サラ☆の物語な毎日とハル文庫

三津田さんの物語②~フサコさんが生まれた日

 

@サラ☆

三津田さんの物語の2回め。

一度アップしましたが、一部分、少しやわらかくなるよう訂正しましたm(__)m

 

★フサコさんが生まれた日

 

誰かの物語を描くのなら、生まれたその日から書き起こしていくのがいいでしょう。

フサコさんの物語も、そうしようと思います。

 

フサコさんが生まれたのは大正元年(1912)10月31日。

気象庁によると、この日の東京駅近辺は午前中から雨がぱらつき、

正午ごろにまとまった雨が降ったと記録されています。

(本郷界隈も同じだと思いますよ。)

 

「大正元年は1年を明治と大正で二分し、7月30日までを明治、

7月31日以降を大正としたのよ」とフサコさんはよくいっていました。

つまり10月31日生まれのフサコさんは、まぎれもなく大正生まれだけれど、

とはいえ「少しは明治の気風も流れていると思うのよ」。 

フサコさんのおじいさんは、江戸末期、加賀前田家の家老職にありました。

「その祖父からは、質実剛健の性格を譲り受けたと自認しています」とフサコさん。

 

加賀前田家というのは、戦国時代から安土桃山時代にかけて武運を上げ、

大名となった戦国武将・前田利家を始祖とする大名家。

フサコさん自身の先祖は前田利家の六男利貞だそうです。

 

フサコさんが生まれたのは、本郷の東大赤門のところにあった

侯爵前田家の屋敷内。(前田侯爵は父親のお兄さんです。)

ちなみに江戸時代は東京大学本郷キャンパスのほとんどが、前田家の

上屋敷だったのです。

歴史の授業で学んだように、明治時代に入って廃藩置県が実施されました。

前田家も他の大名と同じように、藩の領地や江戸・京都の屋敷などほとんどを

新政府に返還し、残った本郷の広大な屋敷に住んでいたのです。

 

父親貞久は大名家の七日市家から迎えられた図書家の入り婿。

フサコさんは、夫婦初めての子供として、

ねずみ年の10月最後の木曜日、屋敷内の一隅で産声をあげました。

名前は前田冨左子。佐ではなく左と書くのが特徴的ですね。

目鼻立ちの整った元気で可愛らしい女の子でした。

 

1912年といえば、ストックホルム・オリンピックが開催され、

日本がはじめてオリンピックに参加した年。

豪華客船タイタニック号が北大西洋で沈没した年でもあります。

そのころの日本は、平和で穏やかな空気が流れていました。 

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