数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

昔は分かったことが・・・

2024-10-29 11:32:44 | 日記
今は少なくなりつつある,待ちの小さな本屋.そんな現状もあり,買い物の際に立ち寄ってみることが多くなりました.経営も厳しい中で,店主の本の選び方も観察できる,そんな気持ちで並んでいる本を手に取りながら,気になったら買うことにしています.
そんな状況で手にして買ったのが,
筆者の森永氏のこの本を書いた状況を鑑み,その気持ちの真剣さから中身に関しても引き付けられました.3つの項目がありましたが,どれも一般の国民にはどこかでフィルターがかかって,真実が届かない状況が今の時代かと.マスコミの質の低下というか,マスコミの本質が変わってきている,その背景にジャーナリズムの衰退とそれに反比例する権力への忖度気質が確実に今の日本には感じられます.
 私の学生時代は,アカデミズムの中では真実を知るという点で純粋に希求する意識が蔓延していて,そこには権力に臆することのない雰囲気が学生も教官も共通に持ち合わせていた.その時代に青春を送った自分達には,何をしているのだ!という怒りともいえるもどかしさをぶつける相手もいない状況でもある.
森永氏が死を意識した時の自分の遺書ともいえる内容の本書には,その覚悟と死んでも死にきれない気持ちの強さで執筆されたと思います.3つのテーマの中で,①ジャニーズ問題に関しては,ある程度の情報が一般に開示されてき来ていると思われるが,②ザイム真理教と③日航機墜落事件に関しては,国家的な背景もあり,未だに情報公開という視点では明らかに明らかではないし,歪曲された情報で一般国民が真実を知り得ていないと思われる.
その中で,印象的なことは,ザイム真理教では,不利になると伝家の宝刀ともいうべき国税の査察の偉力が印象的です.更に日航機墜落事件では,事故というより事件と表現すべきで,その原因が国家の都合により歪曲されている可能性が大である.
そこで,自分でももう少し調べてみようと
を読んでみました.時間と丁寧な取材をもとに,事故ではなく事件ともいえるその原因を追究する姿勢に,思わず昔の青春時代のアカデミズムに接した気持ちになったのです.続いて,
を読むに至って,自分もいつの間にか真実が捻じ曲げられて報道されて,それを信じていたことを実感して,今の日本の政治の劣化を再認識してしまった.果たして教育の現場で真実や真理への探究が果たしてなされているのか?長年教育に携わってきたわが身を振り返りつつ,少なからずもどかしさを感じざるを得ない.願わくは,今の若い世代が真実と真理への希求を絶やさず,持ち続けて欲しいと願うばかりです.
その時その現場で如何に立ち向かうかという意識の大切さを思い知らされる気持ちです.
以前教育基本法が改定されるとき,数学者で当時京大の教授であった上野健爾先生に松阪高校で講演をしていただきましたが,数学の話から高校生を意識して教育の話になり,教育基本法の改悪に断固と反対する内容を離され,一番びっくりしていたのは,県の教育委員会の面々ではなかったと思われたことを思い出します.先生は
を紹介しつつ生徒に語り掛けながら,実は先生や教育委員会のメンバーに語り掛けていたのではないか.先生の話すのを聞く教育委員会のメンバーのなんと無機質な表情が今も脳裏に残っている.あれから20年近く時間が過ぎていますが,時間という座標軸の中で,真実や真理の絶対値が小さくなっていくことに無意識でいてはいけないと実感しています.


