イタリアのおばちゃんとオット´s 日記

イタリアのおばちゃんが語る、ローマでの平々凡々な人生&オットの腎移植体験記と透析生活回想録

サンタクロースが

2008-11-30 06:08:11 | 行事
一ヶ月早くやって来た
Pretty Woman なみのショッピングをしてきた
昨日のライブコンサートが終わったのが夜中の1時
帰り道、コルネット屋で夜食のクロワッサンを仕入れ、ガレージに寄ってコンガを置いて帰宅したのが2時
時計より正確なオットのおしっこ目覚ましで目が覚めたのが8時半
二度寝して再度目が覚めたのが11時
起きた時は雨が降ってたけど、11時から何ごはんかわからない昨晩のクロワッサンの残りを食べ、家の中の洗濯物を片付けてたら、お陽さんが出てきたので、渋るオットを無理矢理引き連れおマチにおでかけ 
溜まっていたウップン(はこれっぽっちもないけど)をイッキに晴らしてきた
まずはARMANI JEANS で、欲しかった黒いパンツ→を暖房がガンガンに効いた店内で汗だくになりながら5本も6本も試着して選んだ
それから、こないだオットがLacosteのウィンドウで一目惚れしてしまったトックリセーター→を買いに、、、
ついでに調子にのったオットは、黒い丸首のセーター→とトックリ長袖シャツ→を自費で買い、更に調子に乗ってイタリアのおばちゃんにも白の色違い→を買ってくれた
そして、イタリアのおばちゃんは自分でポロシャツをワンピースにアレンジした形の服→を買った
時差ぼけのようにLacosteno買い物が終わった3時頃、お腹が空いたので最初すぐ近くのはませいに行ってみたけど、お昼時間は3時で終了、、、丁度閉店で 仕方がないから、サンシルヴェストロ広場にあるBar兼レストランで昔の甥っ子の彼女が働いてるのでそこに行ってメディテラネオサラダの特大大盛を作ってもらって食べた
店を出て、オットが食後の一服をしてる間、隣のかばん屋に入り、スポーツジムに通う時の大きめのリュックサック→を買った
“もう帰ろう・・・”と言い出す頃かな???と思ったけど、そこは作戦を綿密に立ててたイタリアのおばちゃんの作戦勝ち、次の目的地はオットが『イヤ』というはずのないチョコレート屋さん 気管支の手術をしてくれたVitelli教授と気管支検査をいつもしてくれるValentini先生への恒例のお歳暮として、去年と同じこのチョコレート老舗の箱詰めチョコレートを買った そこの店内で、“お味見はどれにしましょうか?”と店員さんが訊いてくれるまで、オットはショーウィンドウの前を離れようとしなかった
大好きなオレンジチョコの味見をさせてもらって、上機嫌になったオットは、最後の目的地のパフューム屋『サンタ・マリア・ノヴェッラ』に向かう途中、帽子屋さんを見つけ、前から欲しがってた形の帽子→を見つけ、上機嫌あまりにイタリアのおばちゃんにもレイン帽→を買ってくれた
『サンタ・マリア・ノヴェッラ』では、お友達のクリスマスプレゼントと我が家用の化粧水を買った この化粧水、、、最近オットがイタリアのおばちゃんの真似して、ここの洗顔石鹸で顔を洗うわ、洗顔後ここの化粧水をぺチャぺチャパタパタしてくれるんで、減りが激しいのだ
往きは、地下鉄でスパーニャ駅まで
帰りは、パフューム屋さんのまん前にバス停があって、87番が通ってるのでバス1本で
往復とも座れたし・・・とっても有意義で幸せな1日だった
サンタクロース、また来るといいな

オットのライブが

2008-11-30 03:59:37 | 行事
再び、Alexander Platz にてあった
今回はライブハウスからの条件というか注文で、アメリカからの歌手とのセッション
アメリカ人ジャズ歌手・・・にグループはちょっぴり緊張気味だったけど、本番前のリハーサルでは、気さくなこのアメリカ人おばちゃん歌手とすっかり打ち解け、ライブはなかなかの上出来であった
しかし、関係ないけど、、、このアメリカ人おばちゃん、リハーサルが終わって食事が終わるまでにひとりで白ワインひと瓶空けちゃった

カーテン

2008-11-23 06:35:19 | お家のこと
が、入居6ヶ月目にしてやっとついた
BuBu族のベッドルームのカーテン↓

          居間のカーテン↓
          

ホントは、今朝、お風呂場のドアの枠↓
も6ヶ月越しで完成してもらえる・・・と首をキリンより長くして待ってたけど、約束の時間より更に1時間以上遅れてやってきたドア屋は、一人で、シリコンピストル1丁だけを手にやって来た
玄関を入りきるまでに、“え? アンタひとり? ドア枠は?”と思わずそいつに食ってかかった
丁度、約束の時間を1時間以上過ぎてたからオットがしびれを切らしお店に“どうなってんだ?”と電話をしその折り返しの電話がかかってる最中だったんで、お店の人とそのアンちゃんと直接喋ってもらった
不幸中の幸い・・・は、そのアンちゃん、6ヶ月前にドア取り付けにやって来た軍団の一味で、さっき玄関の前に来た時、「ここは前に来たことがある」と思い出し、枠がいまだにないこのお風呂場のドアを見せたら、その時のことを徐々に思い出してくれたことだ
お店の内部事情のズサンさを語り、申し訳なさそうにしてたんで、ここで、このアンちゃんを攻撃したところで仕方がないと思い直し、後のことはオットに任せ、買い物やら外の用事をしにおでかけした
本日、ヴィテルボのレストランでは、、、先週のマグロ三昧に引き続きヒラメ三昧が企画されていたが、生憎、こないだの木曜日、オットは、歯を抜いてそれどころじゃない状態だったんで、泪を呑んでヒラメ三昧はパス
全然その替わりには程遠いけど、昼食は、マトリチャーナ・ブカティーニを初チャレンジした まぁまぁの上出来
一昨日から、親友の誕生パーティーがあるからローマに来るや来ないや、話が2転3転してたけど、結局はパーティーがお流れになったのか?ご招待がなかったのか?よくわかんないけど、ムスコがいつものように午後から我が家に上京してきた

