数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

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2022-01-31 15:29:41 | 卓球
 昨日、卓球の日本選手権の男女シングルス決勝がNHKで放映されていました。ビデオで撮って後で観ましたが、男子の優勝した戸上選手が三重県出身で、男子シングルスでは三重県で初めてではないかと思います。女子のダブルスでは以前、西飯姉妹が3回ほど優勝していますが。

 この戸上選手が中学に入る時に、すでにすごい選手で、中学で戸上選手の相手ができる顧問というので、実は私の津西高校の時の教え子で、その後中学の先生になったSくんが急遽その中学に転勤になりました。戸上選手はその地元の中学を卒業すると全国的に有名な卓球の強豪校の野田学園に行き、高校総体でシングルス連覇、日本選手権ジュニアシングルスのチャンピンンになり、高校3年次は全日本選手権の男子シングルスで準決勝まで進み、あの張本選手に惜敗。そして、昨年はコロナで明治大学の選手が出場できず、今年の全日本でとうとうシングルス、ダブルスのチャンピオンになりました。昨年には、世界選手権で男子ダブルスで3位に入るなど、今後の日本を背負っていく有望選手です。

 さて、私は、教員になってから高校で卓球部の顧問をずーっとしていましたので、思い起こせば色々なことが走馬灯のように思い出されます。中学から大学まで卓球をしていた関係もあり、高校の教員としては数学だけでなく、卓球部の顧問としても、放課後は体を動かせるのに魅力を感じていました。振り返ってみれば、数学で授業や課外や補習を行い、放課後は卓球部の選手と一緒に汗を流しながらの毎日でした。

 最初に赴任した桑名西高校では、遠距離通勤で、すでに結婚していたので、津のアパートから朝6時に出て、桑名まで約1時間、桑名駅からバスで30分、そしてバスを降りてから15分の徒歩で山の上の高校に到着の日々でした。放課後は時間があれば必ず、卓球部の練習場に行き、7時まで練習。そして、帰りは同僚の先生が帰り道の近くの駅まで車に同乗させていただき、それが無理な時はバス、電車を乗り継いで、アパートに帰るのは9時は回っていました。

 1年後に子供ができ、家内も働いていて、実母に子供の世話をしてもらう関係で、実家(松阪)から車で、高速を使いながらの通勤でした。片道が90kmでした。時速90kmで1時間です(笑)。実際は2時間ほどでしたが。高速代はもちろん給料から出ません、通勤費も2万円が限度でしたが、実際は毎月9万円ほどの通勤費の出費でした。車が1年で4万キロの走行距離でした。今は通勤費ももっと補助が出ているようですが。生活は苦しかったので、家内の稼ぎで助けてもらっていました。

 土曜は最初は半ドンで、のちには月2日休みに、そして今は週休2日ですが、当時は、土曜の午後はゆっくり卓球部の練習。そして休日は公式戦と練習試合で全て潰れてしまします。手当はほとんど出ません。夏休み、春休みは、数学の課外補習授業と卓球部の練習、試合で全てなくなります。冬休みは、だいたい12月30日まで練習して、1月4日からまた練習開始でした。

 この桑名西高校は自分の最初の赴任高校でもあり印象的ですが、転勤後は一度も足を運んだことがありません。山の上なので、行く用もありません。一生懸命指導しても、若さだけでは選手の心を掴むことはできなくて、そこが今から振り返っても難しさと自分の未熟さが思い出されます。この学校には5年間いましたが、三重県でベスト8が団体戦での最高の戦績でした。個人では県2位まで頑張った選手もいました。初めて東海大会に出場した際に、ツテを頼って練習会場を確保して行った時、松下兄弟がちょうどその時同じ練習会場に来ていました。当時の男子の愛知県の桜丘高校は全国的に強く、前項のトップでした。そんな教え子も今は齢、50歳を超えています。どうしているのかな。(続く)



公平性とは

2022-01-12 12:43:30 | 大学入試
 今週末に迫った、共通テストに関して、コロナ禍対応で、2次試験のみで判定とか等を大学に要請した文科省のニュースが新聞等でも大きく取り扱われています。その中で、公平性がどうなるかという問題も指摘されている。

