南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

帳面開始

2006年09月18日 | ミクロネシアの幼稚園
お帳面開始
今日からお帳面(子供出席ノート)をスタートさせました。
日本の保育を形取り入れることはできるだけやめておこうと思いました。
お帳面を使うことにしたきっかけは、こちらでは子どもが「今何月何日何曜日」ということを覚えることがとても大切だからです。
でも今は毎日「今日はセプテンバーで・・・・」と教え続けることには抵抗がありました。

子供自身が「今日は20日なんだ。すると明日は21日か、今日は月曜日だから昨日は幼稚園がお休みで日曜日か。そうか20日の前は19日なんだ」といった興味や生活の中に取り入れることこそが大切だと思っていました。

そこでお帳面。これなら一石五鳥。なんせ「名前が覚えられて、日にちがわかって、曜日がわかって、月も年もわかります」それを現地の先生に説明するとそれはいいことだということで、金曜日に作成しました。

シールとか判子とかがなかったので、僕の名前の判子を使いました。
現地語ではうまく説明しきれずに今日はなんとなく、判子を押しただけになりましたが、「なんだろう、どうやら毎日押してくれるらしい、今日は18のところに押したなあ、これが18って数なんだ」などなど、毎日同じものを見て変化すること、そしてそれは自分が幼稚園に来ることで達成できること、増えていくこと、朝の恒例行事になることなど、プラス要素を大切に毎日こつこつ続ける教育があることがうまく伝わればと思います。
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どうにもできないものを背負って

2006年09月17日 | ミクロネシアのおじいちゃん

今日は朝一番にコロニアから自宅に帰り、教会へ。
事務所の方や仲間が教会に来たいと3名同伴で。

今日の教会は特別でした。
洗礼式で、たくさんの赤ちゃんがお母さんに抱かれて助祭さんから頭に水をかけられ?式がありました。赤ちゃんがほとんどでしたが、時々小学生もまざっていました。
みんなとてもかわいい服を着せてもらっていましたよ。

こうして、みんなに祝福されるミクロネシアの赤ちゃんは幸せだと思いました。
そして、頭に水を掛けられても誰も泣かないことが不思議でした。
その後仲間と近くのビレッジでブランチをして帰りました。

家に帰ると「おじいさんは、ゆっくり休みなさい、でも誰かが鍵をあけて欲しいって言っても、勝手にあけて入らせてはいけないよ、必ず私に聞いてから他の人を入らせないように」と言いました。

お祖父さんが何故そんな話を僕にしたのか、少し不思議でした。

その後、お祖父さんのお孫さんのドミニクがやってきて「大変だよ、イケナシとレオンがけんかをして大変なことになった」と話しかけてきました。でもちょっとあきれ顔&笑い顔。よくあることなのかもしれません。しかしドミニクが言うには「イケナシさんはほとんど死にかけているし、レオンは警察に捕まったよ」とのこと。
ドミニクがお祖父さんに話をしに行くので、僕も一緒についてお祖父さんの部屋に。

ドミニクがお祖父さんに話をするとお祖父さんはもうそのことを知っておられました。
そしてぼくが「お祖父さん病院に行かなくて良いのですか?」と聞きましたが、「もう人を病院に行ってもらうように頼んだし、病院にはお医者さんがいるから。僕が言っても何も出来ないからね、あれだけ仲良くするようにはなしていたのになあ」と残念そうでした。

9人もお子さんがおられるといろいろなお子さんがおられるし、いろいろなことが起こるのだと思います。

そしてお祖父さんは、迎えに来た車に乗って、近くのサカオに出かけられました。

帰って来られたお祖父さんのご飯をよそったり、お水をくんだりして静かに部屋を出ました。

近くにいたお孫さんに「お祖父さんは大丈夫?」と聞くと「わからないけど、ケンカが起こったのはこれで3-4度目だからね」と。

そして、先ほどぼくにこの事件を知らせてくれたドミニクも「お父さんはサカオが大好きでね」とちょっぴり寂しそうな気がしました。
ドミニクもお父さんが大好きだけど、変わって欲しいけどどうにもならないことがあります。
そしてお祖父さんも子ども達が大好きで、変わって欲しいけれどどうにもならないものがあります。

みんな、どうにも出来ない、いろいろなものを背負って生きていくのだと思いました。
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There are three teachers

2006年09月16日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、色を遊びながら教えることにしました

この幼稚園では色を見せて何色か分かるようになるのも大切な勉強です。

いつもたくさんの色の中から「これは何色」と教えているので、まず「この色はウィチャチャ(赤)だよ」と色と名前に親しむことを実践してみることにしました。

赤(ウィチャチャ)・黄色(オーンゴーン・語源は黄金です)・緑(ポーンティープ)・青(メイ)の色の積み木があるので、それを一つ一つ説明し、みんなで言葉にしていった後に、それぞれの色の積み木を円の外側に置き、コーナーのようにして、それぞれ君は赤、君は黄色という風に一人ひとつずつ色を決めて、みているみんなに「OOくんは何色?」と確認しながら、円の中にそれぞれの色の積み木を5つずつ置いて、自分の決められた色をとってはこの中にいれるという遊びをしました。

