「底冷えするときは大変でした」農業用ハウスでの自主避難生活も1カ月「仮設住宅をより早く」 (2024年2月1日)
132 回視聴 • 2024/02/01
能登半島地震の被災地では、避難所には行かず、地域で自主的に作った場所で避難を続ける人たちもいます。地震発生直後から農業用ハウスで生活している人たちを秋末アナウンサーが取材しています。 秋末械人アナウンサー: 「輪島市役所から車で10分ほど、輪島市長井町にあります、こちらの農業用ハウス、夜になって明かりがついています。この中で、1カ月経った今も、自主避難、生活をしている方々がいます。きょうは特別にお邪魔をします。」 「この中で皆さん、様々なものを持ち寄って、近くの方、4世帯11人が生活をしています。食料、市からも支援があります。コンロで調理をして、いまは食事時です。」 ここからは、農業用ハウスの持ち主の、保靖夫さんにお話を伺います。食事時、大変な時に本当にすみません。1カ月経ちましたけれども、ここで今まで生活をし続けてきた。この選択をされてきた理由を教えてください。 保靖夫さん: 「やっぱり、大きいところに行くよりも、ここで生活したほうがいい、という事で、今に至っています。」 Q.この1カ月間、寒さ、雪、雨、いろいろありましたが、何が大変でしたか 「雪も、寒い時も、底冷えするときは大変でしたし、雨のひどいときは音がうるさいので、結構大変でした。」 Q.これから先、新たな選択というのをしなくてはいけないタイミングもあると思います。仮設住宅、輪島市内に完成したものもありますが、今後の事をどう考えていますか 「仮設住宅がみんなに届くようになって欲しい事と、いつまでもここにはいられないので、より早く仮設住宅を完成させていただきたい。」 Q.新たな選択をしていくという意味では、どのくらいの期間を考えていますか 「夏になるともちろん難しいので、5月いっぱいぐらいかなと考えています。」 知恵を絞りながら生活していますが、もちろんいつかは限界がやってきます。 仮設住宅、一刻も早い増設が待たれます。