見晴台学園トピックス

 1990年、学習障害や発達障害の中学生・高校生が学ぶ全国にも珍しい父母立の学園です。

フラガールのふるさと いわき市を歌う、坊さん来る!

2013年03月01日 | 日々つれづれ
 3・11東日本大震災からまもなく2年がたとうとしています。震災の傷跡は今もなお
癒えることなく、今もなお多くの人々が不自由な生活を強いられています。

 専攻科とらびすたでは、去る2月25日、、福島第一原発から50キロ圏内に位置するいわき市光景寺ご住職の國田法應氏を講師としてお招きし、震災当時の様子、その後の復興の状況など現地の生の声を聞きました。
題して[
「フラガールのふるさと歌う、坊さん
   ~福島県いわき市からの震災レポート~

福島新聞では今でも日々の放射線量を掲載している




    避難所での単身者一人分のスペースは1・5畳分。勉強道具も着替えも生活用品もすべてここに。





  震災当時の様子を写真集で見る




 歌う坊さん本領発揮  国田さんのギター伴奏で
 みんなで「空より高く」(現地で歌われているうた)
 「幸せ運べるように」(阪神淡路大震災から生まれた歌)
 「花は咲く」の三曲を歌う




最後に
今、私たちができることと7して、いわき市の皆さんに役立てていただけるように、専攻科、らびすたのみんなからのカンパを國田さんに託しました。



 今まで何度となくテレビや新聞報道で目や耳にしてきた震災、津波、原発のニュースですが、この日聞かせて頂いたのは生の情報でした。

「コンビニで働いていた娘さんが震災当日、一度家に戻った後、食べ物を 取って来るねと家族に言い残してコンビニに戻っところを津波にさらわれてしまった」話、
「地震の時、壁が倒れてこないようにと両手で支えただ、前から高血圧の持病があったため、その後遺症で震災から三日目に脳内出血のため亡くなってしまった人」の話など現地の生々しい情報でした。
 きっと他にも亡くなった方がたの悲しみ、生きのびた人々の悲しみが数限りなくあることを知りました。
國田さんから教えていただいた「同悲同感」という言葉を心に刻んでこれからもいわき市とつながって、交流を深めていきたいと思います。