 実は、コロナ禍の入試だけでなく、現場に関わってきた人間として、この10年くらいの間で感じてきた入試での不公平感があります。その最たる問題が医学部医学科の地域枠推薦かなと。地方の医師不足から派生してきたこの地域枠推薦は、地元の受験生でも、田舎の受験生とかに適応されて、その受験生がある意味、低い点数でも合格できるというシステムです。我々の受験生の頃なら、ありえないシステムです。そもそも、受験では公平性等そのものが担保されなければ、その意義さえも否定されるものだからです。尤も、私の受験生の頃では私学の医学部では点数が低くても、お金で合格できるという学校も多くありました。したがって、そういう私学の医学部は偏差値も低く、評価も低かったものです。その後は、お金で入学させなくても優秀な受験しが集まるようになってきて、現在がありますが、一部では女子とか多浪生には不利な合否判定が行われていた(る)大学も存在していました(す)。
 
 そもそも、我々の受験生の頃(昔)は、国公立大学での推薦入試などは皆無で、面接で判定されること自体、そこに客観的な公平さが担保できないという見方が一般的でした。だから、少なくとも大学入試だけは公平で、そこに努力したものが報われるということの拠り所でもありました。

 確かに今の時代では、入試の成績も開示請求できたりしますが、私の地元の三重大学の医学科の推薦入試に関しては開示されません。これまでも、現場からも情報開示を要求してきましたが、透明性は担保されてないのが現状で、面接でも圧迫面接を通り越して、「君の姉の医学科の成績は悪いので困ったものです」等個人のプライバシーも全く無視した面接なども行われてきました。これは実際にされた生徒から聞いたことですが、就職面接で行われたら、即座に職安から指導が入るような内容です。

 
 今も昔も、変わらないものの一つとして、調査書があります。基本的にはこれを同封して出願するのですが、悪しき平等性の名残とも言えるのですが、現実に高校での学校間格差が存在している中で、違う学校の評定平均を同等に比べることはできません。しかし、文科省の指導のもとで同封しなくてはいけません。昔から、大学側もよく知っていて、多くの大学では一応同封されてくるものの、ほとんど入試の判定には利用していないのが現状です。その証拠に、中には高校教員が間違った内容を書いても、大学側から指摘もしない現状があります。調査書に関しては、履習条件だけで、評定は必要ないのではないのか、そんなところも早急に文科省は検討すべきだと思います。そもそも、生徒の学習状況等に関しても、担任が書くのはいいことばかりで、狭い記入欄にいかに文字を小さくしながら、その生徒に有利になるようなことを工夫して書き並べること、そこには本当かな?と思われることなどもあり、担任の創作能力の差が出ると言わざるをえないような現状もあり、それで評価がなされるのなら、そこには受験生の評価に関しての公平さがなくなるのではないかという問題があります。

 いずれにせよ、今に始まった事ではないものの、大学入試に関しては公平性を担保する努力はいつの時代でも必要ではないか。だからと言って、客観テストで判定するのではなく、記述問題で科目数を多くする中で、しかも高校卒業時点で、できれば3月に入試を行うことで、時間的な公平さも担保してほしいものです。年間数百億の予算で大学入試センターを運営する必要もなく、その予算を各大学に配分して、1回の試験で科目数を多くして、全問記述式にして行うような入学試験にしてほしいと思うのは自分だけだろうか。共通テスト、センター試験、共通一次試験がありきの世代の人からしたら、違和感があるかもしれないけど、今一度原点に戻って見直してみる必要がある。どこが原点かの問題も含めての検討も必要があると思う。

 そういえば、私の受験生の頃は東大に1次試験があった。知っている人も少なくなりつつあるのでしょうね。


新年に思ったこと2

2022-01-11 16:17:33 | 日記
 高校の進路情報を公開していない高校に関して、最近、神戸女学院高校がそうだということを知りました。そういえば、京大医学部にも進学者がいるようなので、それなりの実績があるように思っていましたが、昔のイメージではそのままお嬢さん学校の神戸女学院大学へエスカレートで進学する高校だと思っていましたが、そうではないのですね。昔のイメージで思い込んでいたのが恥ずかしい限りです。

