久しぶりにMONKEY MAJIKを聞いた。
曲は「around the world」
日本を出発する少し前に孫悟空のテーマで大ヒットしていた曲で大のお気に入りでした。
そして、この歌をくちづさみながら、お別れ遠足で動物園に行ったなあ。
子どもたちもドラマの孫悟空をみていた子はこの歌を知っていて
子ども達に「先生この歌すきなん?」って聞かれて
僕は「先生この歌の around the world いつでも自分にaround the world いつ負けている人は around the world 何もつかめないって歌詞が大好きなんだ」って話したのを思い出しました。
本当に「いつでも自分に負けている人は なにもつかめない」って真実。
この南の島に来て、「いつでも自分に負けていないかな」って改めて考えてみると。
日本で子どもたちとあんなに楽しかった生活、他にも日本に大切なものをいっぱい残してきてまで、協力隊に参加して、いま南の島にいる自分がいる。
深刻にではなく、自分を振り返ってみてどうだろう?
自分にいつも負けてないかなって?
正直、南の島でこの島に馴染みながら、いや馴染みすぎて、自分に非常に優しい、いや自分に非常に甘い自分が存在しているのも事実。
うまくいかなくても、しょうがないか国が違うからなあ、価値観違うからなあ、環境違うからなあって。
もちろん(こんなところで自信もって言っても困るけど)活動自体はうまくいかないことだらけ。
今まで自分が日本で信じてきた幼児教育なんてこの島ではなかなか受け入れてもらえない。
全く違う次元で幼児教育が展開されているし、それはそれでこの島には必要なことなんだとも思う。
自分でいいと思っていても、この島の誰もが望んでいないことを独りよがりでしても何も生まれないし、自己満足で終わってしまうだけだから。
でも、この南の島に来て、何もつかめなかったら、本当に自分にいつも負けている人間になってしまうからね。
あと5ヶ月と少し。時間は確実に短くなっていくけど、
日本に帰ることも楽しみだし、この島にいることも楽しい。
世界で2つ住むところが選べるなら、もちろん日本とこのポンペイ。
でも僕の生まれた国、最も愛すべき国、大好きな人が待っているところは日本のはず。
年老いた両親の姿に目をつぶって、子育てに忙しい姉貴に「2年間頼んだよ」ってお願いして、出てきた日本。
大変なこともたくさんあるけど、子どもと一緒にいることが大好きで、人間教育をしている、その子どもの人生の進路相談をしているんだって意気込みでしてきた神様が僕にあたえてくれた仕事である幼稚園教諭の仕事。
その使命感をいつも僕に与えてくれる子どもたちとの素敵な出会い。
僕を支えてくれる子どもたちとご家庭の方。
そして僕が仕事をしていて躓いたときにいつも助けてくれた職場の仲間。
思い出してみると他にもたくさん
この島に来るために、結果的になげだしてしまったようになったNGO。
出発間際ばたばたして、何も告げずに来てしまった開設以来続けてきた震災遺児施設の子どもたち。
一緒に国語教育研究をした小学校の先生。
数えだしたらきりがないからもうこれくらいにしておきます。
でも南の島に旅立つことになって、改めて再会できたこともあった。
送別会を開いてくれた、もう大きくなった元園児達。
職場を訪ねてきてくれて昼ごはんを一緒にご飯を食べた元園児。
元園児のおばあさんが和紙で紙人形を作ってくれた。
出発前に駅で急に僕を呼び止めてくれた元園児のお父さんまで。
大切な人がいっぱいまっている日本に帰るときには、たくさんのお土産を手にして笑顔で帰りたい。
いつでも自分に負けず、たくさんの物をつかんで日本に帰りたい
いや帰らなければね。
それが、2年間まってくれていた人たち、笑顔で僕を送り出してくれた人への何よりのお土産になるはずだから。
かなり、気恥ずかしい文章だけど、こうして書いておかないとすぐに自分に負けしてしまう人になってしまいそうなので。あえて恥を忍んで。
曲は「around the world」
日本を出発する少し前に孫悟空のテーマで大ヒットしていた曲で大のお気に入りでした。
そして、この歌をくちづさみながら、お別れ遠足で動物園に行ったなあ。
子どもたちもドラマの孫悟空をみていた子はこの歌を知っていて
子ども達に「先生この歌すきなん?」って聞かれて
僕は「先生この歌の around the world いつでも自分にaround the world いつ負けている人は around the world 何もつかめないって歌詞が大好きなんだ」って話したのを思い出しました。
本当に「いつでも自分に負けている人は なにもつかめない」って真実。
この南の島に来て、「いつでも自分に負けていないかな」って改めて考えてみると。
日本で子どもたちとあんなに楽しかった生活、他にも日本に大切なものをいっぱい残してきてまで、協力隊に参加して、いま南の島にいる自分がいる。
深刻にではなく、自分を振り返ってみてどうだろう?
