日本から見たサピエンス全史#12◉田中英道◉和同開珎は何故日本で流行らなかったのか?中央アジアから来たユダヤ人の影響とは
主には古墳時代〜飛鳥時代〜奈良時代にかけての日本では、大陸からの影響を様々な面で受けていたが、それは主には中国や朝鮮からではなく、中央アジアからやってきたユダヤ人の影響(秦氏、多胡氏)である、と田中英道氏は確信する。
和銅元年(708年)に誕生した初めての貨幣「和同開珎」は、まさに渡来人・多胡羊太夫(たご ひつじだゆう。群馬県在住)の発案である。しかしそれがほとんど流通しなかった。日本人が古来より持っていた価値観と相容れなかったためである。 しかし彼らは様々な技術をもたらした。土木技術はその最たるもので、この度世界遺産になる、仁徳天皇陵など古墳は、彼らの技術の賜物である。
★「日本から見たサピエンス全史」再生リスト:http://bit.ly/2RondKP
★ 田中先生へのご質問・ご感想 info@hayashibara-ch.jp
<田中先生推薦の書!帯に推薦文あり!> ★『あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) 』モルデカイ・モーゼ Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/499108900X/ →在庫切れが続いておりますが随時追加補充しております。 林原チャンネルが販売協力!Twitterでは最新情報発信中! https://twitter.com/yaramaika360 =====================
<目次的な!>
・古代日本文明はいかに西方の渡来人から影響を受けたか
・中国/朝鮮の影響よりも中央アジア(ユダヤ)の影響が濃い
・外国の影響は良い面だけでなく悪い面もある
・渡来民族の悪い一面 = 暴力性
・日本の武士道は守りが基本、争いは避ける、しかし戦えば勝つという教え ・崇神天皇(第10代)の紀元前1世紀以降、大陸の影響を受け始める
・7世紀(飛鳥時代)以降は、白村江の戦い、壬申の乱などが起こる
・縄文、弥生の時代はほとんど争いをしていないことは考古学的にわかっている
・世界に目を向けることは良いことだが・・・悪い影響も受ける
・崇峻天皇(32代)を殺したのは東漢氏(あずまあやし / 秦氏と同じ渡来系)※蘇我氏の護衛などを担当し武力に優れていた
・大陸的なものに慣れない日本人の存在
・雄略天皇(第21代天皇) 5世紀後半に在位 第20代安康天皇らを殺害し即位 秦氏などの渡来人を政権内に重用した強権的君主 高句麗や百済にも出兵&交易を深め 古代中国の『宋書』に ある倭の五王(讃・珍・済・興・武)の武にあたるとされる人物 ・雄略天皇(第21代)の時代、5世紀後半の日本
・<渡来人の影響力が増した暴力的な時代> 大量の秦氏を受け入れた応神天皇(第15代 / 4世紀頃)以降顕著になってくる
・秦氏が神社をたくさん作ったのは、怨霊や祟りを祓うため
・殺人や怨霊を忌み嫌う、日本人の感受性
・大量虐殺を平気で行う大陸の野蛮な民族(モンゴルとか)
・「祓う」「清める」という神道の役割
・キリスト教でいう“原罪”は、次に行う罪を軽くする
・恨み・辛みという感情を安らかに鎮めようとする日本人
・日本人とお金 (15:10)
・日本最初の流通貨幣
・和同開珎(わどうかいほう / わどうかいちん) 和銅元年(708年)に発行された日本で最初の貨幣 現在の埼玉県秩父から和銅が発見された ・多胡 羊太夫(たご ひつじだゆう) 上野国(現在の群馬県 / 上毛野国)で郡司として活躍(7世紀後半) 渡来の焼き物、養蚕など 新しい技術を導入したとされる
※はっきり言ってユダヤ人、羊と馬を日本に持って来た 群馬という名前の由来もそこにある?
・ユダヤ系人(秦氏)がもたらしたもの ・<秦氏の名の由来> ヘブライ語で「ユダ族」を「(イェ)ハダ」という 「秦(ハダ)」はユダ族という意味とのこと
・土木技術ももたらした(この時代に古墳がたくさん出来たのも彼らの影響。群馬県は古墳の数が最も多い)
・仁徳天皇陵 大阪府堺市堺区大仙町にある 長さ525m 高さ40mの日本最大の前方後円墳(大仙陵古墳ともいう)
「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産に決定 国内23件目、陵墓は初 - 産経ニュース
※応神天皇陵(425m)が2番目の大きさ
※2019年7月に世界遺産に登録される見通し(賛否あり)
・絹織物の技術も彼らがもたらした(群馬になぜ絹産業がさかんか?富岡製糸工場の元祖は多胡氏のユダヤ人か?)