ここで大切にしたかったことは、遊びながら学ぶこと、そして何より見ている皆が常に楽しんで参加していることが大切だということを分かってほしかったのですが。

今は、なにより子どもが楽しんでいる姿を見てもらうしかないです。

今日も発音の練習を文字で書くことを現地の先生が教えていると「泣き出す子ども」がでました。久しぶりにきた子どもでしたが、やはり子どもが不安になってしまうことに教師が「このやり方は、まずいのではないのか」と早く気づいてほしいです。

無理にさせようとする先生に「今はよくない、彼は久しぶりにきて、今考えているところだから、そっとしてあげるのがいい」と話すと、昨日帰りかけた子どももいたので、すぐに理解してくれました。

あと今日は少しだけ怒ってしまいました。

それは、僕が色積み木の遊びの後に、「HIRO、つぎこの発音のプリントを配ってよ。そして教えて」というので、「I am Finish、 There are Three Teaches in my school」と話しました。一瞬気まずくなりましたが、「日本人がやってくれるから楽だわ」という気持ちだけになってしまっては困るので。

もちろんこういってしまうと気まずさや明日からの仕事に影響があるのはやむを終えないのですが。
自分の思いを行動を中心にしながら時には、言うべきことはきっちり言いたいと思います。
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家族の継承・生きているだけが

2006年09月16日 | ミクロネシアのおじいちゃん
今日は昼からMATH PLAN で ポンペイ最大の人口密度を誇るPICS(ポンペイ アイランド セントラル スクール)で先生をしている仲間の算数の授業を見にいくつもりで、準備をしていたら、中止になりました。

お昼におじいさんと二人きりで話をしていたら、今日は人生について話しました。

最初は、家族を継承する話から

おじいさんのお父さんが亡くなられたときは、長男がすべてを相続する法律だったので、おじいさん一人がこの土地を相続されたそうです。

日本が戦争で負けて去り、今は子どもたち皆に相続する権利があるそうです。

おじいさんはまだお元気ですが、継承する(相続)ことについて家族ですでに話し合いをもたれているとのこと。

おじいさんには息子さんが6名・娘さんが3名おられますが、継承するのは息子さん6名のみだそうです。娘さんはそれぞれご主人がいるから必要ないと。でももし困ったことがあったら、住むことができるくらいの土地は上げるからそのときは言いに来なさいといってある話されているそうです。

そしておじいさんと今一緒に(離れに別棟に)すんでいるお孫さんは、おじいさんの長男の長男になります。

おじいさんのご長男は今でもハワイに在住で、その息子さんたちもハワイに住んでおられます。それだとポンペイのウー村でおじいさんの家族を継承することができなくなるので、
長男であるお孫さんがポンペイに住まれているそうです。

ここではちゃんと長男の家の継承が行われているし、おじいさんのしっかりとしたお考えが、家族に受け継がれているのだと感じました。

また、相続するときに、子どもがいないと、お嫁さんの家のものになってしまうこともある話しになると、「それはしょうがないことだ、人生は思い通りにならないし、まわっていくものだから、そのときはそのときでいいんだよ」と話されておられました。

そんなしっかりとしたお考えをお持ちになりながら、決して自分だけという考えを持たず広い心でおられるおじいさんらしいお考えだと思いました。

またそこから、おじいさんが「人は生きていることが大切だ」「生きてさえいればいい」「例えば人のことが嫌いになったとするだろう、でもその人が一週間後に死んでしまえばもうそれきりで仲直りもできないだろう」と話してくださいました。

おじいさんの言葉の中には日本語だけでは語りつくせない、ものがいっぱいつまっていると感じ取りました。

「生きているだけでいい」というのは、私が人生で大切にしている言葉の一つです。それは震災のときに「生きてさえいればいい」と心から思ったからです。

簡単に仲たがいをしてはいけない、生きている間に精一杯のことをしなくてはいけない、生きていることに感謝すること、おじいさんはポンペイの人の中では飛びぬけて上手な日本語を話しますが、それでも言葉の壁はあります。しかし言葉の壁があるからこそ、お互いに相手の言葉をしっかりと心に刻んで、受け止め理解しようとする。そのことで、単に言葉だけでは伝えきれない、言葉の壁のおかげで新たなものが見えてくるように思います。

写真は僕のおじいさんのトイレです。においがいいようにお花が今飾られています。
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複雑な初の家庭訪問

2006年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は「子どもが泣いた日」所で話したように子どもが悲しくなり、家に途中で連れて帰りました。
夕方になり、迷ったあげくアブサレムの家に行ってみることにしました。
バスでしか行ったことがないのですが・・・・