数学の世界史

2024-09-14 14:15:06 | 日記
 著者の数学者の加藤先生の本は,啓蒙書もこれまでもたくさん執筆されていて,総じて,読みやすいというのが正直な感想です.今回の「数学の世界史」という表題からして,意識的な内容になっています.具体的には,「はじめに」にその意図が書かれておられますので,読んでもらえればと思います.古代の数学史的な内容に関しては,これまでにも,訳本ではありますが,
があり,そこでの内容と当然重複するところはありますが,今回は翻訳本ではないので,加藤先生の主張がはっきりしています.内容に関しては,数学的な部分では,自分でも確認しながら読んでいくと面白く感じられます.その分,読むスピードは遅くなりますが.
 上の翻訳本の著者は,世界的に有名な数学者ですが,私も学生時代に手に取った本,
は世界的に有名な代数の本ですが,今でも,推薦される本でもありますね.フィールズ賞を受賞された森重文先生も,大学の1回生の頃,ストで授業がない時に,この本を読破されたそうです.
 ファン・デル・ヴェルデンには,以前にも

という古代の数学史ともいえる著作がありますが,これは加藤先生の翻訳ではなく,上述の「古代文明の数学」よりも20年ほど前に翻訳本が出版されていますが,世界的に読まれている本として,目を通しておきたい本の一つです.どちらも加藤先生の今回の「数学の世界史」を読んでから,それらを読んでも面白いかとも思えます.
 高校生でも,公式の証明等,考えながら読めるところもあるので,高校の先生も生徒に紹介してあげて欲しいです.高校の先生からの,受験ではない数学の本の紹介は生徒が,特に意欲的な生徒にとっては,目を輝かせてくる瞬間でもあります.残念ながら,私の高校時代では,そんな数学書を紹介してもらった記憶は全くなく,そのことが私の教員生活で反面教師の役割をはたしていて,積極的に生徒には紹介していきました.こういうところに,本質的な教師の役割の一面があると思います.そのためには,教師も日頃から研鑽をしないとそれはできません.総じて,私の高校時代の数学教師や数学の授業は,私にとっては,反面教師でしかありませんでした.もっとも,担任で英語の先生にはその学問的な内容等は教科は違えども,尊敬に値するものでした.
 さて,「数学の世界史」の中で,「プラフマグプタ」の公式として,次の公式が紹介されています.
 円に内接する四角形の四つの辺長をa,b,c,dとし,その面積をSとするとき,次が成り立つ.
S=√(s-a)(s-b)(s-c)(s-d)
 (ただし,2s=a+b+c+d)
三角形の面積の公式のヘロンの公式は,以前は高校の教科書にも記述はありましたが,最近はなくなっていますが,それの四角形版ともいえる公式ですが,私もヘロンの公式を証明する場合のように,ノートに書いていきましたが,ヘロンの公式の証明よりは少し難しいのですが,生徒にはチャレンジして欲しい問題でもあります.計算力も必要ですが,こういう問題から計算力をつけるのも現実的な方法かとも思われます.ついでに,トレミーの公式などにも言及しておくことも意味があるかと思いました.