 最近のネットでの受験情報やコメント見るにつけて思うことは、受験での模試の偏差値ランキングで大学を評価す得るような様子には首をかしげてしまいます。大学にはそれぞれ個性があり、その創設の校風などもあり、それを加味しての大学選択が今や絶滅危惧種的というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくなりつつあるのが気になります。若い先生方の大学に関する評価基準も偏差値ランクになりつつあるのも一つの言だと思います。その先生方を指導した我々の責任も痛感しています。 

 先の部活の顧問問題でも、進学高校では、ある時から、遅くとも我々世代から以降は運動部だと受験に影響するから入部するのは控えようとか、そんな風潮がありました。特に進学高校ではそうかもしれません。そうした生徒が大学へ進学して、その後、教員を目指してきますが、中学高校でスポーツの経験だけでなく運動部の経験もない中で、そもそも指導もできないのは無理もありません。もっとも、あるスポーツばかりしていても、違う競技の顧問になったら、全くできないような、これこそスポーツバカのような人もいます。特に体育の先生では。

 昔、私が大学へ入学した直後に体育の時間にスポーツテストがあり(今は体育とかるのでしょうか?)、そこでボール投げの測定時で、円盤投のようなサークルから扇型のエリアに向かっ投げる時、そのエリアからそれて投げてしまう学生に驚きました。その彼が曰く、俺は高校時代、弓道部だったので、ボールを投げるのは苦手だと。私が開いた口が塞がりませんでした。はたまた、ソフトボールをしていて、キャッチボールの時、体の正面に受けやすいように投げたら、そのまま顔面で受けて痛がっていて、思わず投げた自分がすいません。右利きでグローブを左にはめて、打球が来たら、右手で取って、そのまま投げる学生が曰く、俺は右利きだから。今でも京大や東大ではそんな学生がいるのでしょうね。
推して知るべきかもしれないですが、教員になる学生の中には、全く経験がない学生達は、採用の面接時には合格したいから、一生懸命やりますと言いながら、実際に採用されたら、できない苦痛を感じるそんな先生が多いのも事実です。

 私学ではスポーツだけを専門にするようなクラスと進学に特化したクラスとを併設していて、スポーツで、例えば野球で甲子園出場などする等である程度、名前が売れてきた後に、今度は特別進学クラスを作って、進学実績を上げることで有名になってきた私学も多いです。大阪や京都などに多いですが、そこには私学が進学実績を伸ばせる要因があったと考えられます。

 振り返って、大きな要因として一つには学校群制度です。東京から始まって全国に広がって、20年以上も続いた制度で、その結果、公立の進学高校はその特徴をなくし、私学への流れがはじまります。さらに追い討ちをかけるのが、中学の学習指導要領の改定等で数学と英語の授業時間数を週3時間にするというものでした。最後の追い討ちをかけるのが週休二日制で土曜が休みになることで、基本的な教科である、数学と英語の授業時間数が減り、公立中学では不安になり私学の中学への流れができます。また私学も中高一貫にして中学時点から数学英語の授業時間数を公立より増やし、保護者を安心させてきました。気が付いたら、東大京大の合格者数も私学独占になってきたのです。一部国立の付属の高校では東京、大阪では合格数も維持していますが、京都や奈良はそうではありません。

 そんな状況も最近では、東京や大阪では公立の復権を目指しての努力?の甲斐があって、日比谷や北野も昔の状況に近づいてきていますが、北野はともかく、東京ではまだまだです。学校群や指導要領の影響で公立高校が地盤沈下してきたことの歴史的な認識は時が経っても心にと止めておきたいものです。

 共通一次やセンター試験、共通テストに関しても、その歴史的な認識は押さえておきたいものです。この試験の影響で、すなわち、1月中旬に入試があることで、それまでの学校行事も影響を受け、実際には11月下旬までに高校の内容を終えないと試験に間に合いません。公立は週休二日で私学は土曜日もあり、中高一貫の私学では中学から7限授業で、数学英語の時間数は公立の倍あり、中学で高校の教科書を学び始めますから、高校2年までで、高校の教科書は終えられます。ゴールの目標が同じでも時間数で全く公立と私学では比べようもないくらいの差があり、普通では太刀打ちできないのです。

