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Maeda Niina BLOG

人間らしさ

2012年04月19日 10時23分58秒 | niina
帰国して一ヶ月、ベルリンの生活リズムがいまだ身体に残っています。
そして、この感覚を忘れてはならない、と思っています。
今の私の生活、一見したところ渡独前とほぼ変わらないようですが、自分ではかなり変わったのです。

自然に近い人間らしいリズムがある。
ちょっとしたことで自分の状態が全然変わるんだな。

私は、ベルリンでは物欲がほとんど湧きませんでした。
思い当たる理由のひとつは、環境。
まわりの人々の多くがそうだったから。
中古家具や古着を買い、いらなくなったものは捨てずに人に譲る、など、無駄をなくすことがごく当たり前。
新品を買う時はとてもとても吟味して、一生使えるくらいの勢いなんですね。
物が売れない街・ベルリン、なんだそうです。
おのずと物を大切にするようになり、個々、本当に大切なもの・ことが見えて来るような気がします。
それで当然、それぞれが違った価値観を持ち、だからこそお互いを認め合い、尊敬することが出来る。
愛情が湧いてくる。

帰国後もそんな感覚を忘れないように生活していると、不思議と、こころの余裕、とでも言いましょうか、いらぬ欲やしがらみが占領していたこころのある部分が空き、その部分で落ち着いてものを考えるようになっている自分がいたのです。
冷静になり、自分や他人、そして世の中を観察する。

そして、今、ずどん。。。と、あらためて愕然としています。
今、日本が抱えている問題のあまりの大きさに。

この状況の中で、自分が普通に生活していることに不自然さを感じずにはいられません。
私たちは自分の目で見たことしか実感出来ないというのではなく、もっと想像力を働かせて、現状を把握し、責任もって判断・行動するべきだと思います。と言っても、四六時中あたまを悩ませ、眉間にシワを寄せていても何が変わるわけでもない。
毎日の生活ははつらつと送りたいし、本来の自分の目標や、夢や、ビジョンに向かって行くべきなのは当然です。

それで?
今、わたしに出来ることって?

まずは無関心でいないという、当然すぎることなのですが、
現代の日々の分刻みの生活の中で、この当たり前のことが難しくなっているように思います。
近現代の教育が作る日本人的気質が身に付いてしまっているせいもあると思います。
教育は時に丁寧すぎるような気もします。
歴史や情の善し悪しまでも決定し与えるので、考えさせる隙がなく、考える力が伸びないという教育。
そして、良い子でいなければならないという、曖昧な表現。
結果、従順な部分は鍛えられるが、自分で責任もって判断、行動することが出来なくなる。

その結果、こうなってしまったのではないでしょうか。
もう完全には修復出来ないくらい大きな問題が起こってしまった。

今日の文章、自分に対して言い続けなければ、と思ったこと、書きました。
人と人との本当の会話、そして自然との会話を通し、自分で選び取り、決断し行動して行くときなのだと思います。