イタリアのおばちゃんとオット´s 日記

イタリアのおばちゃんが語る、ローマでの平々凡々な人生&オットの腎移植体験記と透析生活回想録

5月7日~8日

2010-05-18 22:25:23 | 2010年日本湯治里帰り
・・・というわけで、最終日は朝から大阪へ移動してスパワールドでたっぷりお湯に浸かって明日の出発に備えることに・・・
といっても、プラッとこだまで新幹線を予約しよう・・・と、アクション起こした時には、予定していた新幹線は満席になっていて、12時47分発13時53分着のしかとれなかったから、午前中雨がゴーゴー降る我が家で時間のつぶしようがなくって困ったが。。。
最後は待ちくたびれて、父に早めに蟹江駅まで最後のお見送りをしてもらい、名駅の江南でラーメン食べてから新幹線に乗った
プラッとこだまで新幹線に乗ると、1ドリンクおまけがもらえるけど、新幹線の駅から新幹線の駅までで、他の普通のJR切符や回数券のように、市内までは乗車券が有効というわけではない。
だから、新大阪駅から目指す新今宮駅までは実費が別途必要だった
スパワールドもとってもよかった・・・
ただ、素泊まりプランで予約したんで、朝食にパンをコンビニで買って持ち込んだまではよかったけど、温かいお飲み物がない
唯一館内で温かい飲み物を売っている売店も朝は8時からしか開かないし、、、
喫茶店っぽいソフトドリンクとかが飲めるお店は11時からオープンだし、、、
部屋にはポットがあるから次回はティーバッグ持参しよっと
7日の晩は、出勤だったノブエちゃんがわざわざ来てくれて、夕飯に連れ出してくれごちそうにまでなってしまった。ノブエちゃん人生の一番薄給な時に・・・

出発日の朝は、これまでになくゆっくりだった。
おかげでオットもイタリアのおばちゃんも朝風呂を堪能し、出発ゲート前で最後のうどんをすすり、幸せ気分のまま出発

5月6日

2010-05-18 22:10:01 | 2010年日本湯治里帰り
勘定上は、明日金曜日が日本で最後の透析日になるのだが、透析の日はその後お風呂にはいれなく、日本の最後の夜にお風呂に入れないのはあまりにも悲しい
イタリアのおばちゃんだったらきっと泣いちゃう・・・と思ったので、最後は1日繰り上げて最終日は豪勢に大阪スパワールドでお風呂三昧してから飛行機に乗ろう・・・と考えた
よって、この日が今回の日本の最後の透析
但し、火・木・土は、午前の部だけなんで、午前の部の一番遅い時間帯に予約させてもらった
お風呂に行ってる時間はないし、丁度お昼ごはん時に透析の最中になるんで、いつもの朝6時頃食べる朝食の後、10時過ぎに、初日モーニングしに来たら定休日だったオットの大好きなパン屋さんの喫茶店でブランチをしたら、支払い金額が777円だった
本来シフトでは、お休みのはずだった森院長先生もわざわざ来て下さっていて、イタリアのおばちゃんのオットは、なんて幸せな人なんだろうと、心から感動した


オットが日本で最後の透析をしてる隙に、母は海南病院へ入院した
ちょっと前から目が見えなくなり、何度かレーザーも試みたみたいだが大した効果も上がらなく、やっと手術するのに降参したが、、、その前に血糖値を下げないとこのまま手術してもいい結果は得られないと言われ、自分ではなかなか血糖値が下げられないので、入院して下げてもらうことにしたらしい。
人様に迷惑をかけないように・・・か、個室にしてもらったらしいが、前回の足の骨折の時の入院とは違って目が見えないわけだから、好きな折り紙もできず少々可哀想な気もした。
まぁ、しばらくまたジィさんと離れて寝起きすりゃぁケンカしなくていいし、お互い心身共にリフレッシュできていいやんか。。。と思えばいいか。
一応規則の面会時間は午後からだから、明日は来れないんで、オットの透析が終わったら皆で一緒に面会に行って、帰り道、3人で“ブロンコビリー”でお肉やハンバーグを食べてきた。