 今でも、私は、この共通テストはなくした方が良いと思っています。2次試験のみで、記述式試験で、科目も多くして、試験は3月。昔の私の時代はそうでした。だから、文化祭も11月、体育祭は10月でも間に合いました。年が明けてから、理社の追い込みで間に合うかなと、ラストスパートの時期でした。今や体育祭も文化祭も前倒しして、いろいろな学校行事がこのセンター試験で影響を受けてきました。

 今年も今週末から共通テストです。もう20回以上受験会場に応援に行ったことが思い出されます。年中行事のような様相で、各高校の先生たちが「キットカット」チョコレートを袋から出して生徒に頑張れよという光景です。高校別にのぼりを立てて、お祭り騒ぎの感さえあります。ここまで来ると、善悪の判断も麻痺してくるというものです。そのくせ、2次試験では全く応援に行かないのですが。

 そして月曜日はセンターリサーチで、河合塾、ベネッセ、旺文社、代ゼミ等の得点用紙に自分の得点と志望校を5つほど記入して、その日の午後に来る宅配業者に渡す。水曜の夜にはその集められたデータの集計結果がネット上で検索できて、そこから志望校選択へとデータとにらめこしながらの作業が始まります。思うように点数が取れなかった生徒は、志望校変更を余儀なくされますが、そんなものだという感覚でいると、なんとも思いませんが、やはり異常な世界であることは否めません。この時期が高校の進路指導で一番忙しい時期で、予備校の営業部はこの時期はほとんど徹夜作業の連続です。今は、私はリタイヤしていますが、それでもこの実態は異様としか思えないところがあります。したがって、大学選択も偏差値等で決めてしまう風潮、あるいは大学そのものを偏差値で評価するような風潮も仕方ないかもしれません。

 しかし、やっぱり違うよなという想いは拭いきれない。


新年に思ったこと1

2022-01-04 09:43:39 | 日記
 年末年始というのは、なぜか世間の流れに乗せられたような生活で落ち着かないのが、私です。昔からそうでしたが、人と同じようなことをすることが多いからでしょうか。

 しかし、もうそんな生活も年齢的にも見直してもいい時期と考え、年賀状を今回で最後にすることにしました。実は、昨年、結婚している娘からの年賀状に今後の年賀状を止める旨が書いてあり、今年は私もと考えた次第です。

 これも、世間に同調する習慣からの脱却と考えますが、昨年はこの「同調圧力」ということを何度か意識させられた年でもありました。振り返って、自分のこれまでの生活で、「同調圧力」なるものを考えてみると、無意識のうちにその圧力の中で生活していたような気がします。

 教員生活などはその典型かもしれません。もっとも、教員生活と一絡げには言えないと思います。特に、小中学校と高校に関して、文科省では初等中等教育局で一絡げにされていますが、高校教員をしていていつも違和感を覚えていた記憶があります。また、公立高校退職後、私立の高校への勤務して感じたことでは、公立と私立ではまた、特に職場感覚での違いを感じました。

 そういえば、このところ教員の仕事に関して部活の顧問の問題から派生して、勤務時間などの問題がクローズアップされています。しかし、その中身を見ると、小中学校の教員が報道内容の中心で、高校の教員の内容はほとんど含まれていません。そして、その小中学校の教員の報道から高校教員に関しても同じように考えられる向きがあります。このような傾向、即ち、小中学校と高校を同じように一絡げに考えることは、これまでも何度となく経験してきている身としては、マスコミを含めてのジャーナリズムの固定化された視点を感じますし、いつも違和感を覚えてきました。

 そんなことから、自分の教員生活を少し、振り返ってみます。そこには、時代背景からくるところの価値や、判断基準の変化に大きな変化を感じます 。バブル以降の失われた30年、あるいは低成長時代ともいえる中で、経済的な成長はないものの、社会の中の変化は大幅な変化をもたらしているようです。ややもすると、経済成長がないので、社会の構造や社会規範や、はたまた学校教育の中での様々な変化も少ないように誤解してしまいますが、ミクロ的にもマクロ的にも確実にその変化率の大きさは見受けられます。

 先日、家で教えている高校生の母親が来られて、その母親自身が私が勤務していた高校の初期の生徒であったことから、当時の卒業アルバムを開いたところ、最後の2、3ページがなんと生徒の住所録になっていて、今なら個人情報そのものであり、決して印刷されないものです。そのとき思い出したのは、当時は生徒名簿というのがあって、そこには生徒の住所電話番号、保護者の氏名、さらにはその職業まで記載されていたことを思い出します。毎年学年が変わるたびに、学期始めに、その生徒名簿が学校から配布されていたのです。まあ、それをもとに電話(固定電話)をかけていたものですが。高校卒業してからもその生徒名簿が連絡する時の貴重なツールの一つでした。