彼の家は私の家より少しコロニア側の道を山へ向かってずっとあがっていきます。
途中からは、アスファルトはなく、地道を歩きます。

途中で何人かに声を掛けられ、おばあさんからも「どこから来たの?」と聞かれたので「日本から」と答えると「ああアワックの先生ね」と言ってもらいました。

かなり急な坂でしたが、彼の家はすぐに見つかりました。
周りは山々、竹や木々に囲まれています。そこで元気に走り回っていました。

アブサレムのお母さんが僕を見つけてくれて、すわって会いに来たことを伝えました。
「今日はこの子は給食食べたの?」など核心には触れずに。

アブサレムは僕が呼ぶとちょこんと僕の膝に座りました。
いつも保育室でするように。

丁度夕食準備で、外で薪を使ってご飯を炊かれていました。
親戚の方が「先生ご飯が炊けるから食べて言ってよ」と言ってくれました。

家族に何も言ってなかったので「家族が心配するから今日は帰ります」と伝えました。

正直私のホストファミリーの家とは比べられないくらいナチュラルな生活です。
いつもメインの道沿いしか目に入らないけど、山に登っていくとこのように暮らされている方がたくさんミクロネシアにはおられるし、僕は「こういう方々と肩寄せ合ったり、一緒に悩みを共有したりするために来たのだ」と改めて原点を見たように思います。

そして彼がいつもちょんちょんとはね回っているのは彼の普段のこうした竹や木々に囲まれた中で自然相手に暮らしているからなのだと思いました。
子どものバックグランドをしっかりと掴み、子どもの心に近づく、子どもを理解することの大切さを改めて感じました。

家に帰るとお祖父さんが「どこに行っていたの?」と聞かれたので、子どもの所に行ってきたことを告げました。

僕が「まだまだナチュラルな暮らしをしている方がたくさんいるんですね」と話すと「そうだよ」と話されました。

そして僕が今日心配だったこと、今日のようなことを機会に信頼関係を少しずつ作っていることの大切さを話しました。

アブサレムは元気そうで、安心しましたが、豊かで便利なこのポンペイの生活の中で自分が何をするためにここに来たのかを考えさせてくれる良い機会になりました。

やはり、迷ったときはとりあえず動いてから考えることが大切ですし、動けば何かが学べます。
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子どもが泣いた日。僕には何が出来るか?

2006年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
朝からうれしいこと。
それはいつも朝幼稚園に来ると僕が窓ガラスをあけるのですが、カリーナがそれをみて自分から窓を開けてくれたこと。
やはり、大人がしている姿をしっかりと子どもは見ていると改めて思いました。

あとうれしかったのは、歯磨きのとき、手伝ってくれたお母さんがいつもは「ブラシブラシ」というだけだったのに今日は「ooちゃん上手」とたくさん褒めてくれたことです。
もしかしてちょっと僕の影響受けてくれている?と勝手に自己満足していました。

今日は、僕は「3」という数字を子どもに教える日です。
その前にココナッツの実の殻に今日は貝殻を4つ入れて、ひとつずつ取り出して「これは1、これは2」と数えたり、また僕が「1」といって子どもがその数を聞いて貝殻を出す遊びをしました。

その後に好きな遊びになり、その後に「3」を教えることに。

日本人の発想で「そうだ、好きな遊びの前に机を子ども全員が黒板のほうを見れる風に配置しておくと時間が有効だ」と思いましたが、思い留まりました。

やはり子ども達が集中して遊ぶには、部屋に入ってからウォーミングアップが必要だと。
「はいこれをしますよ」といって子どもはすぐに集中することは難しいということをこちらの先生にも分かってほしいと思います。僕が地道に活動しながら。

教え方も大切ですが、子ども達に学ぶ準備が十分にできているかも大切であることを知ってほしいです。もちろん学ぶためだけにステップなどがあるわけでは当然ありませんが。

ステップは最近毎日しているので子どもたちも楽しみにしています。
要因のひとつには、それ以外に教室でアクティブな活動が行われないこともあります。

そして流れが分かって自分がどうしたいということが分かってきたことも大きな要因です。

友達がしていると手拍子をしたり、自分の番になることを楽しみにしたりしています。

今日は二人ずつギャロップをして次の人にタッチをしてかわるという遊びにしました。
「3」を教えるのはゆっくりまず、指文字で何度も書いて、その後配った紙の上に指でなぞってから鉛筆で書きました。
ゆっくりな子がいたり、点線の上はなぞれても、自由に書くと形が十分に認識できていない子どもいますが、とても集中して取り組んでいることがうれしかったです。

ほとんど終わりかけたとき、アブサレムといういつもなかなか気持ちが落ち着かない子どもが突然泣き出しました。

理由は、自分ではできたと思っていたプリントを先生にもう一度違う紙を使って書きなさいといわれ、泣いてもされられたことで外に出て「お母さん、お父さんに会いたい」と言って泣きやまなくなりました。

