音楽が好きで、踊りが好きでいつも家の中はレコードがかかっていて
保育園のお遊戯会の曲はすべていえにあって・・・って環境だった。
それがなぜなのかはわからない。
本当に小さい時から、ピアノは習っていて、そのころは親も熱心だったから、進むのが早かった。
実際楽しかったしね。
家庭内がざわついた感じになったと記憶しているのは、家を建てたあたりかな?
いつも喧嘩が絶えなくて、いまでいうとDV家庭。
それでも、中学まではそれなりに音楽の時間を楽しんでいた。
だから、
歌うこと、演奏すること好きだったのに、
練習できなくなった自分の環境が
辛かったのかな?
よく覚えていないのが事実だけれど、
合唱のピアノの伴奏が本番だけ入れ替わっちゃったり。
悲しいことが多かったね。
高校は大好きな音楽の先生からセクハラを受けて、もう嫌になっちゃったんだろうか?
それでも、
進学するたびに音楽に触れていたよね。
職場でも、強制的だったけど地域のバンドに入ったり・・・。
でも、
いっつもつまらなそうにしているって。(笑)
つまらないわけじゃないんだけれど、どう表現していいかわからなかったんだよね。
喜んでいいのか、またこの楽し時間が奪われてしまうのではないかと、不安だったり。
吹奏楽もチャレンジしたかった。
トライするチャンスが来るたびに、「どうせ、ダメになるって・・・・」
そんな気持ちがいっぱいになっていた。
それでも教会で歌う讃美歌や、函館に来てからの「第九」
コンサートの通訳で、自分は歌ったり、演奏したりはしていないけれど、その音楽を伝えるために、頑張ってきた。
きっとこれは小さな私(kasumi)が頑張ってくれていたんだなってわかる。
けど、大人の私はとても臆病で、一歩前に進めないと思い込んでいた。
楽しい時間は、きっとだれかに奪われてしまうと・・・。
今日、ゴスペルクワイヤMSCで花と緑のフェスティバルでステージがあった。
歌い始めてひと月半。
木曜日の練習の時に、すごく歌いたいって思ったんだ。
けど、臆病な私は次の行事の時にって思っていた。
なぜならば、それも自信をもって覚えているとはいいがたい。
そして、本当にあいまいな曲が一つあって、この状態で歌いたいって思ってもいいのかなと、自問自答。
けれど、昨日メンバーや歌を教えてくれているじゅんこさんが、「見に来るんだったら、歌っちゃいなよ」って背中を押してくれた。
そして本番。
楽しかった。
うれしかった。
ゴスペルは、神様の言葉の歌なのだから、神様がだめ!っていうはずはないのだ。(たぶん)
私は楽しく過ごしている自分が、いつまで楽しくしていられるんだろうか?と、不安になりながら、楽しい自分を認められないでいる。
奪わないで!と思いながら、自分を守れないでいる。
けど、
奪わないでって言える自分もいるし、だって楽しいだもんって思っている自分もいる。
どの自分を出そうかは自分で決めれるんだ。
神様のそばにいよう。
逃げないで、そばに行こう。
自分だけでもがかないで、神様のところに逃げよう。
いつだって、おいでって言ってくれてたんだから。
やっと、音楽のそばに来れた。
そんな自由を得た気がする。
ちいさなわたしへ。
あきらめないでいてくれてありがとう。
もっともっと、ちかくにいこうね。