5月5日

2010-05-18 21:24:34 | 2010年日本湯治里帰り
今回の旅のクライマックスも終わり、オットも精魂つきたのか、、ちょっとお疲れ気味だったこの日は、スーツケースを空港へ送るため引取りに来てもらえるよう手配してあった
時間帯指定が9:00~12:00しかできなかったんで、アンパンマンちゃんを我が家に呼びつけておいたら9:00ジャストに福山通運のお兄ちゃんがピックアップに来てくれた。
わざわざ呼びつけちゃったんだから、お茶を出して少し家でくつろいでもらってから、ランチをしに父母も一緒におでかけした
オットのリクエストが、“デニーズ”みたいなファミリーレストラン
思いつくのは、確か津島の牛角に行く手前になんかあったような。。。で、下調べもせずに出かけた、ら、やっぱり失敗
思っていた場所にはそれらしきものは見当たらず、周りもそれに代わるものは何もない
ぐるぐるまわって、最後たどり着いたのが弥富のイオンタウンの中の“サイゼリア”
こんなことなら最初っからここに直行してれば、みんなのお腹も空かずにイライラせずにお食事できたのに・・・

そのあと、アンパンマンちゃんを実家にお届けし、我々は名港共立クリニックの佐藤院長先生に面会のアポがあるので蟹江駅まで送ってもらうつもりだったが、、、父母も特に家でやることもないし・・・っていうんで、そのまま往きはクリニックまで車で送ってもらうことにした
昨日、先生が持ってきて下さったパンフレットの後ろにある地図を頼りに1号線をひたすら東に走り、そろそろ近くの川だと思ったところで右折したのが運命の分かれ道
近くにいるはずが、段々遠くなる
間違って23号線にのってしまいとんでもない方向に
地道をぐるぐるしてたんでは、元の場所にも戻れない
仕方がないんでもう一度23号線で元の場所に戻ってやっとたどり着いた

オットの通う海部共立クリニックでも、びっくりしたが
この名港共立クリニックはもっとオッタマゲェェだった
玄関・ロビーは、どうみても病院ではなく一流ホテル
透析の部屋もベッドは一片隅にほんの2~3台どうしてもベッドが必要な人用にあるだけで、他は全部リクライニングチェア、透析の器械も海部共立クリニックのよりさらにコンパクト
そりゃぁ日本だわな

なんで、この佐藤先生にわざわざ会いに行ったかって
オットの腎不全暦を遡ること4ヶ月、、、当時右も左も真っ暗闇だった私達に愛の手を差し伸べてくれたTony先生、すがりつくようにTony先生に話しをきいてもらい、また話をしてもらった。そしてそのTony先生がオットの腕にシャントを作成してくれた。
あの時、日本人のイタリアのおばちゃんを見て“僕は日本人で優秀な腎臓医を友達にもっている”と自慢していた
“確か、京都かどっかにいるはずだが、君達が将来次回日本に行く時は、是非、この佐藤先生に会うといい”と言っていた
当時は、こんなことになってしまったオットにそんな日が来るだろうかと内心疑ってもいた
でも、その日は以外にもこんなに早くやって来た。
調べてみると、その佐藤先生は、すっごい偶然にもオットがお世話になることになっていた海部共立クリニックと同じ偕行会で、しかも名古屋港区
そんな佐藤先生に会わないわけにはいかない
連絡すると快く面会を承諾して下さり、更にはふと送ったオットの昨日のライブのチラシに気がついて下さり興味を持ってまで下さった。。。ってわけ。
人のご縁とは、本当に不思議でありがたいもんだ

面会を終えて、、、
昨日頂いたそのパンフレットを見た時、クリニックの真ん前に“白鳥の湯”とあるのを見逃すわけのないイタリアのおばちゃんだった。
もちろんちゃっかりお風呂セットは持参してきていて、ひとっ風呂浴びて帰った

5月4日

2010-05-18 01:57:08 | 2010年日本湯治里帰り
クライマックスの日

まずは、モーニングのない大阪からやってきたノブエちゃんのために、喫茶店『道』にて名古屋のモーニングを体験

続いて、イルミネーションで全国的に有名になった『なばなの里』(オットはこれがどうしても発音できず、バナナの里、バナの里、ナバの里としか言えない)へ

そして『里の湯』温泉好きなハルちゃんが“よいよ~ぉ”って言ってただけあって、確かによかった

“旅のしおり”では、『なばなの里』の中で食事してくるはずだったが、さすがゴールデンウィーク、広い里が人だらけだったんで、花の鑑賞と温泉入浴を済ませたら退場して弥富の丸亀製麺のうどんでおひるごはんすることにした
菊ちゃん、ここでも浮気してゴメン

我が家に戻り、今晩の主役のオットは鋭気補充のためおひるね
私達おばちゃん3人組はぺちゃくちゃおしゃべり先輩がわざわざ我が家までお迎えに来てくれる4時まで

先輩は、何度尋ねても“会場は絶対いっぱいにはならないから大丈夫”って、言い切っていたけど、、、いざ、ライブが始まる頃には、、、わんさかお客さんが来てくれて、お店は満員御礼状態だった
あぁぁぁ ありがたやぁありがたやぁ