前から彼のことは気になっていました。きっと利発な子どもなのでしょうが、家でもじっっくりと抱かれたりする経験など不足しているようです。

そして彼はこの幼稚園一番の正直者なので、面白くないと寝転がったり部屋の中を動いたりします。僕は彼を見ながら、彼が保育、教えることのバロメーターなのだと感じています。彼が面白ければ多くのみんなも面白く感じているはずです。

これはほかの教育でも一緒です。もちろん全員の心を読み取っていくのですが、「この子どもが分かっていればみんなもわかっている」といった子どもがクラスには必ずいます。

しかし、その子どもは大抵クラスの先生からすれば「どうしてあの子どもはいうことを聞かないの」「あの子どもが悪い」「あの子どもの能力の問題」とだと位置づけます。

僕は日本で常に子どもに個性はあるが、保育がうまくいかないのは先生の責任だと常に教えてきてもらいました。なので、保育や授業がうまくいかないのは常に教師に責任があると思っています。理解できないのは子どもが悪いのではなく、教え方が悪いのだと。
だからそのために教師はもっと努力をして、どうしたら子どもが分かるか、楽しくなるかを常に考えなくてはならないと思っています。もちろんなかなかうまくはいきませんが


結局アブサレムは、給食を食べずに僕とドライバーと彼のお兄さんがバスに乗って送っていきました。
彼を怒った先生は、バスにも乗らないし、帰ってきても僕の方から彼の家に行ってきたことをつげなければなりませんでした。

なにかやりきれない気持ちでいっぱいになりました。

でもこれはECE全員の問題だし、今日のことが少しでも心に引っかかってくれればと期待したいです。

今はあまり気にしていないと思われる先生のことも非難する気持ちはありません。
何か物事が起こると誰かの責任にすることはとても簡単ですが。
きっと彼女も心の中で振り返っていることを願います。

数字や文字を教えることが大切ではなく、まず子どもの心を受け止めること、信頼関係なしに子どもに怒っても子どもには気持ちは伝わらず、何も解決しないこと、子どもと心と心で向かい合うこと、そしてその大切さを僕自身が保育で実践することが何より大切だと思います。
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空港拡大決定 何が今必要か、その答えは見つからないけど

2006年09月14日 | ミクロネシアの生活
今もしかすると、ポンペイ最大の関心事は、現在ある国際空港の滑走路拡大問題です。
この前まで、調査の方が来られて、作る必要性やコストなどを調べていかれたそうです。

そしておじいさんが「11月になると空港の拡張工事が始まるよ」と教えてくださいました。
総額は1兆円だったか1000億だったか忘れましたが巨額です。

これをつくることで、今まで大型のジャンボが着陸できなかったことが解消されて大型ジェット機も着陸できます。そのことでミクロネシアの航空機を独占運送していた航空会社も他社との競争にさらされるかもしれません。何しろ今は、とても飛行機代が高くて、ヤップという同じ国の違う島に行く方が、日本に帰るより飛行機代が高くなるほどです。

空港が拡張されると独占状態から脱して、競争が生まれより安い価格で快適に旅をすることができます。
それはしいては、ミクロネシア特にポンペイに日本の観光客が来やすくなるということです。

今は、日本からポンペイに来るためには、ポンペイに日曜日の深夜に到着する以外の便を利用する場合は、グアムで一泊してからでないとポンペイには来れません。
つまり日本からポンペイに来るのに2日、またポンペイから日本に帰るのに2日かかる計算になります。
それでは休みが取りにくい日本人にとってかなりハードルが高い旅行地になってしまいます。

でもそれだけで今のポンペイが活性化するほど観光開発がされているわけではなく、そのために僕の仲間も現在、観光業の技術移転をしているためにがんばっています。

また、以前おじいさんの息子さんが「空港が拡張されると新たな仕事がもらえる」と話しておられました。

僕も息子さんと仲良しなので彼に新たな仕事が入ることはうれしいです。

しかし、空港の拡張だけをしても、ポンペイの発展にはつながりませんし、僕の知り合いが仕事を新たに得るというだけでは、多額の資金が有効に使われたとはいいきることはできません。

僕は教育者としてきているのですが、一人の日本人としてどうすればポンペイがいい意味で発展し、観光資源が生かせるかを考えて、仲間などに提案できればと思います。

また、こうして開発途上国に住むことで、何が国際協力として大事なのか、何が援助なのかを深く考える、また自分の生活、周りの人の様子を見ながら感じることができる貴重な機会にもなります。
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敬語や漁業の話

2006年09月14日 | ミクロネシアのおじいちゃん
おじいさんとの話

朝、お祖父さんが少し怪訝そうに教会から帰ってきました。
内容は、ポンペイでは朝の挨拶は友達など
親しい人には「メイセン(朝)」
目上の人やリスペクト(尊敬)を表すときは「メイセン(朝)・マウ(良い)」
わかりやすく言えば、友達にはモーニング 丁寧に言えばグッド・モーニング
と言うのと一緒です。

