【我那覇真子「おおきなわ」#46】那覇で失踪する外国人観光客?!大型客船レポート~入国管理の実態 / 11・18忘年会で〝バブリーダンス〟[桜H30/11/23]
2018/11/23 に公開
「大和」「おきなわ」「家族のように繋がっていく日本ネットワーク」というイメージを込めたタイトル「おおきなわ」。
メインキャスターの我那覇真子が、現在の日本に蔓延る「負の和」を「正の和」に変え、本来あるべき日本を取り戻すべく、政治家・識者に問いかけたり、全国草莽の皆さんとの活動を紹介する番組。
①那覇市大型客船レポート&国際通りでインタビュー
②那覇港・入国管理の実態~「静かなる日本侵略 」を読む
③11.18 琉球新報・沖縄タイムスを正す県民国民の会 忘年会
④目覚める朗読コーナー~高田屋嘉兵衛
#入国管理 #国防動員法 #バブリーダンス
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
◆チャンネル桜YouTubeページ
https://www.youtube.com/user/SakuraSoTV
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蛍の光
一、蛍の光、窓の雪
書(ふみ)読む月日、重ねつつ。
いつしか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。
【解説】蛍を集めた光や雪の明かりを頼りにして、貧しくとも共に苦労して勉学に励んできた友よ、いよいよお別れの時が来ましたね。
二、止まるも行くも、限りとて、
互(かたみ)に思う、千萬(ちよろず)の
心の端(はし)を、一言に、
幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり。
【解説】学舎にとどまる人も、また学を修めて卒業し、旅だってゆく人も、今日を限りと思って、お互いにかわした心の架け橋、永遠の絆を、無事にあれとばかりを念じて、この歌の一言に思いを託して歌います。
※「かたみにおもう」=お互いに思う 「さき(幸)く」=無事に
三、筑紫の極み、陸(みち)の奥、
海山遠く、隔つとも、
その眞心(まごころ)は、隔て無く、
一つに尽くせ、國の為。
【解説】九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心はただひとつにして互いに国の発展の為に尽くそう。
※「つくし(筑紫)」=九州の古い呼び方 「みちのおく」=陸奥。東北地方
四、千島の奥も、沖繩も、
八洲(やしま)の内の、護(まも)りなり、
至らん國に、勲(いさお)しく、
努めよ我が背、恙(つつが)無く。
【解説】千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どこの地に赴こうとも、日本各地それぞれの地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任にあたり、務めを果たしていただきたい。
※「やしま」=八島、八洲。日本の国の古い呼び方 「いたらんくにに」=国の至る所で 「いさおしく」=勇ましく 「せ」=背、夫、兄。兄弟とか友 「つづがなく」=お元気で
原曲はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」、作詞は稲垣千頴です。
日本教育再生ネットワークのブログ 歌詞は、小学唱歌集初編(1881年<明治14年>11月24日付)に掲載された時のものです。
明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂する時、稲垣千頴が作詞した今様形式の歌詞が採用され、「蛍の光」となりました。
歌詞の歴史的経緯に詳しいありむら治子参議院議員の話によると、『蛍の光』の歌詞は明治維新の前からあったもので、日本の領土が明確に歌詞に示されているとのことです。ありむら治子議員 は加藤清隆著「女性宰相待望論」 の中で9人の女性宰相候補の一人に挙げられています。
(ウイキペディアより)
2018/11/23 に公開
「大和」「おきなわ」「家族のように繋がっていく日本ネットワーク」というイメージを込めたタイトル「おおきなわ」。
メインキャスターの我那覇真子が、現在の日本に蔓延る「負の和」を「正の和」に変え、本来あるべき日本を取り戻すべく、政治家・識者に問いかけたり、全国草莽の皆さんとの活動を紹介する番組。
①那覇市大型客船レポート&国際通りでインタビュー
②那覇港・入国管理の実態~「静かなる日本侵略 」を読む
③11.18 琉球新報・沖縄タイムスを正す県民国民の会 忘年会
④目覚める朗読コーナー~高田屋嘉兵衛
#入国管理 #国防動員法 #バブリーダンス
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
◆チャンネル桜YouTubeページ
https://www.youtube.com/user/SakuraSoTV
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蛍の光
一、蛍の光、窓の雪
書(ふみ)読む月日、重ねつつ。
いつしか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。
【解説】蛍を集めた光や雪の明かりを頼りにして、貧しくとも共に苦労して勉学に励んできた友よ、いよいよお別れの時が来ましたね。
二、止まるも行くも、限りとて、
互(かたみ)に思う、千萬(ちよろず)の
心の端(はし)を、一言に、
幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり。
【解説】学舎にとどまる人も、また学を修めて卒業し、旅だってゆく人も、今日を限りと思って、お互いにかわした心の架け橋、永遠の絆を、無事にあれとばかりを念じて、この歌の一言に思いを託して歌います。
※「かたみにおもう」=お互いに思う 「さき(幸)く」=無事に
三、筑紫の極み、陸(みち)の奥、
海山遠く、隔つとも、
その眞心(まごころ)は、隔て無く、
一つに尽くせ、國の為。
【解説】九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心はただひとつにして互いに国の発展の為に尽くそう。
※「つくし(筑紫)」=九州の古い呼び方 「みちのおく」=陸奥。東北地方
四、千島の奥も、沖繩も、
八洲(やしま)の内の、護(まも)りなり、
至らん國に、勲(いさお)しく、
努めよ我が背、恙(つつが)無く。
【解説】千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どこの地に赴こうとも、日本各地それぞれの地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任にあたり、務めを果たしていただきたい。
※「やしま」=八島、八洲。日本の国の古い呼び方 「いたらんくにに」=国の至る所で 「いさおしく」=勇ましく 「せ」=背、夫、兄。兄弟とか友 「つづがなく」=お元気で
原曲はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」、作詞は稲垣千頴です。
日本教育再生ネットワークのブログ 歌詞は、小学唱歌集初編(1881年<明治14年>11月24日付)に掲載された時のものです。
明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂する時、稲垣千頴が作詞した今様形式の歌詞が採用され、「蛍の光」となりました。
歌詞の歴史的経緯に詳しいありむら治子参議院議員の話によると、『蛍の光』の歌詞は明治維新の前からあったもので、日本の領土が明確に歌詞に示されているとのことです。ありむら治子議員 は加藤清隆著「女性宰相待望論」 の中で9人の女性宰相候補の一人に挙げられています。
(ウイキペディアより)