数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

夏、平和、戦後、オリンピック

2021-08-02 13:45:58 | 読書
 例年と違いオリンピックの映像を夏の暑さを吹き飛ばす勢いでテレビが放映する中で、ふと考えてしまう一瞬があります。平和の祭典というフレーズとともにあるオリンピック。原爆被災地の広島に向かったバッハ氏のことが少し前にありましたが、8月6日にオリンピック会場では黙祷は行わないとか。平和の祭典なら黙祷するのも意義があるのではないか?そんな思いをふと。
 以前、日本は平和ボケであると右側の論客からよく聞かされた記憶があるが、オリンピックで原爆の被災した記憶を忘れてしまうことはまさに平和ボケの症状ではないか。平和ボケは実は右側にあるのではないかとつくづく考えさせられるこの頃です。
 毎年この時期は、昭和史を読むことで戦争を考えることが続いていました。私の父は今年で93歳ですが(母は92歳)、小さい頃から戦争時の話を聞かされて、皮膚感覚としてその体験はない自分ではありましたが、少しでもその近い感覚は身につけておきたいと考えてきました。
 前回のブログで紹介した西部邁氏は私の父よりは10歳あまり年下ですが、戦後の民主主義教育の一期生という世代ですが、私の父は17歳で終戦を迎え、混乱の中の学生生活を送った世代と言えるでしょう。この父親の10歳上の世代は、戦地で自らの命をお国のために捧げた世代です。その世代に加藤周一氏がいます。氏は戦時中は医学生、医師として戦地に赴くことのなかった稀有な人とも言えますが、今回
そんな加藤周一の知の巨匠としての姿を大江健三郎、姜尚中、高階秀爾、池澤夏樹などが自らの目線で加藤周一の著作を通して影響を受けた様をそしてそこから得た知見を自らの言葉で紹介した本書は印象的な書籍となりました。こんな巨人達でも加藤周一からこれだけ影響を受けたというか、勉強させられたというか、学ぶところがあったのかと強く感じるのでした。それぞれが書く文章を理解するのは、その背景にある加藤周一氏の該当する文章を読んでいることでさらに深い感動も覚えるのですが、たとえ読んでいなくとも、今後読む動機付けになると思います。
 私も以前にブロクでも書きましたが、羊の歌や日本文学史序説など加藤周一氏の著作を読んできましたが、この書をきっかっけにもう一度読み直したい気持ちになります。この書をヒントにガイドブックとして読み直すことで新しい発見や知見を得られると感じました。
 私の父親の10歳あまり年上の世代の加藤周一氏の憲法9条への思いや、戦後の思想界の変革やその真っ只中にあった世代の目を通しての日本を皮膚感覚として教えてもらうことのできる氏の著作は特別です。
 私が中学3年生の夏休みに初めて読んだ岩波新書の羊の歌と日本文学史序説をまた読み返したくなるそんな衝動を覚えた書でした。