※佐々木氏は佐々木六角氏と佐々木京極氏に
分かれていきますので、2回に分けての
投稿です。まずは佐々木六角氏から。
【佐々木氏の歴史】
*近江源氏佐々木氏の末裔。氏綱の子の時に
分派。次男高信の系統は、後義綱の時に
朽木氏となる。四男泰綱は京都六角東洞院
に住み、佐々木六角氏の祖。五男氏信は
京極高辻に住み佐々木京極家の祖となる。
≪佐々木六角氏≫
*鎌倉期より佐々木氏惣領として近江守護を
世襲してきたが、南北朝京極高氏の頃京極氏
に押される。その後半国守護化し、北近江
守護は京極氏・南近江守護は六角氏となる。
応仁の乱に入り、1468年から京極氏と六角氏
の抗争が激化。高頼の時それまでの寺社領
収奪を幕府から咎められ、足利義尚軍に攻め
られ甲賀に逃げる。1492年には足利義稙・
幕府軍に攻められ伊勢に逃げる。
*その子定頼の時佐々木六角氏の全盛期を
迎える。京極氏の臣浅井氏(亮政)に連勝。
1527年将軍義晴・細川高国が義維・細川
晴元との抗争に破れ近江に落ち延びてくる
とこれを保護。本願寺を山城から追い出し
本願寺は大坂へと移る。また美濃国内紛
にも関与し、土岐頼武・頼芸の抗争の時は、
朝倉孝景と組んで兄頼武を支援した。
1546年には足利義輝の元服式で管領代と
なり、御相伴衆に列せられる。
※その子義賢(承禎)の時、近江に逃亡して
きた細川晴元と足利義晴・義輝父子を保護。
三好・松永党と戦う。また湖北で浅井長政
と戦い敗北。1557年には本願寺顕如を婿に
迎え和解。その後1563年子息の義治が重臣
後藤氏を謀殺したことから一家の内紛となり、
統率力が弱体化してゆく。和田伊賀守惟政
に命じ、信長の妹(お市)と浅井長政の縁組
を計るも、長政の同意が得られず一旦中止。
足利義輝弑逆事件の後流れてきた足利義秋を、
一家内紛の為保護できず。やっと1567年旧臣
蒲生定頼のとりなしにより家臣団との和解が
なり、「六角式目」制定の上遵守することを
約束したが、重臣の後藤氏・三上氏・布施氏・
横山氏らの信頼は回復できず。1568年信長の
義昭上洛のための戦いの時抵抗したが、箕造山
を攻陥され観音寺城から退城し石部へ逃亡。
その後浅井氏・本願寺と組んで再挙を図るも、
宇治田原で病死。
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*近江源氏佐々木氏の末裔。氏綱の子の時に
分派。次男高信の系統は、後義綱の時に
朽木氏となる。四男泰綱は京都六角東洞院
に住み、佐々木六角氏の祖。五男氏信は
京極高辻に住み佐々木京極家の祖となる。
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*鎌倉期より佐々木氏惣領として近江守護を
世襲してきたが、南北朝京極高氏の頃京極氏
に押される。その後半国守護化し、北近江
守護は京極氏・南近江守護は六角氏となる。
応仁の乱に入り、1468年から京極氏と六角氏
の抗争が激化。高頼の時それまでの寺社領
収奪を幕府から咎められ、足利義尚軍に攻め
られ甲賀に逃げる。1492年には足利義稙・
幕府軍に攻められ伊勢に逃げる。
*その子定頼の時佐々木六角氏の全盛期を
迎える。京極氏の臣浅井氏(亮政)に連勝。
1527年将軍義晴・細川高国が義維・細川
晴元との抗争に破れ近江に落ち延びてくる
とこれを保護。本願寺を山城から追い出し
本願寺は大坂へと移る。また美濃国内紛
にも関与し、土岐頼武・頼芸の抗争の時は、
朝倉孝景と組んで兄頼武を支援した。
1546年には足利義輝の元服式で管領代と
なり、御相伴衆に列せられる。
※その子義賢(承禎)の時、近江に逃亡して
きた細川晴元と足利義晴・義輝父子を保護。
三好・松永党と戦う。また湖北で浅井長政
と戦い敗北。1557年には本願寺顕如を婿に
迎え和解。その後1563年子息の義治が重臣
後藤氏を謀殺したことから一家の内紛となり、
統率力が弱体化してゆく。和田伊賀守惟政
に命じ、信長の妹(お市)と浅井長政の縁組
を計るも、長政の同意が得られず一旦中止。
足利義輝弑逆事件の後流れてきた足利義秋を、
一家内紛の為保護できず。やっと1567年旧臣
蒲生定頼のとりなしにより家臣団との和解が
なり、「六角式目」制定の上遵守することを
約束したが、重臣の後藤氏・三上氏・布施氏・
横山氏らの信頼は回復できず。1568年信長の
義昭上洛のための戦いの時抵抗したが、箕造山
を攻陥され観音寺城から退城し石部へ逃亡。
その後浅井氏・本願寺と組んで再挙を図るも、
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