虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

話しあって、語り合って、引き分けにしたら。

2012-09-04 06:48:55 | みちえの活動日記
この言葉は、「優しさの種まき」の詩につかっている言葉で、せっかく言葉をもっているのだから、暴力や戦争とかにすぐ走るんじゃなくて、「相談」「会議」などの手法で、世界から戦争がなくなって欲しいんだと、そう思って書いた。

小さな戦争は身近にもある。

親子喧嘩、夫婦げんか、友人とのいさかい、仲間同士のトラブル。

しらないところで、人を傷つけていることが多分一般的な人よりも、多いんだろうなとは承知しているつもりだから、それなりに気をつけてる。


つもりは、つもりだから、失敗もあるんだろう。

でも、

記憶にないし、傷ついたと言われても、どうしていいのかわからないのが本音。

私的には、「私が何をしたのかわからない」から。



日曜日、「私の季節」の試写会だったけれど、何年か前に上映した作品だった。

でも、ところどころは記憶にあったが、日曜日に映画を見た私は、「初めてみる」みたいな感覚の私だった。

数年前は、まだ記憶が途切れている自分とは、出逢っていないから、その状態を目の当たりにした時に、少し怖かった。

思うに、「帰ろうかな」という素敵な歌が流れる。

施設での暮らしと、家族との暮らし、関わりの中で、自分の居場所はどこなんだろうと、重度心身障害と診断された人たちのドキュメンタリー。

「帰ろうかな、あの街へ。帰ろうかな、ああ~~♪」

遠い海の向こうへ、思い出がある~~と歌詞が続く。


思うに、

「いいなぁ。重心の人でも家族の絆があって、帰れる場所があるんだ」と、そこで別な人に変わっちゃったんだかな?

最初と、途中と、最後しか、自分が見た記憶がなかった。


こんなにリアルに、自分がみたはずの映画を「初めてみる」という感覚で時間が流れたのを自覚したのは、初めてだった。



家族の協力で、今は何とかなっていると思っていたけれど、なんともなっていないのかもしれない。
勝手に自分がそう思っているだけで、周りは迷惑でいっぱいなのかもしれない。

バラバラの私は、バラバラの私でしかなくて、どうにもならないのかな。

だとしたら、迷惑が増えないうちに、生きるの止まらないかな。

このまま、人生が止まってくれた方が、少しは「いい人だった」と思い出に残ってくれるんじゃないのかな。


なんて。


いつまでも、「私の人生暗かった」。

なんていうのは、いやだわ~~って思った朝でした。


DIDの皆様、本当に大変です。

私もつらい。でも生きてるから、何かをしたい。それだけだけど、そのたびに、迷惑がかかってるんだって思うと、息苦しい。

今を生きてる私はどこの誰なんだろう。まわりからは、みちえさんだろうけど、私からは、だれ?ってわからない。


こんなに頻繁にあっちこっち変わる必要が私にあるのかな。

息もできないくらい、苦しい。

やだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


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