自分にいつも負けてないかなって?
正直、南の島でこの島に馴染みながら、いや馴染みすぎて、自分に非常に優しい、いや自分に非常に甘い自分が存在しているのも事実。
うまくいかなくても、しょうがないか国が違うからなあ、価値観違うからなあ、環境違うからなあって。
もちろん(こんなところで自信もって言っても困るけど)活動自体はうまくいかないことだらけ。
今まで自分が日本で信じてきた幼児教育なんてこの島ではなかなか受け入れてもらえない。
全く違う次元で幼児教育が展開されているし、それはそれでこの島には必要なことなんだとも思う。
自分でいいと思っていても、この島の誰もが望んでいないことを独りよがりでしても何も生まれないし、自己満足で終わってしまうだけだから。
でも、この南の島に来て、何もつかめなかったら、本当に自分にいつも負けている人間になってしまうからね。
あと5ヶ月と少し。時間は確実に短くなっていくけど、
日本に帰ることも楽しみだし、この島にいることも楽しい。
世界で2つ住むところが選べるなら、もちろん日本とこのポンペイ。
でも僕の生まれた国、最も愛すべき国、大好きな人が待っているところは日本のはず。
年老いた両親の姿に目をつぶって、子育てに忙しい姉貴に「2年間頼んだよ」ってお願いして、出てきた日本。
大変なこともたくさんあるけど、子どもと一緒にいることが大好きで、人間教育をしている、その子どもの人生の進路相談をしているんだって意気込みでしてきた神様が僕にあたえてくれた仕事である幼稚園教諭の仕事。
その使命感をいつも僕に与えてくれる子どもたちとの素敵な出会い。
僕を支えてくれる子どもたちとご家庭の方。
そして僕が仕事をしていて躓いたときにいつも助けてくれた職場の仲間。
思い出してみると他にもたくさん
この島に来るために、結果的になげだしてしまったようになったNGO。
出発間際ばたばたして、何も告げずに来てしまった開設以来続けてきた震災遺児施設の子どもたち。
一緒に国語教育研究をした小学校の先生。
数えだしたらきりがないからもうこれくらいにしておきます。
でも南の島に旅立つことになって、改めて再会できたこともあった。
送別会を開いてくれた、もう大きくなった元園児達。
職場を訪ねてきてくれて昼ごはんを一緒にご飯を食べた元園児。
元園児のおばあさんが和紙で紙人形を作ってくれた。
出発前に駅で急に僕を呼び止めてくれた元園児のお父さんまで。
大切な人がいっぱいまっている日本に帰るときには、たくさんのお土産を手にして笑顔で帰りたい。
いつでも自分に負けず、たくさんの物をつかんで日本に帰りたい
いや帰らなければね。
それが、2年間まってくれていた人たち、笑顔で僕を送り出してくれた人への何よりのお土産になるはずだから。
かなり、気恥ずかしい文章だけど、こうして書いておかないとすぐに自分に負けしてしまう人になってしまいそうなので。あえて恥を忍んで。