森院長先生をはじめ海部共立クリニックの皆さん
佐藤院長先生をはじめ名港共立クリニックの皆さん
先日焼肉をご馳走になってお世話になったばっかりの桜井(元)課長ご夫婦
フランソワご夫婦(←には、ライブの後お夜食ご馳走になっちゃってその上我が家までアッシー君までしてもらった)、
なんと30年の月日を越えて再会した蟹江高校同級生のタケとおしょうご夫婦
私達の結婚披露宴に会ったきりだからかれこれ4年ぶりに会うチエコとすっかりお嬢さんになった娘さん
高齢()の旦那さんは夜のおでかけが苦手だそうで代わりにお友達と来てくれた(元)バイト先旅行会社の先輩兼軍団長の奥様ことネコちゃんとそのお友達
前泊までして今日のこのオットの晴れ舞台に駆けつけてくれたナオちゃんとノブエちゃん
昨日まで風邪で声も出ず寝込んでしまっていたにもかかわらずヒ・・じゃないカヨワな身体に鞭打ってまで来てくれたアンパンマンちゃん
親戚代表で滋賀の実家からとんぼ返りで名古屋くんだりまで来てくれた三上家の叔父さま・叔母さまと陽司ファミリー
たまたまウチの親にその日電話をかけたがばっかりに、見知らぬ外国人婿の日本デビューステージに同行することになってしまったスエヒロさんと我が家のジジ・ババ
が来てくれた

これでも、、、
こないだまでの風邪がようやく治りかけたところに、久しぶりのお出かけでテンションが上がっちゃったのか酔っ払ってしまっちゃって、お店から3メートルのところまで来てくれていながら結局そのまま帰宅してしまった菊ちゃん
ご不幸ごとができてしまって、残念ながら来れなくなってしまったハルちゃん
このお店のご縁をすでに去年から取り持ってくれ、今回のオットの夢実現を誰よりも喜んでくれていた、でも、丁度出張が入ってしまってどうしても来れなくなってしまった名古屋の旅先案内人さん
ゴールデンウィークっちゅうのに仕事がありぃの体調が悪くなりぃの本職は大工のハットリ君
これまた、ゴールデンウィークの最中も出勤で“行けんわぁ”とメッセージして来た我が弟
こーーーんなにすばらしいお花を“行けないから・・・”と贈ってくれた短大時代の音楽コース寮生5人組の仲間達
が足りないわけだから、これがもしみーーーんな来てくれてたら、ものすごいことを通り越したすごいことになってたかもしれない・・・

とにかく、ライブは大成功だった

さぁ次は日本縦断コンサートツアーを目指すぞぉぉぉエイエイオォォォ

5月3日

2010-05-18 01:01:51 | 2010年日本湯治里帰り
関係ないけど、この日はウチのジィさんとバァさんの51回目の結婚記念日だった
ので、親孝行娘のイタリアのおばちゃんと舅姑想いのオットは、お昼ごはんを『コロナの湯』にてご招待することに・・・
この日は、また、ハードスケジュールな日でもあったため時間にかなり制限されたが、それにゴールデンウィーク真っ只中だったためかなりコミコミだったが、そこを外人のよしみで無理矢理押し込んでもらいオットは裏マッサージまでやってもらってござった

朝風呂とお昼ごはんのあとは、月曜日の行事で透析へ
オットをクリニックに放り込み、イタリアのおばちゃんは名駅の高島屋の時計台へ
大阪と名古屋北区からわざわざ翌日のオットのライブを聴きに来てくれるナオちゃんとノブエちゃんとマチ切ってあったので
オットの透析時間を名駅でつぶすため喫茶店に入ったが、タバコの煙がものすごくって我慢できず、頼んだ飲み物もそそくさと飲み干して出てきてしまった
他の喫茶店に入りなおすのも癪に障るんで、クリニックに行って待合室でおしゃべりしながら時間つぶしすることにした

あ、、、この日は、そんなこんなで、『コロナの湯』から実家経由してジィさんとバァさんを落とした後イタリアのおばちゃんが運転したわぁお

透析が終わったオットは、いつもより更に元気だったらしくオットの体調によって夕食を決めようと待っていた我々に『丸忠』がいいと言ってきよった
運転者としては、構図の中に予定していなかったパターンだったんでかなり焦ったが、なんとかたどり着き、駐車場も空いてたんで問題なく、帰り一瞬道に迷った気がしたらいきなりマイホームの近くに出てきてビックリした

で、ナオちゃんとノブエちゃんは我が家でお泊りしたのであった

イタリア行きたいけど透析が・・・

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