数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

高校数学と大学入試数学

2024-07-02 16:02:52 | 数学 教育
 そもそも、数学に関して高校数学とか大学入試数学とかが、別個にあるのではなく、ここでは、高校数学教育と大学入試の数学についての関連を、思うところを中心に書いていきたいと思います。
 高校までの数学教育に不満をもつ数学者は少なくないようでする。仕事柄、予備校での入試懇談会等で、大学の数学者と高校の数学教員と話す機会があった際に、それぞれの立場から、大学入試の数学を接点として、大学の数学教育や高校の数学教育に関して、それぞれの立場からの意見を述べながら、数学教育に関して率直な意見交換をしたことがこれまでもありました。
 最近では、こうし交流も行われるようになり、それは大学側も高校側もそして、予備校側にとっても、なかなか有意義なことと思われます。現実には、大学側と高校側は、お互いの数学教育に関して、数学教育を担当する教員同士が意外と相手側の実情を知らないのが現状です。
 一方、受験情報に関して、予備校側と高校側ではかなりの意思疎通が行われており、予備校側と大学側とはあまり交流は少ない。ただし、医学系の予備校と私大の医学部との交流は盛んであり、高校と私大の医学部との情報交換は少なく、予備校を通しての2次情報が高校側に伝わってくるのが現状のようです。ただし、大学の学問的な情報に関しては、予備校もほとんど持っていなく、高校側の個人的な教員の情報に依存しているのが、現状であり、その質的な面では、今も昔もなかなか個人レベルを脱していないのではないか。結果として、模試による偏差値によるランクでの難易度を基に受験指導や志望校決定が行われているといえます。
 さて、数学教育に話を戻して。受験のための数学に対しては、数学者のみならず、一般にはあまりいい印象がないようですが、大学の数学者が入試問題を作ってその答案を採点しているのであり、高校側から見れば、それに合わせて対策をしているだけだと言いたくもなりますが・・・。
 笑い話になりますが、以前、大学の数学者と高校の数学者で意見交換した際、ある私大の大学1年生の微積分を担当している先生から、高校で、基本的な微積分の定理の証明を教えずに、とにかく計算ができるような教育が行われている結果、入学してきた学生は、まったく基本的な定理の証明もできなく、計算しかできないと言われました。で、大学でどうその学生達に微積分を教えているのかと聞くと、定理を理解できないから、とりあえず、計算だけでもできるように指導してると。なんじゃこりゃといいたくなりました。
 さらに、最近の学生は全く勉強しない、高校でどんな教育をされてきたのかと。でもね、合格させたのは大学なので、入学してきた学生の悪口を言う前に、教育を責任もって行うのが筋ではないのかと、口には出しませんが、言いたくもなります。高校でも、大学でも、入学を許可した限りにおいては、その生徒・学生に対しての教育は責任をもって行うべきであり、そこは共通の思いを持ちたいものです。
 そんな思いから、以前ある大学の数学の入試や数学教育に携わったことのある数学者と、高校の数学教師とで、私的に懇談会を持ちました。前提条件として、大学側へは、遠慮なく大学の数学の内容に関しても話しながら、一方高校側も大学の数学について十分な見識のある教員を出席させるという条件で、遠慮なく話してもらいました。さらに、大学の数学の講義も見学させていただきました。ちょうど学習指導要領が変わり、行列が高校の教科書からなくなり、