青春記

2024-02-23 09:34:28 | 日記
 前々回,久しぶりに小説を読んで,気軽に読める本もまた愉しいもんだと再認識して,今回読んでみたのが,「ワセダ三畳青春期」(高野秀幸著)です.
ワセダは地名であり,大学でもあり,作者は早稲田の探検部で,下宿の三畳アパートを舞台にした青春記.
 大学のワセダは私にも関係が少しあるかと思う.受験での印象が強く残っている.受験といっても一日で終わるにも拘らず,未だに脳裏にその記憶が刻まれているのは何故だろう.
 私の受験ではワセダ界隈の小さな下宿らしき,宿を紹介されて,何と相部屋で,九州から来た受験生と一緒になり,前夜,少し話しながら翌朝受験に向かうという,今では考えられない受験前日です.夜になって,その受験生が深刻な顔をして,私に相談を持ち掛けてきました.
「私,痔になったのです.便器に血がしたたり落ちて.どうしたらいいでしょうか?」
どうしたらと言われても.その場は,その受験生の気持ちを察して,こうして話していることでも,心配しなくていいのではと話して,お互いの眠りについたことをいまだに鮮明に覚えています.その後その受験生はどうなって,どのような人生を送ったのか,今となっては少し知ってみたい.
 受験が終わってから,高校の同級生の友人と待ち合わせて,高田馬場の赤い色のビルのBIgBox(今でもあるのでしょうか?)の2階で,試験が終わって校門で待ち構えていた予備校関係者が配ってくれて解答速報を,二人でコーヒーを飲みながら自分の解答と比べ,検討をしていました.受験したのは友人も私も当時の理工学部で,私は電気工学科,友人は応用物理学科でした.確か,英語,数学ⅠⅡⅢ,理科(物理,化学)で,各54点満点だったように記憶しています.英語は易しく,理科は標準的で,数学は難しかった記憶ですが,英語で点数を稼いで,二人とも結果的には合格したのですが,そのとき,物理の問題に電磁誘導の問題があり,それも検討していて,それが後日の京大の物理の3問あるうちの1問とほとんど同じで,図も同じなのでびっくりした記憶があります.見てすぐできてしまったことも有り,結局この問題で京大も合格したのかもしれません.当時,早稲田の理工学部は受験日が3月1日で,京大は国立一期校で受験日が3月3,4,5日の3日間でした.初日の3日が午前中9時から11時半まで国語,午後1時から3時半まで数学.2日目の4日は午前中は英語,午後は理科,そして最終日の5日は社会(私は日本史)でした.今と違って,基本的に数学以外はどの科目も文系理系の区別はなく,記述式でした.
 明後日から,国公立の前期試験が始まりますが,私の受験とは隔世の感があり,違わないのは入試問題そのものかも知れません.特に京大の数学や英語は.
 さて,私のワセダ受験前夜の出来事のようなハプニングが日常的に繰り返されるアパートの話を書いたのが,この本ですが,舞台はそうであっても実は作者の青春がそこに展開されていて,光景がビビットに浮かんでくる読書は久しぶりに感動しました.
 結局ワセダには私は入学することなく,そして記憶からも薄れていき,高校で進路指導をする中で思い出すのですが,私の娘も受験で理工学部を受験するも,結局国立大学の方に入学して,またしても縁が無くなることに.しかし,娘が結婚した相手が早稲田の理工の卒業生でそこでワセダと結ばれることに.
 この小説というか,青春記は,私自身の読書の中でもいろんな人の青春記と同じように,不思議に印象的です.自分の青春をそこに被せて読んでしまうのか,はたまた,登場人物や書き手にあこがれの念をもって,自分にはできないことへのある種の畏敬の念さえ覚えてしまいます.いろんな青春記を読んできたように思います.青春記と書かれてないものの,中身は青春記と言えるそんな本をと本棚を眺めてみると
①ドクトルマンボウ青春記(北杜夫)
②ムツゴロウの青春記(畑正憲)
③青春宿命論(富沢一誠)
④京都よ,わが情念のはるかな飛翔を支えよ(松原好之)
⑤8月の犬は二度吠える(鴻上尚史)
⑥ハイスクール1968(四方田犬彦)
⑦先生と私(四方田犬彦)
⑧先生と私(佐藤優)
⑨風来記(1)(2)(保坂正康)
⑩戦後が若かった頃(海老坂武)
⑪ある戦後精神の形成(和田春樹)
⑫とぼとぼ亭日記抄(高瀬正仁)
⑬オレの東大物語(加藤典洋)
等が目についた.
現実は小説よりも奇なりというように,ノンフィクションを読みながら小説よりも読みやすく感じるのは自分だけではない気がします.私より年下の作者の青春記を読めるようになって,自分の年をふと考えるこの頃.

 去年までは受験生を教えていたので,この時期になると大学受験を思い出しますが,ある意味,人生で一番公平ともいえる入試に向かう受験生の頑張れと言いたくなります.
 あの政治家も純粋な受験生の頃を思い出して欲しいものです.