それがお祖父さんに対して「メイセン」という人がいると。
それは僕も感じます。
現地の人からすれば、単なる日本人ですが、小学校の生徒も僕のことを先生と分かっているのに、ぼくが「メイセン・マウ」といっても、子どもは「メイセン」と返してきます。
前にも学校で敬語のレクチャーがありました。
とても難しいと先生達は言っておられました。
ポンペイには日本から影響を受けた素晴らしい年長者を敬うという文化があるのですが、
日本同様少しずつ言葉だけでなく、心の変化も見られるのかなと思って心配しています。

いつものように昼ごはんを食べに家に帰ります。
学校から家までは歩いて1-2分です。

お孫さんのコスタンさんはコロニアへ、そのお嫁さんは釣りに行っているので留守です。
お嫁さんは釣が上手だし、いつもその後においしい魚を作ってくれるので楽しみです。

2種類の魚のフライです。ひとつは鰯です。

鰯の話をおじいさんとしていると、「これは魚が大好きで、よくえさにして大きな魚を釣るんだ」と話してくれました。

そして、昔日本人がいたときは、漁船がたくさん出て、毎日たくさんの魚を取ってきていたことも。
まず、朝に鰯など鰹のえさになる魚をとって、それから9時か10時ごろ漁に出て夕方に帰ってきていたと。そして船が帰ってくるときには汽笛がなって、その音が聞こえると村の皆が一斉に漁船が帰ってくるところに集まると。

汽笛の音の回数によって、大漁かどうかも分かるようになっていて、1回の汽笛で100匹、2回で200匹。昔は多くて600匹、少なくても200匹くらいは取れていたそうです。

そして船に子ども達が集まると、魚の頭を切ってくれて、それを家に持って帰ることができたそうです。
お祖父さん曰く「鰹の頭もおいしかったよ」と

もちろん、鰹節なども作っていたそうです。

こんな風に昔の話をするときは、おじいさんは魚の大きさを表すのも手を広げて大きなジェスチャーと笑顔で話してくださいます。

敬語のことにしても、鰹節のことにしても昔の大切な文化を伝え、継承することが日本でもポンペイでも難しくなってきているのだと思いますが、しっかりお祖父さんとお話しする機会を自分の肥やしにしたいと思います。
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昼ご飯を子供と作る

2006年09月14日 | ミクロネシアの生活
今ホストファミリーのお父さん(おじいさんのお孫さん)が夏休みなので、普段できない買い物などにお母さんと一緒に出かけて、昼ごはんの時、おじいさんしかいません。
そこで昨日は、ふりかけを出して子どもが「これおいしいよ」というので、それをご飯にかけて食べました。今日もお母さんは留守。子どもたちは(小学4年生)卵を焼いていました。「HIROも食べる?」と聞くので、「味噌汁を作るよ」と(僕のほうが簡単なのですが)ジョイントして作って食べました。子どもたちが「一緒に食べよう」というので、いつもはおじいさんと僕はテーブルとイスで食べるのですが、子どもたちがいつもしているように一緒に床に座って食べました。一緒に食べるのはおいしいです。
前に一度夜に子供達だけが家に残っていてさびしそうにしていたのに僕が気がつかないことがありました。
それを思い出して、「I CAN HELP YOU」と話しておきました。すると今日は大きく頷いてくれました。

やはり何かを一緒にする、それは料理を作ることでも食べることでも、困難を体験することでも乗り越えることでも、もっと身近なことでも、一緒に体験し、共通の思いをもつことがなによりも人の心を近づけてくれるのだと思いました。
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様々な提案を瞬時にしていく

2006年09月13日 | ミクロネシアの幼稚園
庭に咲く花々です。

今日は昼から部屋で記録を書いていると、シニータが「明日はどうしよう?」と聞いてきました。

今週のカリキュラムを細かく聞いていなかったので、彼女から説明をうけることに。
今週は村つまり家の近所がテーマです。
ポンペイ独自の習慣(挨拶)、いろいろな色を使った遊び、数字の1・2、鶏肉・豚肉・牛肉について、植物の匂いについて、大きさの大小についてなどなど本当にたくさんあります。

近所のことやお肉のことについては難しいので、お話をしたり聞いたりするだけでいいのではないかと提案しました。

他のカリキュラムについては
○ 挨拶については、ピアノを鳴らしてみんなで歩き、音楽がとまると二人組みになってそれぞれ先生が言った挨拶を二人組で行い、できたら座るというゲームにする。
○ 大きい小さいは具体物を使った後に、実際に子どもを使ってどちらの子どもが大きいかをみんなでみて違いを分かる。
○ 数字については今日に引き続き3を指でなぞってから、ワークシートをする。
○ 色の違いについては、緑・青・黄色・赤の積み木を使って、それぞれ一人ずつ色を決めて、4人でばら撒いた積み木での中から自分が決められた積み木を取る。

