へんくつゃ半睡の「とほほ」な生活!

 奇人・変人・居眠り迷人。医療関連を引退⇒
某所で隠遁準備中。性質が頑な、素直ではなく、
偏屈でひねくれています。

【言】えんため・・・!@正しい日本語

2009年05月14日 | 日本語入力

えんため・・・円為・・・円貯め

 

 

 

某日、ラジオで「えんため・・・」と聞いた。
「縁溜め」・「炎矯め」・・・なんのことか、わからなかった。

 

  

 

某日、同じ時間に聞いたら、やはり「えんため・・・」と言う。
えんたーていんめんと」を「えんため」と縮めて言ってるらしい!

 

  

 

なぜ!?「えんたーていんめんと」を「えんため」と言うのか!?

 

 

時間がないのか!?。読めないのか!?。発音できない!?。

 

  

 

エンターテインメント【entertainment】
「えんたーていんめんと」 《「エンタテイメント」とも》
1 娯楽。気晴らし。また、そのための催し。
2 演芸。余興

 

 

 

ちでじ・・・血出痔・・・「地デジ」と同じく、汚い言葉である。

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【歩】浅草花やしき・・・@江戸を歩く

2009年05月13日 | 江戸を歩く

花やしき・・浅草公園の北側にある遊園地。

 

  
 昭和二十八年にコースターが設置されたという歴史を持ちます。
それどころか、この遊園地自体、嘉永六年(1853年)開園というから、
もうほとんど文化財。ペリーが開港を迫って来日した頃です。

 

 この入り口付近が建て込んでいるので、何だか遊園地らしくない処です。

今も昔も東京の名所の一つである。

 

 浅草花やしき、東京都台東区浅草二丁目28番1号にある本最古の遊園地とされる。
ただし、一度取り壊された後、昭和二十二年(1947)に復活した経緯があるため、
 現在はナムコの子会社である株式会社花やしきが運営している。

 

 

 

 千駄木の植木商、森田六三郎により牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。
当時の敷地面積は約80,000㎡だった。
江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用され、
唯一の遊具はブランコであった。

 

 

 

 明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。
しかし敷地は縮小し、明治十八年に木場の材木商・山本徳治郎(長谷川如是閑の父)と
その長男・松之助が経営を引き継ぐ。


 翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。

 

 

産経の記者さん・・・摩耶姫もここで、逢い引き・密会のようです。
http://michimarum.iza.ne.jp/blog/entry/1010740/

 

 <wbr></wbr>《出典・参考・参照・引用》
浅草花やしき
http://www.hanayashiki.net/

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【食】薫風・・・お祭り弁当!@江戸を歩く

2009年05月11日 | 江戸を歩く

薫風  お祭り弁当

 

昔は、こんな場所(明神脇)で戴いたのでありますが、 

  

 

 

  正直なところ、あまり美味しくありませんでした。

 半分以上を残したところ、帰りに持たしてくれました。

 

 ★夜に、半分残した赤飯と、冷凍庫・冷蔵庫にあった

壬生菜とレタスとキャベツのツナサラダ。

わかめとたくあんの酢の物。

五目ひじき。・・・などと併せて戴きました。 

 

 

食い物の恨みは恐ろしいのだ!

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【奉】神田祭り・・・神輿宮入!@江戸を歩く

2009年05月10日 | 江戸を歩く

 奉祝 平成二十一年五月十日( 神輿宮入

 

 

 

 

 《出典・参考・参照・引用》

神田明神
http://www.kandamyoujin.or.jp/top.html

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【読】弁慶濠に架かるから・・・弁慶橋!@江戸を歩く

2009年05月08日 | 江戸を歩く

弁慶橋 赤坂見附そばの弁慶濠に架かる橋。 

 

 

 

対岸の桜の咲いている公園は元紀州家屋敷の跡地。
現在の周囲には高層ホテルが林立してます。

 

 紀尾井町の東側から南側に水をたたえている弁慶堀に架かっている橋です。
清水谷公園前を通って、紀尾井町から港区元赤坂一丁目に通じる道筋にあります。

 
 明治二十二年(1889)に、それまで神田松枝町と岩本町との間にあった弁慶橋
不用になったため、再利用され、ここに移されました。

 

 江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作った橋であることから、
弁慶橋と名付けられたといわれています
。(前頁を参照して下さい)


 弁慶橋ができたため、それまで遠く迂回して行き来していた両側の住民は
大変に喜んだとあります。

 それまでは清水谷公園前の道は人通りも少なくさびしい道でした。
 

 現在の弁慶橋は、昭和六十年(1985)十一月に改架した、
長さ44.75㍍、幅22.0㍍のコンクリ-ト橋です。

所在地:千代田区紀尾井町~港区元赤坂一丁目

だれかさ~ん だ~れかさんが 楽しんだ洋式の小舟

 

参考参照引用
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/tokyo/benkei.htm

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