大学で線形代数の講義で一から行列を講義する必要になる時期で、大学の先生はその行列が高校数学から削除されたことをご存じなく、これはえらいことになるとおっしゃっていました。高校教育と大学の数学教育の接続を考えた場合、微積分と行列(線形代数)に関しては、密接な関係があり、お互いの教育事情の共通理解が大切であると思われますが、なかなか理解や意見交換ができる場が少なく、今後の課題とも言えると思います。
 さて、大学の先生が高校の授業を見学されて、ご意見をうかがう機会があっても、逆に、高校の先生が大学の数学教育の場を見学する機会は少ない中で、上述の大学で講義見学をさせて頂き、感謝するとともに、意外な驚きも経験しました。
 ちょうど微積分の講義で1年生を対象にしたもので、コーシーの平均値の定理からロピタルの定理を導き、その応用につなげるというところでした。
そのロピタルの定理の応用例として、講義では
lim_{θ→0}(sinθ)/θ=1・・・(*)
の証明に使われたのには驚きました。何故驚いたかは、ある程度数学を知っている人ならわかると思いますが、(*)は
 (sinθ)'=cosθ・・・(**)
の証明をするときに使われる公式なのですが、(**)を使って(*)を証明するのはいかがなものかと思います。残念ながら、学生の方からは何も質問が出ませんでした、ある程度レベルの高い大学でしたが。
 高校でも、進学高校では、ロピタルの定理は生徒の紹介しますが、その証明にはコーシーの平均値の定理の証明も必要で時間的な制約もあり、紹介だけにと止めているのが、私の実情です。
 ところで、このロピタルの定理に関しては、高校の数学教員間では、これを大学入試で使っていいのかどうか、というのが昔からよく議論になって来ました。使わなくてもできるのが入試問題なのですが、ここから派生して、そもそも高校で習わない数学の内容を大学入試で使っていいのかということが、日常的に高校現場では話題に上がります。下に紹介する本では、どんどん使って構わないという見識ですが、高校現場の先生の多くは、特に数学的な見識が乏しい先生方は、使ってはいけないといいます。
 ある時、この議論が起こって、たまたまその現場にいらした地元の大学の数学の先生に聞いたら、どしどし使ってもらって構いません。そういう積極的に数学を勉強している生徒さんは歓迎したいと。おそらく多くの大学の先生は、このような意見に近いと思います。その意見を聞いても、それでも大学入試では使えないという先生は、聞く耳を持っていませんでした。入試で採点するのは高校の先生でなく、大学の数学者ですから、その意見は尊重したいものです。こんな話も高校の数学の授業で話しながら、そんなときだけ目を輝かす生徒もいるのですが、そんな高校数学教育の現状に関しても、今後発信していきたいと思います。
 ところで、最近世界的な数学者のエッセイを読む機会がありました。
ですが、数学のアカデミックな場での、あまり一般には知られてない実情が紹介されて、また筆者の広く深い見識がわかりやすく伝わってきています。数学に関係されている方には是非一読をお勧めします。この本から、高校の数学事情に関しても、同じような視点から紹介していければと思ったきっかけをいただきました。
 