これらを決めて、ちゃんと説明して行うことにしました。
明日は、色と3を僕がすることになりそうです。

でも彼女から「色の歌があるから聞いてみて」とか、僕は色のポンペイ語が分からないから教えてというと「ちょっとまって」といって色画用紙に書いて教えてくれるなど彼女の心が開放されているのと同時にどうしたら伝えやすいかを彼女なりに考えてくれていることがうれしいです。
また色についてはよく、たくさんの色を教えて「これは何色」と子どもに聞いていたのですが、「それはサカナカン(よくない)」と言いました。

例えばね「今すぐに僕が日本語で1-10まで教えるからすぐに言える?」と聞きました。
(彼女は日本語を高校のときに習ったのですが、それでも言えませんが・・・)

彼女は1から順番に数えながら「言えない」と答えました。
そこで「そうでしょ、やはりたくさんのことを始めて習うと難しいんだよ」というと
「うんそうだ」と納得してくれました。

「子どもも同じだよ」
「でも1はなんていう」ってひとつずつ教えて聞くと彼女も日本語で1-10まで言えました。「ねえ一度に教えられたら困るけど、順番に教えると分かるでしょう?」と聞くと分かってくれました。そして「そんな風にちょっとずつしていこうよ」と。

これだけの会話で通じたとは思っていませんが、こうしていいコミュニケーションをとりながら、互いの気持ちや価値を尊重しながら、「ああそうか」と互いの気持ちが感じあえるようにしていくことが今の僕たちがすべきことではないかと思っています。
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強力な応援団

2006年09月13日 | ミクロネシアで思うこと
今日日本から荷物が届いたと事務所から連絡がありました。
私たちの荷物は家に届くのではなく、事務所に届いてそこに自分から取りに行きます。

その中には日本の職場である幼稚園の先生にお願いした日本の体操のテープがありました。
一つ一つちゃんと背中にイラスト入りの。本当にありがとう。
新年度が始まるまではいろいろな遊びができると夢を膨らませていたけど、今はとてもいろいろな遊びを提案することは難しいのですが、きっと子どもといろいろな体操をしてみせる。

その為にも今は、現地の先生や幼稚園が望んでいることを着実にこなして、僕のことを理解してもらって、また僕も今の幼稚園のことを理解しないといけないと思います。

一番期待していたウクレレの楽譜は自宅で行方不明になっているみたいで捜索中です。
新兵器も手に入れました。近々公開できるように頑張ります。
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1と2を書く

2006年09月13日 | ミクロネシアの幼稚園
今日の保育

今日は昨日何も打ち合わせをしていないので、どうなることか?と思っていましたが、経験豊富なサブティーチャーのジュディーがいないことで、メインティーチャーである若いシニータも「自分でやる楽しさ」を少し感じたように思います。

いつもなら朝の一時間のカレンダーなどの話は、ジュディーがするのですが、今日はたまたま?真ん中に座ったシニータが全部進めました。

もちろん、一人ひとりの子どもに今日は何月・何日・何年の何曜日(これがポンペイのカレンダーの順番)を聞いていきました。

でもいつもより子どもが落ち着いています。その理由は昨日にも書いたようにシニータがゆったりと構えていてリラックスしているから、そして子ども一人ひとりに「カッと怒ってしまうのではなく、落ち着いてかかわり、分からない子には「一月はね・・」と助け舟を出したり、嫌がっている子どもを無理にさせなかったことだと思います。
これは自己満足ですが、もし僕の今までの姿を見てくれて、それを意識してくれたのなら最高にうれしいですが・・・・

シニータには「今日はとってもよかったよ」「君が落ち着いて怒らずにいたら子どもたちはとてもリラックスした気持ちに慣れるよ。と

自由遊びの前に急に「今日はこれからどうする?」と話しかけてきました。
「えー、今日のこと決まってないの?」と僕が聞くとあっさり「うん」と答えました。
そして「でもカリキュラムですることがあるでしょう」と僕が聞くと「昨日した1・2・3の数字を書けるようにしないといけない」とのこと。
そこで「昨日の授業は、難しかったように僕は思う」と話しました。
そして「急に1・2・3と書いたら、どれが1でどれが2で、どれが3かがわからないし、ほとんどの子どもが戸惑っていたと思うよ」と話しました。
シニータが「じゃあどうすればいい」と聞くので、「もし今週の間に1・2・3を書かせたいとしても、あと3日あるんだから順番にしても十分に間に合うし、その方が子どももよく分かるよ」と。