・日本のお金はお米だった
・お米は神への捧げ物(単なる食物ではなく感謝の念を持つもの)
・稲作がうまくいかない年はお上からお米を借り受けていた
・出挙(すいこ) 利子付き貸借のこと 8世紀の養老律令に初出した言葉 農業生産の推進・奨励のため稲の種子を貸与した
・しかし和同開珎は日本人の間ではほとんど流通しなかった
・憂慮した政府は以下の法令を出す
・蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい) 和銅4年(711年)一定量の銭を蓄えた者に位階を与えるよう定められた法令
・日本人にとってのお金と労働の概念
・利益や蓄財のためにお金を使うことは考えなかった当時の日本人
・明治以降簡単に西洋式の通貨・金融に慣れたのは、お礼として捉えたから ・利子はあくまで「お礼」という概念
・お礼は日本の慣例となっている(お中元お歳暮など)
・ユダヤ人的な金銭・金融感覚により近代の資本主義はつくられたと言える ・しかし「文化」はユダヤ人たちにはつくれない
・ユダヤ人は文化を買ったり破壊することはできる
・ユダヤ人芸術家は既存文化の破壊を作品のテーマとしている
・文化は土地に根ざした共同体の中から生まれる
・日本人が文化を生み出せる理由
・ギリシャと欧州ルネッサンスと日本、それが世界三代文化
・秦氏が日本の文化に魅せられた理由
・一神教を捨ててまで日本に同化した秦氏
・さんざんキリスト教の布教を行なって来たが日本には1%程度しか普及しない
・西洋的な考え方に揺るがない日本の伝統と文化
・特に戦後は日本の文化を破壊する動きが多かったが、結局1%以下に過ぎない
・サミュエル・ハンティントン(1927年 - 2008年) 米国の国際政治学者『文明の衝突』(1996年)が有名 日本文明についての言及多数あり
・一方ではユダヤ人の人たちと日本人は友好になれる(お互い無いものを持っている)
・日本と世界の歴史が日本人によって書かれないとダメだ (というコンセプトで本番組は行われています!)
#和同開珎 #古墳時代 #群馬の謎 ======================
田中英道「日本から見たサピエンス全史」#12 収録日:2018年5月8日 45分
製作・著作:林原チャンネル
主には古墳時代〜飛鳥時代〜奈良時代にかけての日本では、大陸からの影響を様々な面で受けていたが、それは主には中国や朝鮮からではなく、中央アジアからやってきたユダヤ人の影響(秦氏、多胡氏)である、と田中英道氏は確信する。
和銅元年(708年)に誕生した初めての貨幣「和同開珎」は、まさに渡来人・多胡羊太夫(たご ひつじだゆう。群馬県在住)の発案である。しかしそれがほとんど流通しなかった。日本人が古来より持っていた価値観と相容れなかったためである。 しかし彼らは様々な技術をもたらした。土木技術はその最たるもので、この度世界遺産になる、仁徳天皇陵など古墳は、彼らの技術の賜物である。
★「日本から見たサピエンス全史」再生リスト:http://bit.ly/2RondKP
★ 田中先生へのご質問・ご感想 info@hayashibara-ch.jp
<田中先生推薦の書!帯に推薦文あり!> ★『あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) 』モルデカイ・モーゼ Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/499108900X/ →在庫切れが続いておりますが随時追加補充しております。 林原チャンネルが販売協力!Twitterでは最新情報発信中! https://twitter.com/yaramaika360 =====================
<目次的な!>
・古代日本文明はいかに西方の渡来人から影響を受けたか
・中国/朝鮮の影響よりも中央アジア(ユダヤ)の影響が濃い
・外国の影響は良い面だけでなく悪い面もある
・渡来民族の悪い一面 = 暴力性
・日本の武士道は守りが基本、争いは避ける、しかし戦えば勝つという教え ・崇神天皇(第10代)の紀元前1世紀以降、大陸の影響を受け始める
・7世紀(飛鳥時代)以降は、白村江の戦い、壬申の乱などが起こる
・縄文、弥生の時代はほとんど争いをしていないことは考古学的にわかっている
・世界に目を向けることは良いことだが・・・悪い影響も受ける
・崇峻天皇(32代)を殺したのは東漢氏(あずまあやし / 秦氏と同じ渡来系)※蘇我氏の護衛などを担当し武力に優れていた