ヴィテルボツアー

2008-11-16 19:51:10 | 食べること
を企画した
当初の行程は、、、
10月15日(土曜)
14:00 昼食後、ローマよりTrevignano近辺のスタジアムに向け出発
15:00 ムスコの少年サッカーの試合を応援・観戦
17:00 試合終了後、ムスコも合流しBagnaccio野原温泉に向け出発
17:30 温泉
19:30 Viterboにあるお友達の経営する魚レストランに向け出発
20:00 その日の定食コースである『まぐろざんまい』を賞味
22:30 ローマへ帰途

参加者は、最終的に、イタリアのおばちゃん・イタリアのおばちゃんのオット・イタリアのおばちゃんの昔の会社のお友達“カルラ”の3人
そして、ムスコのサッカーの試合が日曜日へと延期となった為、日程変更でローマより出発は15:30となった
フラミニオ街道沿いの道の駅みたいなとこでカルラと合流、カルラの車はそこに置いて我が家のIDEAちゃんに相乗り、直接バニャッチョの温泉へと向かった
外気温度は13℃風が吹いてて、バスローブで車からお湯までの50mはかなり勇気が要ったけど、お湯に浸かった瞬間からは幸せいっぱい
遅めのおやつのぶどうを持ち込んで、お湯に浸かりながら食べた
全く教育のなされていない子供がぎゃーぎゃーしてて、腹が立ったけど 何回か直接子供に注意したけど全然きくどころか、親も全く知らん顔なのに更に腹が立ったけど 気にしないようにして1時間ほど浸かった
レストランの予約は8時に入れてあったけど、温泉ですぐお腹が空いてきた為、早目に到着、1番乗りだった
マグロのカルパッチョ↓

 マグロをナスの薄切りで巻き串焼きしたもの→写真なし、その①
  マグロの超柔らかい部分のソテー→写真なし、その②
   マグロじゃが↓
   
    マグロそぼろとケッパー・プチトマト・オリーブの実・ピーマンのパスタ→写真なし、その③
     マグロステーキ↓
     
      もう・・・ダメだぁ。。。っとギブアップしてから、さらにフライドポテトもやってきた
       デザートは、リキュール入りレモンシャーベット
        これ、全部ひとりで料理したオーナー兼シェフ
        

遺産相続問題

2008-11-13 18:37:06 | 思ったこと
がここでも起きてる
家庭内の恥を晒すようだが、
ノンナが亡くなってわずか数日後、義姉からオットへの電話で(勿論他の話のついでだろうとは思うけど)“母さんが残した現金の整理しなくっちゃね”・・・との発言があった
『私の分け前分を早く頂戴!』ということだ
国民年金や戦争被災者年金がまだ処理できてないから・・・と伸ばし伸ばししている内、催促が少なくとも3回はあったらしい
※注.ノンナは、生後8ヶ月で父親が戦争に駆り出されてから8才になるまで母子家庭で貧しい最中、身を削って一人で育てた娘、チューニジアから引き揚げてきて行き場のなかったのに、色々手段を尽くして棲家を確保してやった娘、結婚して子供ができ家計を助けるのに仕事を続ける為、親代わりのような子守を5年間かってでてやった娘、そしてそのお蔭で寝室が5部屋バストイレが4つもある3階建ての大邸宅に今では子供2人も独立して出て行ったので夫と2人暮らししているその娘がいずれは引き取ってくれるもの、、、と信じて疑わなかった
ところが、病状が段々悪化して、一人暮らしはもう無理だ、と、明らかになった頃、その娘から“我が家には遊びに泊まりに何週間でも来ていいけど、永久に棲みに来てもらうつもりはない”と言われそれから、いうまでもなく、病状は更に悪化した
毎日、泣いて暮らし、会うと怨み辛みばっかりを発散してた
見るに見かねたオットとイタリアのおばちゃんは、ノンナを引き取れる様、この家を探し、イタリアのおばちゃんの家とノンナの家を売り払い、それでも資金が足りないからローンを組み、工事をして、引っ越しをして、ノンナを受け入れた
だからノンナは、家を売ったお金を、その昔家を購入する際娘婿が貸してくれた分として半分を返却し、法律で定められたとおり6分の一ずつを各子供に分け与え、残りの3分の二のノンナの取り分はすべてローン返済に使うようにと息子に譲った
ノンナは、生前にそれを娘にも伝えておくべきだった・・・とは思うが、彼女の性格で伝えずじまいで逝ってしまった
よって、預金通帳に残った現金はたかだかしれていた
ただ、その事情を知らない義姉は、ノンナの家を売った時の取り分の更に半分がもらえるものと信じていたらしい。。。
こないだの土曜日、Nicolasの洗礼があった日、ついでにたかがしれていたけど厳密に平等に半分に割った金額の小切手を渡したら、週が明けた月曜日、早速オットの携帯に抗議の電話をして来て、ノンナがくれた・・・と説明しても、“書面か何か残したか?”と詰め寄り、挙句の果ては“もう2度と口きかない”と『絶交』された
ついでに、“すべてのこの戦略は嫁であるイタリアのおばちゃんの仕業だろう”・・・とも

イタリア行きたいけど透析が・・・

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