「よしここで頼りになるところを見せなくては」と15分で準備できるものは?と考えてひらめいたのは。

まず、急に数字を描くのは難しいのでカウンティングをすること。
それも1・2・3のみに絞って。
そして、指だけでなく具体物(今日は教室にあった貝殻3つをココナッツの殻に入れました)を使って数える。
教師と一緒に1・2・3を数えた後、教師が「1」と言うとひとつだけ貝殻を出すといった風に。
きっとそんなの簡単だよと思われますが、間違える子もいます。
それに最初はできるだけ今から学ぶことに抵抗感が少なく「僕もできる」といった気持ちになれるものが大切だと思いました。
そして具体的にまず子どもが書きやすい「1」のみを教えること。それも最初は教師が黒板に書いて、指を使ってみんなで顔の前の空間を使って、指で字を書くだけにすること。
子どもを見ていると鉛筆はまだまだ不慣れで思った形がかけず、字を鉛筆で書くということだけで緊張している子もいる。また鉛筆を使うことに神経がいき、数字を書くところまで気持ちが行かない子もいるみたいでした。

何度も遊んで馴れてから、紙を渡すこと。また紙も昨日みたいにフリーの紙に急に1・2・3と書くのではなく、サンプルに「1」と書いて、点線でかける1を6つ(枠で囲んで分かりやすくする)そしてその後に自由に書ける枠を6つ作り「1」を描く紙を用意すること。

それができたら同じ要領で2を最初は指でその次に紙で教える。

数字の「1」は、線を縦に引くだけなので「僕もできる」という気持ちになりやすかったです。それでも紙を横向きにするなど、コンフュージングしている子どももいました。

数字の「2」は、形が難しく、指文字でなぞれても、実際に鉛筆で書くには、形がイメージできなかったり、鉛筆を扱うのが難しかったりして、できにくい子もいました。

また最後にみんなでもう一度「1」「2」の数字を指で書いて、最後に明日は「3」をするよと伝えました。これをしながら「カンターパートにこういう風に子どもがイメージもてるようにしてね」と祈りながら。

全員が終わった後に、子どもが自由に自分で指を使って数字を描いているのを見て、「これはうまくいった」と少し思ってしまいました。いつでも書けるし、形が残らないので子どもはリラックスしてできるようです。

ただ反省点は1のことはポンペイ語で「Ehu」といいますが、つい力が入り「エーウ」とウを強調してしまい、「それはポンペイ語ではない」と現地の先生に言われてしまったことです。

やはり、現地語をきっちり発音を正しく、常に上手に言えないですし、子ども伝えようという気持ちが高まると語尾に力が入ってしまいます。

でもどうにかシニータのリクエストに答えることができほっとしています。

最後の5分に子どもたちを集めて「明日は3をするよ、こう書くんだよ」と指文字で練習。子どもが自分なりに見通しや期待をもてるようにと思います。(単に明日の予定を言っているだけですが)

とにかくシニータが僕に相談してくれたことが何よりうれしい。
毎日が急なことや突然なことだらけですが、とにかくすぐに考えて実行し、子どもが楽しみながら分かるもの保育を目指します。
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解放記念日

2006年09月12日 | ミクロネシアのおじいちゃん
開放記念日
(9月11日は、第二次世界大戦終了後、日本が撤退した日本からの解放記念日です。)
(ミクロネシアは4州がそれぞれ異なった休日があります)

日本からの開放記念日なんて言われると日本人としてはちょっと緊張しますが、本当に普通の祝日でしたし、戦争経験者であるおじいさんでさえ「今日はなんで休みなの?」とおっしゃるくらいなので、本当に今はただの休日になっています。

おじいさんは、前にこんな話をしてくれました
おじいさんが「昔日露戦争のときに使った大砲を日本からポンペイに運んできたことがあったんだ。それを高い山まであげるために、大砲の下に丸太を並べて転がしたり、紐をテコの原理でひっぱたりしたんだよと。

僕はそんな時、日本人だけでそんな大変なことをしたんですか?日本人はポンペイの人にも手伝わせたりしなかったですか?と聞きました。
するとおじいさんは「日本人だけでしていたよ」「その大砲を使ったのは、戦争が終わりかけのときに始めて使ったよ」と。

毎日いろいろなお話を聞くのは難しいですが、おじいさんと二人きりの生活ならではの学びをたくさんしたいですし、このブログでもそんな貴重な体験を書いていきたいと思います。

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今日は見守る保育

2006年09月12日 | ミクロネシアの幼稚園

今日は、経験があり年長者のジュディーが歯医者さんにいくのでお休みとの連絡があった。
3連休明けで子どもたちは少し落ち着きがないのではないだろうかと心配していたが、とても和やかな雰囲気で教室に入ってくる。

それは子どもたちにいい意味での久しぶりの緊張感があった上に、ジュディーがいないせいもあるのか、メインティーチャーのシニータがリラックスして子どもに望んでいたことが大きかったように思います。

どこの国でもやはり教師の心の持ち方が子どもにとって何にもまして大切なものだと実感しました。

自由遊びの前に急にシニータが黒板を使って、子ども123を書かせようとしました。
「私書ける」言って利発なメリアンが書きましたが多くの子どもがなにのことやら分かっていません。
そこで丁度好きな遊びになったので、シニータに「これはとても難しいので、まず説明が必要だと思うよ」と話すと「次のときは紙を用意してするから」という返事。「じゃあ紙に書かせる前に、どんな風に書くかを子どもたちに説明してね」とお願いしてみました。

