ミクロネシアは、ポンペイ・チュク・コスラエ・ヤップの4州からなっており、全くの別の習慣・文化を持った州(島)の集合体です。
それぞれに仲間が派遣されているので、その州ごとで州会議があります。
今日は第二土曜日なので州会議に出席します。
そのあと、ワールドティーチという集団で活動しているアメリカのボランティアと我々でナラップ島という島に出かける予定です。
雨がかなり強く降っていますが・・・・・
昨日は急いで書いたので詳しく書けなかったを書きます。
まず、朝一番にしたことは、子ども達の使う歯磨きに名前を書き直しました。
マジックで一昨日書いたのですが、もろくも一日で消えてしまい、再チャレンジ。
歯ブラシの両面に書いて、セロテープで止めました。
こちらは、子どもが生活の中で自分の名前を覚えたりすることがほとんどありません。
自分の持ち物も日本の子どものようにないですし、家でホームステイ生活でも子どもの名前はみかけませんだから自分の名前を生活で見たり、意識したりすることが非常に少ないのです。
ですので、保育の中で直接教えるだけではなく、やはり、子どもが生活の中で自然に触れられるようにしていくことが大切です。
これからもそんな直接教えるだけではなく、子どもが文字や数字などを自然と触れて生活の中に取り込める方法を考え、実行していきたいと思います。
今日感じたのは、こちらのルール、モラルについて
算数の話し合いで「日本のモラルは凄い」という話になりました。
そして、なぜポンペイの子どもはモラルが守りにくいのか?
一つには悲しいですが、先生がきっちり守れない人がいるので子どもがそれをみていること。
それと「モラルやルールで決まっているでしょう」というだけで、子どもが守りたくなうような取り組みが成されていないこと。
そしてそのルールやモラルを守ることが大切で、子どもが困っていてもルールやモラルが優先される、つまり柔軟性に少し欠けているところが見られます。
例えば昨日子ども一人に黒板に数字を書かせる時間があり、他の子ども達は座る位置から見ないといけません。
しかし、そこからは見えないので自然と子ども達は前に前に来ますが、先生は「座りなさい。座るルールでしょ」と子どもが心地よく過ごす為にルール作りになりきれていないのです。
毎日いろいろなことを感じます。しかしそれを批判にとどめてしまうのではなく、「どうしたらいいだろう」一緒に現地の人と考え、時には「こうしてみるのはどう?」と押しつけではなく提案しながら、彼女たちが納得した形で少しずつ少しずつ地道に子どものことを第一に考えていくことが出来ればと思っています。
それぞれに仲間が派遣されているので、その州ごとで州会議があります。
今日は第二土曜日なので州会議に出席します。
そのあと、ワールドティーチという集団で活動しているアメリカのボランティアと我々でナラップ島という島に出かける予定です。
雨がかなり強く降っていますが・・・・・
昨日は急いで書いたので詳しく書けなかったを書きます。
まず、朝一番にしたことは、子ども達の使う歯磨きに名前を書き直しました。
マジックで一昨日書いたのですが、もろくも一日で消えてしまい、再チャレンジ。
歯ブラシの両面に書いて、セロテープで止めました。
こちらは、子どもが生活の中で自分の名前を覚えたりすることがほとんどありません。
自分の持ち物も日本の子どものようにないですし、家でホームステイ生活でも子どもの名前はみかけませんだから自分の名前を生活で見たり、意識したりすることが非常に少ないのです。
ですので、保育の中で直接教えるだけではなく、やはり、子どもが生活の中で自然に触れられるようにしていくことが大切です。
これからもそんな直接教えるだけではなく、子どもが文字や数字などを自然と触れて生活の中に取り込める方法を考え、実行していきたいと思います。
今日感じたのは、こちらのルール、モラルについて
算数の話し合いで「日本のモラルは凄い」という話になりました。
そして、なぜポンペイの子どもはモラルが守りにくいのか?
一つには悲しいですが、先生がきっちり守れない人がいるので子どもがそれをみていること。
それと「モラルやルールで決まっているでしょう」というだけで、子どもが守りたくなうような取り組みが成されていないこと。
そしてそのルールやモラルを守ることが大切で、子どもが困っていてもルールやモラルが優先される、つまり柔軟性に少し欠けているところが見られます。
例えば昨日子ども一人に黒板に数字を書かせる時間があり、他の子ども達は座る位置から見ないといけません。
しかし、そこからは見えないので自然と子ども達は前に前に来ますが、先生は「座りなさい。座るルールでしょ」と子どもが心地よく過ごす為にルール作りになりきれていないのです。
毎日いろいろなことを感じます。しかしそれを批判にとどめてしまうのではなく、「どうしたらいいだろう」一緒に現地の人と考え、時には「こうしてみるのはどう?」と押しつけではなく提案しながら、彼女たちが納得した形で少しずつ少しずつ地道に子どものことを第一に考えていくことが出来ればと思っています。