勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

仮説と結論の違い

2024-03-16 11:04:30 | 日記

仮説と結論の違い

仮説と結論の違いは何であろうか。仮説とは作業工程上の結論であり、最終的にいわゆる結論にたどりつく。例えば先行研究を読みながらデータを集める。そして実際に使う資料を決める。という工程がある。先行研究を読んで方向性を導くことは仮説である。そして、その仮説に基づきつつ、その結論が正しいか検証するのが研究である。まず仮説を出すこと、仮説を検証するための手続きを見つけること、この2点は研究の根幹である。研究とは常に仮説を立てて打ち破る作業の繰り返しである。仮説はあとで検証するので間違っていてもよい。また自分で自分の仮説を敗れなくても他の誰かが検証してくれる。この世の中に完璧な仮説、完璧な結論は存在しない。身も蓋もない話だか、私は自分で立てた仮説が手続きを踏んである程度成り立っているのであればそれで良いと思っている。


大学院の選び方 先日、後輩と

2024-03-09 10:35:18 | 日記

大学院の選び方

先日、後輩と大学院の選び方についての話になった。大学院の選び方には2種類あると思う。1つは教授の研究分野で選ぶこと、2つは教授との相性(性格面)で選ぶことだ。私の場合は後者を重視した。大学院の説明会のときに温厚そうな先生だなと思ったのがきっかけだ。また聞くところによると、先生は毎日学校に来ているとのことなので、いつでも相談に乗ってくれそうな印象を受けた。一方で私は先生と最も研究分野が離れていたので、実際に研究の相談をするときには苦労した。もし私が博士課程に進学する機会があれば自分の専門分野と近い先生に師事しようと思っている。その間、大事なことは生活のなかで研究することである。現在、私は働きながら論文を書いている。仕事の息抜きするときに少しずつ作業を進めている。今は自分の研究を継続できてことに幸せを感じている。たまに学会に出て後輩たちの発表を聞き、刺激を受けながらモチベーションを上げる今日この頃である。


学者と俗ぽい学者

2024-01-29 11:04:52 | 日記

学者と俗ぽい学者

私はまだ学者としての夢を捨てきれないでいる。研究は続けたい、しかし大学院のような閉鎖空間にいては心の狭い人間になり、つまらない人生を送ることになるのではないかという不安もある。学者と一般人の世界は乖離している。私は自分の研究も続けたいし他者とも関わりたいと思っている。2つの世界の間にいる、私は俗ぽい学者になりたいのだ。私の理想は学者の道に軸足を置きながら、一般人の世界に行き来することである。この2つの世界を生きるには相当な根気がいる。行き来する途中で道を見失い、狂人になり果てるかもしれない。今はこのアンバランスな世界が心地よいのだ。俗ぽい学者には学者と一般人をつなぐ重要な役割がある。研究は一般人に理解されてこそ、初めて社会に還元される。社会的な関心が高まれば学者と一般人の距離も近くなるはずだ。そのとき先頭に立つのは俗ぽい学者たちである。


なぜ新羅は生き残ったのか。

2024-01-18 21:11:55 | 日記

なぜ新羅は生き残ったのか。

7世紀の朝鮮半島、高句麗、百済、新羅の3国がしのぎを削る争いをしていた。最後に勝利し、朝鮮半島を統一したのは新羅である。新羅は3国のなかで最も遅くに成立した国であり、国土は狭く豊かではない。新羅は唐と連合して高句麗や百済を滅ぼしたが、それは唐にとって新羅は国力が弱く、一番扱いやすい国だったからである。新羅は建国当初から高句麗や倭という2つの大国に挟まれていた。そのため高句麗や倭に攻められていた。新羅は倭軍と戦うときは高句麗軍を使うという巧みな戦法で生き延びてきた。唐は新羅のしたたかさを知らないがゆえに、朝鮮半島から撤退することになったのである。また新羅が急速に強くなった理由はいち早く唐の律令を導入したためである。律令は軍事面において即効性を発揮したのだ。律令と言えば行政法のイメージが強いが、もともとは占領した領地を効率よく統治するためのものである。皮肉なことに、唐は敵に塩を送り、自分の国の律令に敗北したのである。新羅が生き残った理由は新羅のしたたかさと唐の自滅にあったと言える。


歴史資源へのまなざし

2023-07-29 09:58:21 | 日記
歴史資源へのまなざし
私は大学で観光、大学院で歴史学、現在は仕事で発掘調査(考古学)に携わっている。近年、観光庁が答申を出し、歴史資源が注目されている。しかし歴史資源の定義はあいまいである。そこで私なりに考えたことを紹介したい。歴史資源について、私はガイドを核に歴史学と考古学を統合できるのでないかと思っている。学生時代、私はガイドをしていたときに心がけていたことはお寺の説明よりも、なぜお寺を建てようと思ったのか、人々がお寺に期待したことは何か人の心を伝えることである。歴史を資源として見るとき、お寺などの文化財は学術的にどう重要なのかだけではなく地域の人にどう重要なのかである。歴史資源とはまさに歴史学や考古学を活用してまちづくりをすることである。仕事柄、文化財に携わることが多く、今後も文化財を伝える活動をしていきたいと考える。