ちゃんと最初に「こうして123って書くのよ」とみんなに説明してくれましたが、それを説明するとすぐにみんなに書かせ始めたのでほとんどの子どもがわからず、迷宮の世界に入ってしまいました。

人の教え方を「ああしたほうがいい」というのは簡単なので、とりあえずがんばって個別にサポート。123の意味が全くわかっていないので、見本を見せても真似をすることが難しい。

「なぜ今日は1だけさっと線引くようにして教えてくれないの?」って、正直思ってしまいましたが、あまり言い過ぎると、よくないので、今日は黙っておくことに。

心配なのは単に分からないではなく、こういうことを続けていくと子どもたちのやる気が失われていくのが目に見えて分かるからです。

教育とは、子どもの良さを見つけ伸ばしていく。子どもにはみんなよさがあり、時にはそれに気づいていない子もいる。教師は子どもに「それがいいことだよ」「君にはこんないいところがあるんだよ」と伝えることができれば十分だと思う。

そのためには、褒めること。正確に言うと認めること。
褒めるとはなんでもかんでも褒めるって感じがしますが、認めるとは、子どもが「僕はがんばった」と感じたことに対して「それでいいよ、そうだよ、それががんばったってことだよ」と伝えることだと思います。

褒めて(認めて)子どもを育てることは、叱って子供を育てることより10倍大変だが、子どもはそれ以上に学ぶ意欲を高めることができる。

教育とは文字や数字を教えることはあくまで手段であって、大事なことはもっと学びたいもっと知りたい、もっと友達と一緒に遊んで学びたいという気持ち、つまり意欲を高めることだと思っています。

ちょっと話が理想主義になってしまいましたが。

あと、やはり必要なのは、子ども一人ひとりを教えながら、全員が理解することを取り入れること。一人ひとりに「これはどうだった?」と24名に数字や曜日を確かめるために、ほとんどの子どもが待ち時間になってしまっていますし、友達のを見て感じる、学ぶということを先生は意識していないので、そういう流れにはなりません。

一人ひとりは大切にしていかなくてはなりませんが、保育や授業の中で1対1だけの関係では集団教育としては、難しいです。

でも今はちょっと待ちます。
今日はシニータが僕の体育の授業があったこともあってか、それか金曜日にシニータに「明日のことどうする」とジュディーの前で聞いたときにジュディーが「それはシニータが考えるわ」と言ったので、ちょっとまずい雰囲気だったことを感じました。

しばらくアドバイスをシニータは求めないのかもしれませんが、ちょっと様子を見ながら焦らずにじっくり行きたいと思います。
コメント (9)
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必ず喜びが待っている

2006年09月12日 | 駒ヶ根訓練所
必ず喜びが待っている。

これは正確に言うと、悲しいことや辛いことがあっても、その日の間に必ずと言って良いほど、その後にそれを打ち消してくれるくらいのうれしいことや楽しいことがポンペイにあるという意味です。

これは、先輩隊員の方もポンペイの良さはそこにあるとおっしゃっていました。
それはどこに国でも同じかもしれませんが、それくらいたくさんの幸せが感じられる国だと思います。

今日も自分自身はメインになって保育をする機会がなくて少しさびしかったですが、PEをしたり、小学校の先生が部屋に入ってきてくれて話を少しだけしたりと楽しいことが必ずといって良いほどあります。

今日はPE PHYGICAL EDUCATION のスタート。
このポンペイには体育は日常的にはありません。科目は算数・国語・理科・社会だけです。
しかし、やはり日本人が来ているのですからほかの楽しさも広げたいと体育をすることになりました。もちろん子どもからのリクエストでもありますが。

メインは先輩(だけど僕より年下です)の小学校隊員ですが、僕もサブ?として一緒に子どもたちに教えます。

今日は7年生が対象で、野球をすることになっていました。
しかし時間になってもなかなか前の授業が終わりません。

校庭で素振りをして子どもたちに「おいもう授業終わってもらえよ」とサインを送ると、
先生が気づいて終わってくれました。

キャッチボールをしてから男女に分かれて試合をしました。
女の子だけでも十分に打てるし、守れます。

ポンペイの子どもたちの身体能力はやはりかなり高いです。
特に女子の野球は普段していることもあり、かなり上手です。

十分に時間がなかったのが残念ですが、英語の通じる学年(7年生は日本で言うと中学一年生です)とのふれあいも楽しいです。
まだ8年生の時間などは正確に決まっていませんが、今日の7年生の姿を見て「8年生もしたい」という雰囲気になってくれればと思っています。

一人ですることも楽しい活動ですが、2人―3人と同じ仲間が集まって子どもに向かい合う活動も楽しいですし、これからも大切にしていきたいと思います。
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