが、この3年間ほどのコロナ禍に関しても、100年前のスペイン風邪のことがよく話題になりますが、第1次世界大戦でアメリカの兵士がヨーロッパに持ち込んだとも言われています。その時代は日本では、大正デモクラシーの時代で、思想統制なども行われていた時代であり、米騒動を始め、普通選挙制度要求や、それに続く恐慌から戦争への流れ、そんなことを思い巡らしている。こんな時に、管政権時に行われた日本学術会議任命拒否問題に関する本として
を読んでみました。
 学問と政治に関して、今、戦前との比較で考える人が多いのではないか、少なくとも私の世代より上の世代の人では。
 年代的には、菅、安倍元首相なども世代的には、学問と政治に関しては高校時代には勉強していたら、つまり、滝川事件等などを日本史で勉強していたら、こんなことはしないだろうと思われることが少なからずある。そう考える人も私より上の世代では多いのではないか。
 もっとも、滝川事件当時の文部大臣は鳩山一郎で、鳩山由紀夫の祖父であるし、戦後京大の総長にもなった瀧川幸辰は、意外にも高圧的なというか、管理的な総長らしかったとも言われているが。
 私の学生時代は、時計台には白いペンキで、「竹本処分粉砕」と書かれていたのが、日常でした。たまに時計台の前で、学生側と教授とで断交が行われていたし、教養部の1回生2回生の時はストで定期試験がなくなっていたし、授業料値上げ闘争もあったそんな時代でした。ストが可決されるのか心配で、代議員大会に出ていたこともありました。可決された翌日の朝には、綺麗にバリケードストになっていました。いつ椅子など積み上げたのかと思いました。もっとも、「竹本処分粉砕」も大学当局が消すと、翌日にはまたその特徴的は書体で書き上げられているという噂でした。
 授業料が値上げされるようになったのは、国会審議をしないで、文部省通達で値上げが可能に法令改正が行われて、その後一気に授業料の値上げが毎年のように行われていったのです。ちなみに私の時の授業料は年間3万6千円でした。月3千円です。一日バイトすれば、1ヶ月の授業料は稼げたものです。自動販売機の缶ジュースなども100円で今と変わらなかったです。授業料はいま国立大学で50万ほどですね。15倍ですね。
 70年代から80年代にかけては授業料も上がり、国立大学の医学部が新設され、浜松医科大、旭川医科大、宮崎医科大学が始まりで、南から琉球大学医学部、大分医科大、佐賀医科大学、島根医科大、高知医科大、香川医科大、福井医科大、山梨医科大学などが新設され、その後地元の国立大学の医学部に合併されたりもしました。それと並行するように、90年代にかけて教養部が廃止され、総合人間学部や、情報文化学部などの学祭的な学部へと変わって行きました。さらに、90年代から大学改革が行われ、独立法人化が進み、改正学校教育法や大学院重点化などとともに、国立大学には民間的発想の経営手法や第三者評価による競争原理の導入、資金の選択と集中、運営交付金の毎年1%の削減と競争的資金の拡充、中期目標中期計画の策定などによって、そのあり方を一変させることになる。
 最近の30年間の日本の成長率の減衰と上記のような大学を取り巻く環境の変化は同期しているように思えます。ときを同じくして、日本製とか、日本のもの作りとか、日本の技術力とかを賛美することが多くなってきたのもですが、それは現実には日本の技術の進歩の鈍化を逆説的に示してきたのではないかと考えます。大学生の政治意識も低下して、学問を学ぶ真っただ中にある学生から学問の自由を論じることで、学術会議の任命拒否を考えることもなく、我々の世代からすると学生は何してるんだと思えなくもない。歴史を紐解くことで、今からの将来に不安を覚える昨今の日本の状況に情けなさを憶えてしまう自分がある。
 


夏になると

2022-08-05 09:28:17 | 読書
 夏になると、思い出すのは甲子園と戦争。地元では三重高校が2年連続で甲子園出場を果たした。三重高校の甲子園でのイメージは、初戦では負けない。期待したくなるそんなイメージです。春の選抜優勝を始め、夏の準優勝、大阪桐蔭との熱戦を最近ではイメージする人も多いのではないか。

 甲子園といえば、「甲子園は清原のためにあるのか」の名セリフが思い起こさせるPL学園も忘れられない。さらに私の少し下の世代では、箕島と星稜の熱戦を思い出す人も多いのではないでしょうか。私は当時友達の家でこの箕島と星稜の一戦をテレビで見ていました。箕島の島田捕手(のちの阪神)の9回2アウトランナー無しからの同点ホームランや、落球後の山口選手の同点ホームランなど、友達と絶句して顔を見合わせたことを今だに思い出されます。

 そんな中でも、K Kコンビの清原のホームランはその後も何回もこの時期になると放映され、また最近では動画で何回も見ることもできます。そんな清原がプロを経て、引退、そして覚醒剤での逮捕と時代とともにイメージも変わりつつ記憶に残っていきます。

 そんな清原の逮捕後の生き様を過去を照らし合わせながら、どちらかといえば、影の部分に焦点を当てた本が最近出版され、読みました。それが
 
です。著者は以前このブログでも紹介した
の鈴木忠平氏です。落合のその本は、とても印象的で、そのことは以前のブログで書いていますので、参考にしてもらって、この本は確かに文体は似ていて引き込まれるところは前著と変わりませんが、いまいち時間的な前後からのアンバランスさを感じて前著ほどのインパクトの強さはありませんでしたが、それでも他書にはない新たなスポーツドキュメントの分野の書として多くの人に読まれると思います。雑誌「ナンバー」の記事を読んでいる感じがするともいえます。300ページほどの単行本ですが、1日で十分読み切れる内容でもあり、このところ読んでる本に比べればなんと読みやすいのだろうという思いがします。次回ではその本も紹介しますが、読みやすい本も大事ですね。そんな思いを新たにしてくれた本でそれは前著でもそうでしたが。今年はどこが優勝するのか?もうすぐ甲子園。