数学は科学の女王・・・(2)

2024-07-01 12:59:56 | 数学 教育
 吉永氏の

の本の左の方が最初に書かれた本ですが、こちらの方が勢いがあり、熱意が読み手まで伝わって来そうな感じですが、同氏や私の在学中には広中平祐先生がアメリカから日本の京大に戻って来られた時期で、フィールズ賞と文化勲章を同時に受賞されて、その若々しい姿が印象的でした。文化勲章の受章者では最も若い年齢の受章者ではないでしょうか。私は直接広中先生から講義等は受けていませんが、日本の若者にセンセーショナルな印象を与えたと思います。また、当時ミノルタカメラ(今はソニーに吸収された)のテレビコマーシャルに出ておられたと記憶しています。数学者がテレビコマーシャルに出るなんて、それ以前もそれ以降もお目にかかっていません。1970年代の後半とはそんな時代でもあったのです。広中先生は京大の大学院生の時に、世界的な数学者のザリスキーが京都に来られた際に、ハーバード大に来るようにと誘われたようです。ザリスキーに関しては、

がありますが、その監訳者が広中先生で、巻頭に監訳者のことばとして、ザリスキーの生い立ちが紹介されています。ザリスキーは今のベラルーシの生まれで、その後、故国を追われるようにして、イタリアに逃れます。それはザリスキー自身がユダヤ人であったことからで、その後も、ムッソリーニ政権とナチスのヒットラーの影響から、またイタリアから逃れ、アメリカにやってきて、ハーバード大学の教授として安住の地にたどり着いたというのですが、ユダヤ人としては、初めてのハーバード大学の教授だそうです。その愛弟子の広中氏を始め、マンフォード、更にはグロタンディエクなど次々と彼の弟子からフィールズ賞受賞者が出ています。
 この「ザリスキーの生涯」の内容は、その日本語訳も滑らかで読みやすく、数学者だけでなく、英文学者も翻訳に携わっている関係で、ぎこちなさがなく、読みやすくなっています。はやり、数学的な内容も含まれていても、数学者だけでの翻訳は、日本語としての滑らかさ等を考えると、このように語学の専門家が協力することで、更に読みやすくなると思います。
 同じような数学者の伝記として、読みやすく、したがって感動さえ覚えた本として
があります。これは20世紀の世界的な数学者であるアンドレ・ヴェイユの伝記ですが、原本はフランス語ですが、この日本語訳が素晴らしく、時間をかけて翻訳されたことが伝わって来ます。フェルマーの最終定理の証明に貢献した、「志村・谷山予想」とかかわりのあるヴェイユの生き様には、同じユダヤ人として苦労したザリスキー以上の苦悩の人生が伝わって来ますが、妹の哲学者シモン・ヴェイユの方が文系の人には馴染みがあるかもしれませんが、そのシモン・ヴェイユにしても、兄のアンドレの天才ぶりに劣等感を憶えたという。フランスではパスカル以来の天才として、飛び級を重ねて大学に入学して数学者として羽ばたいていく兄の姿は、妹としては苦しい自己嫌悪にも近い思いを抱いていたのでしょう。ユダヤ人として収容所送りになる直前に脱出して故郷を離れ、最終的にはアメリカという安住の地に辿り着くのでした。そんなアンドレ・ヴェイユは、1955年に日本の日光で行われた、戦後最初のの国際会議で、日本の若手の数学者の谷山豊が提出し、その後、志村五郎が定式化した「谷山・志村予想」を目の当たりにして、その後の日本人数学者が世界に羽ばたいていく中で、その指導的役割を果たすのでした。これまでも、志村五郎の本に関しては、紹介してきましたので、過去のブログを紐解いてみてください。
 一方、数学者が翻訳した数学者の伝記では、
等は読みやすく、おすすめですが、他にも、
等も数学関連の読み物としては、惹きつけるものがあります。読みにくかった本として、その日本語訳がですが、
の日本語訳の本
は、私には読みにくく、もう少し時間を掛けて、訳してほしいと感じました。せっかく日本語訳するのですから、直訳ではない、滑らかな日本語訳を期待します。尤も、そんな時こそ、原本を読むチャンスかもしれませんね。この原本の、日本人数学者の高木貞治の記述に関しては、ある日本人数学者が以前書いた文章の英語訳ではないかと思われるので、その文章のコピーを日本語訳者にお渡ししましたが、その後、何の返事もなく、どうだったのかな。
 名著といわれるものは、その翻訳もいい加減では済まされないと思われるし、逆に日本語訳が素晴らしくて、原本の価値も高まると思われます。そういう視点で数学史や数学者の伝記を読むのも面白いかもしれません。また、読み返してみることで、再発見をすることもあり、初読から時間をおいて読み返してみると、当時は数学的な素養が無くて理解できなかったところが、新たに理解できる喜びもまた楽しからずやかな。




数学は科学の女王・・・

2024-06-18 16:37:25 | 数学 教育

「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である。女王はしばしばヘリ下って、天文学や他の自然科学に奉仕するが、最上席は常にこの女王のものである。」という、ガウスの言葉の引用から始まるこの本は、世界的に有名な数学史の著者で数学者でもあるE.T.BELLが1950年に書いた本です。数学史といってもいろいろな書き方がありますが、大きくは、数学者についての時系列な記述のものと、数学的な内容に関しての時系列な内容に、大きく2分されますが、この本はどちらかというと、後者になります。

