ピサの斜塔から大聖堂(ドゥオモ)の屋根を写しました。
写真は、3月24日にピサに行った時、斜塔の上から眺めたドゥオモです。
何故でしょうか、突然、Oさん(本名)の事が想い出されて、久々に検索してみましたら、ユーチューブに在りし日の画像がアップされていて、懐かしい声が聞こえてきました。
写真は数枚アルバムに残っているはずですが、そのアルバムは現在私の手元にありませんから、もし、インターネットが普及していなければ、決して見ることが出来ない写真です。
亡くなられて32年が経ちますが、写真や映像を見ていると、今でもそこに、いらっしゃるような気がするのですから、不思議です。
さまざまな影響を与えてくださって、教えられたことが、沢山ありました。
沢山の写真が載っている画面を見ていると、あらためてOさんの人柄が忍ばれます。
能力のある、優しい人に出会えるチャンスがあったことで、充実した日々が、送れたような気がします。
鬼籍に入られて久しくなりますが、想い出すと「ここに居る…ヨ。」と、応えてくれます。
お蔭で、生きてゆく上で、勇気があたえられて、困難にも立ち向かうことができました。
このような方が多くいるような感じがしますが、それは、沢山の方を見送ったことの証です。
生きている以上は避けて通れないことがありますが、これも、貴重な体験の一つだったのかも知れません。
在りし日のO氏の写真が載った書籍に、懐かしさを感じる昨今です。
写真は、3月24日にピサに行った時、斜塔の上から眺めたドゥオモです。
何故でしょうか、突然、Oさん(本名)の事が想い出されて、久々に検索してみましたら、ユーチューブに在りし日の画像がアップされていて、懐かしい声が聞こえてきました。
写真は数枚アルバムに残っているはずですが、そのアルバムは現在私の手元にありませんから、もし、インターネットが普及していなければ、決して見ることが出来ない写真です。
亡くなられて32年が経ちますが、写真や映像を見ていると、今でもそこに、いらっしゃるような気がするのですから、不思議です。
さまざまな影響を与えてくださって、教えられたことが、沢山ありました。
沢山の写真が載っている画面を見ていると、あらためてOさんの人柄が忍ばれます。
能力のある、優しい人に出会えるチャンスがあったことで、充実した日々が、送れたような気がします。
鬼籍に入られて久しくなりますが、想い出すと「ここに居る…ヨ。」と、応えてくれます。
お蔭で、生きてゆく上で、勇気があたえられて、困難にも立ち向かうことができました。
このような方が多くいるような感じがしますが、それは、沢山の方を見送ったことの証です。
生きている以上は避けて通れないことがありますが、これも、貴重な体験の一つだったのかも知れません。
在りし日のO氏の写真が載った書籍に、懐かしさを感じる昨今です。