・大陸的なものに慣れない日本人の存在
・雄略天皇(第21代天皇) 5世紀後半に在位 第20代安康天皇らを殺害し即位 秦氏などの渡来人を政権内に重用した強権的君主 高句麗や百済にも出兵&交易を深め 古代中国の『宋書』に ある倭の五王(讃・珍・済・興・武)の武にあたるとされる人物 ・雄略天皇(第21代)の時代、5世紀後半の日本
・<渡来人の影響力が増した暴力的な時代> 大量の秦氏を受け入れた応神天皇(第15代 / 4世紀頃)以降顕著になってくる
・秦氏が神社をたくさん作ったのは、怨霊や祟りを祓うため
・殺人や怨霊を忌み嫌う、日本人の感受性
・大量虐殺を平気で行う大陸の野蛮な民族(モンゴルとか)
・「祓う」「清める」という神道の役割
・キリスト教でいう“原罪”は、次に行う罪を軽くする
・恨み・辛みという感情を安らかに鎮めようとする日本人
・日本人とお金 (15:10)
・日本最初の流通貨幣
・和同開珎(わどうかいほう / わどうかいちん) 和銅元年(708年)に発行された日本で最初の貨幣 現在の埼玉県秩父から和銅が発見された ・多胡 羊太夫(たご ひつじだゆう) 上野国(現在の群馬県 / 上毛野国)で郡司として活躍(7世紀後半) 渡来の焼き物、養蚕など 新しい技術を導入したとされる
※はっきり言ってユダヤ人、羊と馬を日本に持って来た 群馬という名前の由来もそこにある?
・ユダヤ系人(秦氏)がもたらしたもの ・<秦氏の名の由来> ヘブライ語で「ユダ族」を「(イェ)ハダ」という 「秦(ハダ)」はユダ族という意味とのこと
・土木技術ももたらした(この時代に古墳がたくさん出来たのも彼らの影響。群馬県は古墳の数が最も多い)
・仁徳天皇陵 大阪府堺市堺区大仙町にある 長さ525m 高さ40mの日本最大の前方後円墳(大仙陵古墳ともいう)
「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産に決定 国内23件目、陵墓は初 - 産経ニュース
※応神天皇陵(425m)が2番目の大きさ
※2019年7月に世界遺産に登録される見通し(賛否あり)
・絹織物の技術も彼らがもたらした(群馬になぜ絹産業がさかんか?富岡製糸工場の元祖は多胡氏のユダヤ人か?)
・日本のお金はお米だった
・お米は神への捧げ物(単なる食物ではなく感謝の念を持つもの)
・稲作がうまくいかない年はお上からお米を借り受けていた
・出挙(すいこ) 利子付き貸借のこと 8世紀の養老律令に初出した言葉 農業生産の推進・奨励のため稲の種子を貸与した
・しかし和同開珎は日本人の間ではほとんど流通しなかった
・憂慮した政府は以下の法令を出す
・蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい) 和銅4年(711年)一定量の銭を蓄えた者に位階を与えるよう定められた法令
・日本人にとってのお金と労働の概念
・利益や蓄財のためにお金を使うことは考えなかった当時の日本人
・明治以降簡単に西洋式の通貨・金融に慣れたのは、お礼として捉えたから ・利子はあくまで「お礼」という概念
・お礼は日本の慣例となっている(お中元お歳暮など)
・ユダヤ人的な金銭・金融感覚により近代の資本主義はつくられたと言える ・しかし「文化」はユダヤ人たちにはつくれない
・ユダヤ人は文化を買ったり破壊することはできる
・ユダヤ人芸術家は既存文化の破壊を作品のテーマとしている
・文化は土地に根ざした共同体の中から生まれる
・日本人が文化を生み出せる理由
・ギリシャと欧州ルネッサンスと日本、それが世界三代文化
・秦氏が日本の文化に魅せられた理由
・一神教を捨ててまで日本に同化した秦氏
・さんざんキリスト教の布教を行なって来たが日本には1%程度しか普及しない
・西洋的な考え方に揺るがない日本の伝統と文化
・特に戦後は日本の文化を破壊する動きが多かったが、結局1%以下に過ぎない
・サミュエル・ハンティントン(1927年 - 2008年) 米国の国際政治学者『文明の衝突』(1996年)が有名 日本文明についての言及多数あり
・一方ではユダヤ人の人たちと日本人は友好になれる(お互い無いものを持っている)
・日本と世界の歴史が日本人によって書かれないとダメだ (というコンセプトで本番組は行われています!)
#和同開珎 #古墳時代 #群馬の謎 ======================
田中英道「日本から見たサピエンス全史」#12 収録日:2018年5月8日 45分
製作・著作:林原チャンネル