休眠しました。

mem-papaのきままな自分用メモ帳
13年目に突入
固いこと柔らかいことそのとき

言葉

2014-03-11 20:01:00 | Electric power supply
 北大のある教授が原子力発電というものについてお立場もあるのでしょう、断定的な言葉はなかったようですが、東京電力というような一企業に任せられるような問題なのかどうかというお話をされていました。経営では10年後でも長期ですが核でいえば100年後でも刹那な話でしかないですものね。北海道はクリーンな農産物や、観光資源で成立しているので東北と同じ状況になったら風評被害では東北地方以上に壊滅的な打撃をこうむるでしょうという話もあったようです。(一地方の利益の話を言っているわけではないので。あしからず。)
 サンデル教授が万人のために身を犠牲にして事故後の原発施設の後片付けをする人達について、彼らに十分なお金という対価が支払われるという設定を仮定した場合でも、その仕事を押し付ける我々には道義的責任がないのかという問いをしていたときに、まあ、日本人からは出てこない問いだなぁとつくづく思いました。問題のその所在、そこにあることに気づいてはいても晒そうとは思わない。個人として発話も発言もせず言うべき場所をじっと伺うという点では韓国・中国に比較しても民度が低いというか鈍いというか。狭い共同体のある範囲のなかで順応と適応してるということだけで説得力が微塵もないだろうと感じた…普遍や絶対を志向することは恒に暴力的と同義なわけでもないし。今日みたいな日には、繰り返し同じことを書きたくなります。