 実は、同じ著者による、大戦前に書かれた
は、前者に分類されます。世界中で読まれているこの数学史の2冊は数学に携わる者としては、一度は目にした本であると思います。ここでは、主に前者について。
 まず読み始めて、思うことは日本語訳の滑らかさというか、その素晴らしさによって、だれにも読みやすく身近に感じられると思います。

 そして、まず読んでいただきたいのが、巻末の「解説」です。これを読んでから本文を読み始めるのも一つの方法かと感じます。Ⅰに関しては、東海大学教育開発研究所の中村儀作氏の解説です。氏は私より先輩の世代で、数学啓蒙に尽力され、数学教育に携わってきた私も、何度か目にした名前で、数学パズル等に関してなど、著書もたくさんある方です。一方、Ⅱの方の解説は、大東文化大の吉永良正氏で、京大の私の先輩にあたる方で、私世代の方です。特に、初めて吉永氏の著書を読んだ時の感動は今も思い出されます。その本が、
特に左の方は、1990年に書かれて、ちょうどその年に日本で3番目にフィールズ賞を京大の森重文教授が受賞されて、その感動の気持ちを込めて、数学のすばらしさをその熱意と数学への憧憬を込めて生き生きと描かれていて、読者も同じ感動を覚えるほどでした。そしてそんな思いを高校生にも伝えていきたいと再確認した本でもありました。このような本はその後はなかなかお目に書かれなくて、今でも高校生に薦めたい本です。
 さて、吉永氏の解説の中で、「亜流ではなく大家を学べ」というアーベルの教訓は、数学の専門研究だけでなく、啓蒙書や読書一般にも通じる心理と思うという言説はまさしく真であると思います。以下、その解説からの抜粋を記したい。
 数学は普遍的真理を探究するが、その探求は人間的営為であり、歴史性を持つ。つまりは、数学も時代の子である。その意味で本書は1930年代から冷戦時代にかけての、ひとことで言えば、「戦争の時代」の数学感や数学と社会との関わりが問わず語りのうちに語られており、深読みするなら生々しい現代史の証言として読むことは可能である。すなわち、冷戦時代に、数学と応用数学の在り方に直面して、本書はタイトル(数学は科学の女王にして奴隷・・・)からしてもこの問題に正面から向き合っている。それが時代の要請だったかもしれない。この点は数学をある程度学んだ人にしか実感できないかもしれませんが、そういう時代感覚が私自身の大学時代にも残っていて、吉永氏の解説には、私も同時代を生きた一人の数学徒としての同じ感覚がある。(続く)

2024年度東大入試問題から

2024-03-04 04:04:32 | 数学 教育
 この時期になると,京大や東大の入試問題を解くのが習慣になっています.高校の教師をしていると卒業式や行事に追われ,ゆっくりできないので,なかなか余裕がなく過ごしてしまいがちです.
 予備校では,逆に競ってこの時期に入試問題の解答を公開していますね.最近は,ネットで解説している動画も多いですね.
 しかし,私は,ただ解くだけなら面白くなく,その問題の背景などを自分なりに考え,その問題を基にして,数学の講義用の教材を作ったりしています.
 例えば,今年の東大の理系の数学の問題で,第1問は基礎的な問題で数学的には背景は無い感じですが,第2問は少し背景を考えさせられる問題です.予備校などの解答からではあまり,そのことは伺い知れませんが,河合塾の解答の補足では少し言及されているのです.
 最初にt=sinθと置換することで,その定積分で表された関数がy=tanθと直線で囲まれた面積の最大最小を問う問題であることが分かります.さらに,その面積を計算する中でtanθの逆関数を考えるとヤングの不等式を思い起こさせてくれます.そこで,受験生や高校生が意外と分かっていない逆関数についてもう一度復習する機会になります.尤もそれを意識させるかどうかは教師次第ですが.
 この問題では逆関数の積分を意識するとすっきり解けますが,予備校の解答ではそれは見受けられませんが,生徒に解説するときなどは教師側の準備としてもう少し掘り下げて予習しておきたいところです.この第2問はあとは計算だけになりますが,逆関数の積分のヤングの不等式を少し応用すると,いろいろな不等式が導かれます.それを紹介することで,十分な内容の数学の講義ができそうに思いました.
 ヘルダーの不等式やシュワルツ(Schwarz)の不等式,さらにはミンコウスキーの不等式を紹介し,その証明を考えることで,結局は入試問題をきっかけにいろいろ勉強できる教材を作れることになります.
この本は,東大生が1年時に使うことが多い演習書の中では最も難しいと言われている本ですが,この本の例題としてヤングの方程式が紹介されていて,少し記述を丁寧にすれば,意欲のある高校生や受験生にも十分理解でき,面白い講義ができそうになります.
また,
この本にも積分のところで,これらの不等式が練習問題にあります.高校のときの教え子から聞いたところでは,東大でも理一の1年生でこの裳華房の教科書が使われていましたが,この本の中では,lim_{θ→0}sin/θ=1の証明に面積を使わずに証明されていますが,面積は積分を使って計算でき,その積分は微分の逆演算なので,三角関数の微分のもとになるこの式を面積(=積分)を使って証明する方法をとらずに証明されている本としては珍しいと言えると共に,一つの見識だと思われます.微積分の本でこの難波先生の教科書と同じ証明をしている本は非常に少なく,一松先生の
 
