認知症が進んで、もうきっと記憶の中に、私たち兄弟姉妹のことも消えて行ってしまうかもしれないくらいになってきた父。
そんな父に私は何ができるんだろうか?と、この1週間考えていた。
辛い思い出だらけで、そばには寄れないと思いながら、この10年心の快復作業をしてきた私は、やっと、親としての父に、娘として最後に何を手渡しできるんだろうと、思えるようになった。
恨みも、憎しみもあまりない。
けれど、また罵られたり、謗られるのがたまらなく嫌で、近寄れなかった。
2年前に、「命を与えてくれてありがとう、私を殺さないでいてくれて、ありがとう、パパはパパの人生を楽しく生きて」と伝えるのが精いっぱいだった。
小さなころの写真は、ひざの上で笑っている私がいる。
そして愛おしそうに私を抱きしめている父もいる。
どこで掛け違ったのかはわからないが、暴力の嵐の毎日を送ってきた。
そして実親からの性虐待の日々。
思い出せないこと、思い出したくないこと、いっぱいあるけれど、
それも人生かなと、神様が私に与えてくれたチャンスというものを、受け取れるようになった。
それには50年以上の年月が必要で、でも確実に私という器が大きく、広く、そして、優しくなっていることを実感する。
まぁるく、ソフトになっている自分が鏡の中からも、見えてくる。
鏡なんて見ることのなかった私が、鏡をのぞいても違和感がないくらい、自分を見つめられるようになった。
それはいろんな人との出会いであり、恵みであり、会話から生まれてきた感性。
もともと持っているものと、融合して、私になってきたんだなと、思う。
今日はひまわりをもらった。
このひまわりも私は大好き。
お日様を追っかけていく、その姿は親の背中を負う子どものように思ったり、笑顔に見えたりするとても、私には、夏と一緒に思い浮かぶ小学校の庭がある。
そう・・・。
小学生くらい。
いや、低学年くらいまではきっと、それなりにコミュニケーションも取れて、なんだかんだいって、楽しい時間もあったのかもしれない。
私はどちらかというと、母親のほうが、大好きだったのに、大嫌いだ!!と叫べる。
同性だということもあるかもしれないが、嫌がらせは天下一品だったから、はっきり「嫌だ」って思うことができるのだ。
けれど
父には、「怖いけど、大嫌い」とはなかなか思えない自分もいたりする。
性暴力のあたりを思い出すと、背中がざわっとするけれど、
一応資格を取らせてくれたり、妹と暮らすことも、反対はされたが、拉致はされてないなぁ・・・。
パパ。
あなたは幸せだって思っていいんだよ。
私たち娘や息子は、それなりに幸せな人生を歩んでいるのだから。
お疲れ様。
そう伝えたいと思った。
本当に忘れてしまわないうちに、伝えておきたい言葉。
大変だったね。
頑張ったね。
私たちは今は幸せな時間を過ごしているよ。ありがとう・・・。
そういえるといいのかな??