小林秀雄

2024-02-21 16:41:46 | 日記
 前回「久しぶりの小説」を書きましたが,私の読書習慣の始まりは,中学3年からでした.それまで本を読む習慣がなく,暇な時間は小学校ではソフトボール,中学では卓球ばかりで,ともにレギュラーで中心選手であったので,練習や試合ばかりで,落ち着いて本を読むこともなく過ごしていました.
 中学3年になって,地元の公立中学から三重大学教育学部付属中学に転向して,バスと近鉄電車を乗り継いて2時間近くの通学でしたが,たまたま松阪駅から近鉄で津までの車内で,一緒の通学していたK君が電車の車内で本を読んでいるのを見て,暇つぶしに自分も読んでみようかと思ったのがその始まりです.振り返ってみると,バスの30分,近鉄の30分の乗車時間は時間的にもうってつけの読書タイムです.眠くなったら寝ればいいし,30分くらいなら集中力ももつかなと考えたりしました.結果的に,ここでの読書習慣がその後の自分の読書にも大きく影響を与えることになります.そのことについては,またの機会に書きたいと思います.
 最初に読んだのは,転校した中学の国語の時間の影響が強く,何故か小説ではなく,随筆や評論が中心でした.それは,授業では教科書はあまり使わずに先生が刷ってきたプリントの文章を読むもので,高校よりもレベルが高かったと今でも思っています.その授業は小林秀雄の評論や亀井勝一郎の随筆や短歌に関しては,学燈文庫の現代短歌を使ってのものでした.内容に関しては,印象的で,それまでの国語の授業とも違って,自分的には興味を覚えていましたが,その先生がどうも依怙贔屓をするような態度で,幼心に反発心が少しありました.
 前回のように,久しぶりの小説を読んだら,当時のことを思い出し,評論と言えば当時は小林秀雄が一番に浮かんできたので,今回手に取ってみたのは,

 当時は大学入試でもよく出題された小林秀雄ですが,中学3年生では難しいのでしょうが,何もわからないまま,プリントを読まされていたように思いますが,中学3年生の自分には教科的に一番難しく感じたのが国語でした.今回読んでみると,非常にすっきりとした文章で,よく推敲されている印象が強く感じられます.小林秀雄はたとえ講演であっても,それを推敲してから出版許可をするということらしく,講演でも読みやすいのが特徴です.この本を読んで小林秀雄を改めて教えてもらった気がしました.
 以前,数学者の岡潔との対談を読んだ記憶もあり,自然科学への意識が強く感じられる文章が目につくのも特徴で,昔読んだ評論も読んでみたくなりましたが,はやり,小林秀雄の晩年の代表作の「本居宣長」がじっくり読んでみたい本です.
少し読み始めると,私の住んでいる松阪の記述も多く,急に本居宣長の奥墓に行ってみようと思い立ちました.
 実は本居宣長の奥墓のある妙楽寺は位置的に私の住んでいる集落からはちょうど山の裏側に当たります.まだ鉄道もバスもなかった私の祖父の時代は徒歩で松阪市内まで行くというので,その当時の道が,微かに残っています.私の住んでいる集落は御麻生薗(みおうぞの)町という名前で,その由来は,伊勢神宮に奉納する麻を作っていたことかららしいです.実際に上記の妙楽寺の近くには,

こんな標識も立っています.読み方は「みおうぞの」→「みおぞの」と発音することが多いので,このようになっていますが,漢字からすると始めの読み方になるかと思います.私の祖父は小学校を上がって,その後市内で英語を習うために,この道を歩いて松阪城の近くまで通ったと聞いていました.片道15km程はあると思われます.私が小学校の6年生のとき,先生から遠足で本居宣長の奥墓に行きたいので,道の下調べをお願いされたことがありましたが,当時でもすでにその道ははっきりわからなくなっていて,道に迷ってしまった思い出があります.最近は少し草を刈ったりして,ハイキングができると聞いているので,今度行ってみようかと思っています.
 今回は,車で,市内から奥墓のある妙楽寺へ行きました.駐車場の車を止めて,階段を100mほど上がると,

妙楽寺の境内に到着できます.今は本殿を修理中ですね.本居宣長はその遺言で,自分の墓は妙楽寺へと書き残していて,その墓を奥墓と言って,この境内からさらに急な山道を100mほど登って行ったところにあります.