と,笠原先生の
位しかありません.両先生とも大学時代に教えていただいたことがあり,今でも懐かしくその時の光景が浮かびます.高校で教えるときにも座右の書としてよく参考にさせていただいた本です.
 一松先生の本では左の新版よりの右の旧版のほうが良かったと,以前京大の上野健爾先生から聞いたことがありますが,とにかく博学でいろいろなことが記述されているこの一松先生の教科書では,πの無理数性に関する証明が,基本的な微積分でできる論文(1947年のI.Nievnによる)も紹介されています.また,円周率に関しては,上野先生の
この本に詳しく書かれていますが,この本では,付録に先のI.Nivenの証明も詳しく紹介されています.私自身,Nivenの方法の証明を基に,大学の入試問題を作ってみることを試みたことも有りますが,そんなことでも入試問題の研究になるかと思います.

 lim_{θ→0}sin/θ=1の証明に関してですが,以前,ある大学での微積分の講義を見学する機会がありましたが,lim_{θ→0}sin/θ=1の証明に先生が,ロピタルの定理を使っているのにびっくりするとともに,さすがにそれはないだろうと思いました.sinθの微分を考えるときに,lim_{θ→0}sin/θ=1を使うのだからこの式を証明するのにsinθの微分を使うのはあり得ないと思うのでした.
 ところで,シュワルツ(Schwarz)はドイツの数学者で,ヒルベルトよりは一世代前の数学者(20歳くらい年上)です.

 また,ミンコウスキーはヒルベルトの親しい友人の数学者です.


 シュワルツ(Schwarz)の不等式は高校でも教科書では記述はありませんが,参考書等ではよく見かける不等式でベクトルの内積や積分等でも見受けられますが,日本語でシュワルツと記述する数学者には,このヘルマン・シュワルツとフランス人の数学者で,第2回のフィールズ賞(1950年)受賞者で超関数(distribution)の創始者であるローラン・シュワルツ(Schwartz)

がいて,英語の綴りが微妙に違います.

 こんなことを思いながら,入試問題を解いていくなかで,その背景を意識することで,入試問題を解説するだけでない,そこから先の数学を学べるそんな授業をしてみたいと感じられます.
 そんな思いから入試問題を眺めてみると,また違った面白みを感じられるのではないでしょうか.
 


