数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

日本史・昭和史

2021-01-13 18:43:37 | 日本史
半藤一利さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

 今、通勤の列車の中で読んでいるのが、「世界史から見た昭和史」という本です。
 実は、以前に単行本の同じ本を読んでいますが、忘れているので、読み返そうとこの文庫本を買いました。以前にも読んだのが、以下の写真の本です。


 半藤氏は、私の父の2歳年下で、私の父は今も一応元気にしていますが、私が小さい頃からこの父親から聞かされてきた太平洋戦争の話と半藤氏が書かれた書籍の戦争描写がよく似ていることが一つの理由で、その著作を読んできました。
 私の父は、兄がニューギニアで昭和20年の3月に戦死したにもかかわらず、特攻隊を志願すべく、広島の呉にその試験を受けに行きました。大阪から呉に向かう列車の中で通路に腰を下ろしていたら、憲兵らしい軍人が、「それでも日本人か!」と言って、張り倒されたと言っていました。それで、こんな奴らを懲らしめてやろうと心に決めて、将校になるんだと決意して、特攻隊の試験では不合格になるように全部バツを書いて帰ってきました。もっとも、その背景には、父の親父から兄も戦死しているので、お前だけは特攻隊に志願するなと、きつく言われていたこともあります。結局父は、専門学校の学生として終戦を迎えます。学生とはいえ、ほとんど三重県の四日市の軍需工場で働いていたそうですが。
 終戦間近の東南海地震ではその軍需工場の煙突が大きく揺れて、想像を絶する光景を目の当たりにしたそうです。そんな戦争体験を聞くたびに、私の脳裏にある種の戦争風景ができていました。
 後日、半藤氏の「昭和史」を読んだ時、父から話を聞いている感覚が蘇りました。歴史観という枠組みで歴史を見るのではなく、史実を実際に経験したり、聞いたりすることでの、このジャーナリストのペンから描き出された昭和史は、私には父の話と同じ雰囲気が感じられます。

 以前にも書いた、保坂正康氏の著作にも、父の話と同じような雰囲気を感じます。そんな父の話に耳を傾けることのできる時間も残り少ないですが大切にしたいと思います。
 実は、私の先祖は、日清戦争でも戦死しており、また濃い親戚の二人が日露戦争で戦死しています。その家が絶えるので、私の家から養子を出して、幼女を迎えてその家は存続することになりました。そんなこともあり、私は小さい頃に祖父から日清日露の戦争に関してもいろいろ話を聞いていました。もちろん祖父は日清戦争は記憶がなく、日露戦争は記憶があったようでしたが。そんなことから、半藤氏の以下の本も興味深く読むことができました。

 そんな私の幼心には、戦争の悲惨さというよりは、戦争時の日本の軍隊や警察や日本国内の政治の悲惨さを多く語られてきた記憶があります。そのことに関して半藤氏の文章と父親の話の雰囲気にもっとも共通点を感じられます。その戦時下の日本の政治の雰囲気が今の日本の政治の雰囲気に似ていると感じる半藤氏の思いには頷く自分がいます。

 自分が大学受験で日本史を勉強している時、対外的な「教科書問題」は存在していませんでしたが、所謂「教科書裁判」が行われていた時代で、三省堂から出版されていた、家永三郎氏の
も読んでいました。教科書だけでなく、岩波新書などの日本史関係の本も読むことで、幅広い視野ができると聞いていたりしたので、同じ時期に以下の本も読んでいます。
 もう、50年近く前の本ですが、読み返してみたくなりますね。当時とはまた違った感覚で読めるのではないでしょうか。
 純粋に戻りたくなるあの頃です。