 ところで、私が初めて生徒名簿というものを目にしたのは、私が転向した中学3年時のものです。中2までは地元の公立中学に通っていたのですが、中3になる時に津市にある三重大学教育学部附属中学校に転向することになりました。地元の中学ではなかった生徒名簿というものがその中学では発行されて、多くの他の生徒の親はサラリーマンや大学の先生や公務員、そして自営業なのですが、私の親は農業で、それが記載されていて、思春期の自分にはそれが恥ずかしい気持ちになりましたし、それを揶揄するような生徒もいて、今でもかすかな心の傷の痛みを思い出します。考えてみると、今では犯罪であることが公然と学校で行われていたのですね。私と同じ世代の人なら思い出せることですね。

 以前にブログでも書いたと思いますが、大学の合格者の氏名が新聞に載った時代ですからね。実は私も京大の合格を新聞で知ったのですが、学部別に載っていたようです。県立高校の合格者の名簿は新聞の別刷りで朝刊に挟まれていましたのも思い出します。これは三重県だけの話でしょうか。今でも公立の教職員の移動に関しては4月1日の朝刊の別刷りで見ることができます。高校の校長に至っては写真付きです。私立大学の合格氏名に関しては、一部は新聞に載ったようですが、慶応や早稲田などほとんど私立大学は新聞にはその合格名簿は載りませんでしたが、逆に、ほとんどの国公立大学は載っていたようです。その背景には大学合格における国公立と私立に関する差がこんなところにも見受けられます。それも長い歴史さえ感じます。1980年代までは、この新聞による国公立大学合格者の氏名公表は続いていたと記憶しています。高校の進路指導部ではこの新聞情報も生徒の合格情報を得る手段の一つでした。

 今でもそうですが、生徒の合格数とかの情報はマスコミから要請があり、高校の進路指導部からお知らせすることが多いのですが、特に東大京大は、週刊誌も特集を組んでいる関係で期日指定の忙しい要請があります。基本的に個人情報であるがゆえに、今はそれを得ることの厳しさが増していますが、それでもニーズがあるのでしょうが、その時期は進路指導部も忙しい時期で、結果として、その情報(人数だけですが)をもとに各高校別の大学合格情報が世間に知らされていくことになります。もっとも高校によっては、そのような情報を後公開しない高校もあります。愛知県の旭丘高校はその筆頭と言えますし、筑駒などもそうです。結果は、合格数の比較等により、高校のある種のランクが作られていくのですが、それは今に始まったことではなく、ある意味長い歴史があると言えます。一方公開しない学校から言わせれば、受験結果情報で、学校のランキングができる現状に教育的な視点から異議を申し出ている感じがします。しかし、世間の趨勢に押されつつあるのも現状です。更に現実を言えば、高校の側もこの合格数、高校によっては国公立大学の合格数、有名大学の合格数、医学部医学科の合格数、東大京大の合格数などをその高校のランキングに反映されるという視点から、その数を上げることを大きな目標に掲げています。多くの高校ではそうではないかと思います。指定校推薦で早慶に合格した学力のある生徒に国公立大学を受けさせて、それも前期後期とも受けさせ合格数を上げるようにしている高校もあります。はたまた、京大の合格数を上げるために、京大では偏差値ランクが一番低い医学部人間保健学科を受けさせる指導をしている高校もあります。大阪の私学にありますが。とはいえ、公立高校でも国公立の合格数を上げるために必死の指導を行っているのが現状です。

 ベネッセなどはその生徒情報とセンターリサーチのデータを突き合わせて、またその生徒の模試の成績を突き合わせることから大学のランキングを作成したりします。したがって、センターリサーチとこの合格者情報は教育産業にとっては一番必須の情報で、これを得るために各高校へ、センターリサーチをお願いに来る企業は必死です。今は、ベネッセと河合塾と旺文社が主です。駿台はベネッセと提携しているので、ベネッセからの情報を利用していると思われます。続く。