久しぶりの授業から

2023-01-23 08:47:50 | 数学 教育
 授業と言っても,家庭教師での話ですが,共通テストに集中するために,1か月ほど休んでいたのを再開しました.昨日がテスト後の最初の授業でした.
 教えてる受験生は,思ったほど点数はとれてなかったのですが,生物を選択して,物理との点数格差のために点数調整が行われて少し点数が上がって,東大のボーダー近くまで点数も上がり,志望校は変えずに東大を受験することになりました.
 1年以上前の11月から教え始め,3回ほどテーマ別で基礎から教えた後,1年たった昨年の11月からは,東大の過去問で毎回3問ほどテーマを変えた問題を演習しながらの授業です.
 毎回,東大の過去問を選択して,受験生に渡し,予習をして授業に臨み,私が解説しながら,時には演習しながら,1対1のゼミのような授業です.授業というよりは,大学のゼミという感じですね.高校や,塾や予備校でも,あくまでも1対多数の授業,講義というスタイルですが,数学の力をつけるのは大学の数学科でも4回生以上で行われるゼミが一番実力が付くので,それを実践していると言えます.何がわかっていないかを,自分で自覚して,その場で確認しながら,一歩ずつ前に進むので,教える側と学ぶ側の距離感もありません.
 私の家は田舎にあるので,広くて,ホワイトボードもなるべく大きなものを2つ使っています.すぐにマジックのインクが無くなってしまうのが,悩みの種ですが,受験生は,自宅から親に車で1時間をかけて送ってきてもらっています.ゼミの時間は,日曜の午前9時から12時までの3時間を一応の目安でやっています.このくらいの時間をかけないと,数学では効率が上がりません.
 私の方は,前日はその準備をします.問題を解きながら,その背景の数学を考えたり,講義録をTexで書いたりします.前回では,私の講義録の解答欄の余白に書いた「フーリエ級数」について,どんなものなのですか?という質問があり,高校3年生にフーリエ級数を,お話ではなく,数学的に説明するにはと考えて,過去に勉強した本なども参考にして,原稿を作ります.数学Ⅲで計算する三角関数の積分計算などを掴みにして,書き始めましたが,いざ書き始めるとこちらの頭の整理もしながらで,結構楽しいものです.いろいろな本でも説明はありますが,一番これはいいなあと思ったのが,「スミルノフ高等数学教程4」の6章の「フーリエ級数」でした.大学時代に読んだ本としては,
があるのですが,これよりはスミルノフの本のほうが読みやすいです.改めてこのシリーズ(日本語訳で12巻あるのですが)の他の巻も読んでみると,最初の1巻などでは通常の日本の数学書には見られない親切さがあり,初歩的なところから結構専門的なところまで説明がされていて,その素晴らしさを再確認しました.
 このシリーズを買ったのは,大学に入った頃だったのではないでしょうか.当時,私たちのクラスT6(工学部はTを頭文字に教養部ではクラスが分けられていました.理学部はSとか)は数理工学科の大半と他の工学部の学科で第2外国語としてロシア語を履修した学生のクラスでした.数理工学科の中の35人くらいと他学科の5人くらいだったと思います.入学当初に第2外国語の登録があって,その登録日に,工学部だからドイツ語かなと思い,登録用紙に「ドイツ語」と書いて持っていったら,教室で説明があり,最近の数理工学の世界ではソ連が非常に進んでいて,モスクワ大学でも数学力学部という学部が一番難関で優秀は学生が集まるので,出来たら皆さんはロシア語を選択してくださいという説明があったため,その時の多くの数理工学科の新入生はロシア語を第2外国語として登録をしたのでした.もっとも,後で聞くと,どうしても教養部ではロシア語のクラスを作る必要があったからだとか.真偽ははっきりわかりませんが,そんなわけでロシア語を第2外国語として学ぶ結果になりました.確か当時のロシア語の先生は上野修司教授だったと記憶していますが,自前で作られた教科書を使いながらの講義でした.教科書の口絵には京都の芸術家の作品の写真が載っていて,印象的な教科書でした.書斎を探してのですが,その教科書は見つかりませんでしたが,スミルノフ高等数学教程の原書版がありました.
    
