今年の5月にやっと練習している場所に行けて、「やっぱり自分も歌いたいなぁ~~~」って思ったのがきっかけだった。
一つには、ミュージックサインをたくさんの人数で表現することが出来たらいいな~と思っていたけれど、なかなか大きな合唱団とかではサビだけとかが多く、中途半端な感じの依頼。
それも悪くはないんだけれど、聞こえない人を誘いにくく、自分で何やってんだろうなぁ・・・・と思うことが多かった。
もうずいぶん前の事だけれど、「レーナ・マリアさん」というゴスペルシンガーが函館に来たときに市民会館大ホールで、全曲を仲間と共に表現させてもらったことがある。
日本語は仲間で、英語、スエーデン語は私、聖書関係の讃美歌も私が表現させてもらった。
あの時は数人ろう者が来てくれて、終わったあと、「今日は俺たちが一番だ」と泣いていた。
最初は「?」だったけれど、歌がうまいとか、声がきれいとかは、聞こえる人はわかるだろう
でも、意味までは分からない。
でも、今日は俺たちが一番に歌の意味を理解できた。
そういって、とても頼もしい背中を私に見せてくれた。
「歌が、ろう者に必要ないって誰が決めたんだろう?」「やっぱり、コンサートとかに行きたいよね」「音楽を伝える方法ってないんだろうか?」
それがミュージックサインに至った経過。
けれど、私は教会にいくと、「父なる神様」という言葉にどうしても、受け入れることが出来ずに、少し教会にいっては、行かなくなるということを繰り返している。
娘が中学生の時に通った七飯の教会でやっと「父なる」という言葉の「父」と私の父は別物であるということを理解した。
そして教会の中で使われる「家族」という言葉も同じようにひっかかり、私の子ども時代の家族を思い出して悲しくなっていった。
神様もイエス様も聖書も、讃美歌も大好きなのに、教会という場所が怖くてたまらなかった。
私を心配して、静かな部屋に連れて行こうとしてくれた牧師夫人。
でも、そこは狭くて突然なことだったので、パニックになり、乖離してしまった。
壁に頭を打ち付け、泣きながら「やめて。やめて、怖いからやめて」と階段で強く手を引っ張られたときに、足を踏み外し、身体がするずると引きずられた。
私の頭の中は、子どもそのものになった。
夫人もびっくりしたのか、そのまま私を置き去りにし、私は倒れたまま泣き続けた。
そこは子どもたちが礼拝が終わるまで親たちを待っている小さな部屋で、自由に遊んでいた。
子どもはその状況に驚きもせず、「怖いの?」
「うん」
「痛い?」
「大丈夫?」
「これ使っていいよ」とティッシュボックスを渡してくれた。
自分自身でも、外でこんなパニックになることはなかったので、驚いたし、子どもの優しさってすごいな・・・・って思った。
それ以来、教会にはいっていない。
歌もたくさん歌っていて、楽しい場所が一瞬にして怖い場所になった。
そのあと、知人や知り合いから電話が来て、「時々夫人が強引になって、同じことをしてしまっている」ということを知り、自分だけじゃなくてよかったなと思ったけど、
もう、そこには2度といけない。
友人が洗礼を受けたいといい、それまでの事だと自分で思っていたから・・・・。
クワイヤMSCに行くにも教会に行くことが怖かったのかもしれない。
本当は年が明けたらすぐ伺ってと、思っていたのに、一歩前に進めたのは5月の連休前だった。