谷の深い山道をゆっくり上り下りしながらも,静かで山の音が聞こえる感じの落ち着いた雰囲気に何とも言えない心の落ち着きを覚えました.そういえば,梶井基次郎の「城のある町」も松阪がその舞台でしたね.そんな身近な地元の町の歴史文化もゆっくり味わっていける時間を大事にしたいと感じた一時です.

夏になると

2023-08-25 08:48:43 | 日記
 毎年夏になると,昭和史の本を読む習慣があり,特に,父親が今年95歳で,戦争を知っている世代で,学徒動員で働いたこと等を幼心に聞いてきた記憶もあり,そんなことから,今年は何を読もうかと考えていました.
 戦争への思いとかは昨年も書いた記憶があり,戦後の日本の歴史というか,半分以上自分の肌感覚がある史実に関して,最近聞いたり,読んだりする中で,自分の肌感覚と微妙に違いを感じることが多くなってきたような気がしてきました.
 実際は少し違うのだけどと思うようなことが多くなってきて,そこをきちんと押さえておきたくなり,読んだのが,以下の本です.
実は少し前に,上記の右から2番目の1960~1972を読んだのですが,どうも当事者感覚がある池上氏のステレオタイプな言説に何か浅薄さを感じながらも,年下の時代の肌感覚も少ない佐藤氏の方が私の肌感覚に共感を覚えたのでした.
 そこで,今回は残りの3冊を読むことに.そこでは,明治以降のある意味日本の思想史のコアな部分を垣間見える感覚で,楽しく新鮮な気持ちで読めました.
 1.社会主義と共産主義とはどう違うのか.
 2.右翼と左翼とは?
 3.スターリン主義と共産主義とは?
そんな問いかけに,史実に基づいて解説してあるものとして,今の各世代に読める内容だと思います.
 上記のフレーズについても,今のマスコミに出てくるような,特にテレビに出てくるようなコメンテーターなどは,相手にそのレッテルを張って卑下するような使い方しかないように思われ,きちんとその内容を理解してないことが伺い知れます.その意味でも,そんな安っぽいテレビのコメンテーターに振り回されないように,自分で読むことで,現実を直視できると感じました.
 確かに,全体を通じて,池上氏のステレオタイプの言説よりも佐藤氏の史実を明示したコメントが印象的ですが,一読の価値は十分あると感じました.

 合間の時間を使って並行して読んだのが,

内容は,言わずもがなですので,実際読まれるとほっとします.もう一冊は,

これは新しくパソコンを買ったので,数処理ソフトをインストールしたくて,Mathematicaは高いので,フリーのソフトということでMaximaをインストールしたので,その解説書として,古本ですが,購入しました.内容は計算機代数の内容をMaximaを使いながら解説した本ですが,数式処理に関しては実務的にも精通されて,今は大学でも教えられている著者ですが,数式処理≒計算機代数≒>数式処理ソフトをイメージできる人には,結構楽しめる本です.高校の数学の先生でも,生徒の教える整数の話のバックボーンを少し垣間見えて,整数で出てくる定理の有用性も感じられると思いました.この本を実際にMaximaを使いながら読み進めていくのが,その読み方だと思います.
 また並行して,少し専門的ですが,

このうち左の本で,Mathematicaを使いながら確かめたり練習問題を解いたりして,また日本語訳をTexで作ってみたりして,読んでいます.精読するためにTexで日本語の訳しながら読み進めるというのが,最近の私のやり方です.Texの練習にもなるし,慌てる必要もなく,繰り返し,読み込めるという点でも良いかなというのが,最近の私です.