日本語版は 
で,全12巻ですが,ロシア語で数学書を読んでみようと京都にあるロシア語の専門店に頼んで取り寄せてもらった記憶があります.結局,この1巻で挫折してしまったのですが,当時のロシアは紙の質が悪く,新聞紙のような紙質ですが,50年たった今でも読むことはできます.
 同じスミルノフですが,別のソ連の数学者の著書

が大学3回生の時に数理工学科のゼミが2つある中の一つで読んだ本です.もう一つのゼミは「待ち行列」の英語の本だったと記憶しています.数理工学科らしく,型にはまらない感じでいろいろ思い切った感じで勉強できる環境だったと思います.
 ところで,ロシア語の辞書に関しても岩波の露和辞典しかないような時代でした.確か,この岩波と三省堂のコンサイスしかなかったと記憶しています.
 「スミルノフ高等数学教程」をまた久しぶりに読み返してみると,例えば、一様連続の説明は親切で,なるほどとわかりやすく、その素晴らしさを再確認しました。フーリエ級数の話も理解しやすいように,易しく導く感じで書かれていて,日本の本には無い親切さを感じます。
 今と違って,私の頃の大学は,難しい本を理解するのが大事みたいな雰囲気で,大学の教養部の教科書でも高木貞治の解析概論を含め,難しい教科書ばかりが使われていました。これを理解できないのは、お前は阿保かみたいな感じでした。
 高校の教員になって45歳で筑波大の大学院の講義を受ける機会がありましたが,その時感じたことは,筑波大学の大学院の数学の内容は,昔の京大の教養部の2回生むけの講義と同レベルだと。京大で受けた講義は70年代の半ばで,
筑波の大学院で受けた講義はその後25年後のことですが,京大と筑波の学生のレベルの違いはあるとしても,講義内容が易しくなって来たのではないでしょうか。実際の大学の教員に聞いてみたいですが。
 総じて,日本語の数学の教科書より外国語の本の方が易しく書かれていると聞きますが、このスミルノフの本や,ラングの本

などを読むとそんな印象を持ちます。また,外国語の本を日本語に訳すと分量が1.5倍になるとある大学の数学の先生から聞きましたが,スミルノフやラングの本でも同じことが言えるかもしれません。
 ラングに関しては,大学の2回生のときに,自主ゼミがあって単位に認められることもあって,友人たちと,当時の鈴木敏教授にお願いしに行くと,ラングの「Algebra」を紹介していただき,1回目だけ,先生がゼミの進め方を説明していただき,その後は仲間と読んでいきました.仲間は同じ数理工学科の3,4人と理学部の3人くらいだっと記憶しています.
 3年ほど前に高校の教え子で東大の理1に進んだ生徒が,自主ゼミの話をしてくれて,その際に私の当時の自主ゼミの本であった,ラングの「Algebra」を懐かしく思い出して,話をしました.今の京大でも,このようなゼミはあるようですし,東大でも有志でこんな自主ゼミを開いているのを聞くにつけて,さすがだなと感じます.
 教科書に話を戻すと,高校の数学の教科書にしても,私ので高校時代の教科書の内容と今の教科書の内容を比べても今のは明らかに内容が少なくなって来ています。複素数平面,数列の極限,区分求積法は当時は数学IIBにあったので文系でも勉強した内容が,現在は,数学IIIに移行しています。微分方程式は数IIIからも殆どなくなっています。高校の参考書にしても,やたらと解答が厚くなって,びっくりするようなボリュームの本になっています.チャート式などは本と解答が別になって,同じくらいの厚さにびっくりです.例題の解答はまだしも,練習問題の解答は詳しくなくてもいいのではないでしょうか.逆に何とか解答の数値に合わせられるよう計算などに注意することで計算力もつけられると思うのですが,実際は自分で考えずにまず解答を理解して次に覚えていくようなそんな勉強方法になりつつあるのではと,危惧しています.
 いずれにせよ,大学生の勉強の仕方や受験生の勉強の仕方も変化が見られ,それに応じて教科書も変わってきたり,参考書なども隔世の感があります.そんな思いを持っておられる数学関係者もおられるのではと思いますが.どんな思いをお持ちか,聞いてみたいです.