ルーブル美術館展、開催中ですね!
既に足を運んだかたも多いのでは?
私は残念ながらまだ…
むかし、ルーブル美術館紹介のテレビ番組で、母が解説をしていたのを思い出します。
ここで少しばかり母のこと。
母は劇団民芸の看板女優だったときもあるようです。
私の名前、「にいな」は、チェーホフの[かもめ]のニーナ役を
演じたところからとったそうです。
ちょっとしたカッコいい(?)話という感じになってしまいましたが、
確かに母の血は、私の中にも流れているかと思うと自信になり誇りになるもの。
もちろん父もです。
ところでそんな私はかなり遅い子供でしたのでひとりっこ。
そのせいか、昔から絵を描くのが大好きでした。
バレエが忙しくなった中高時代は美術部に入ったり
やめたり、また入ったり、という感じであまり描いていませんでしたが。
その後新国立劇場に入ってすぐ、また猛烈に描き始めました。
もっぱらTシャツがキャンバス代わり。
毎日のように描いては周りのダンサーにあげていました。
それからまた暫くはあまり描かずにいたのですが、
最近また少し描き始めています。
写真は昔描いた落書き。
なんとなく載せてみた、、、
既に足を運んだかたも多いのでは?
私は残念ながらまだ…
むかし、ルーブル美術館紹介のテレビ番組で、母が解説をしていたのを思い出します。
ここで少しばかり母のこと。
母は劇団民芸の看板女優だったときもあるようです。
私の名前、「にいな」は、チェーホフの[かもめ]のニーナ役を
演じたところからとったそうです。
ちょっとしたカッコいい(?)話という感じになってしまいましたが、
確かに母の血は、私の中にも流れているかと思うと自信になり誇りになるもの。
もちろん父もです。
ところでそんな私はかなり遅い子供でしたのでひとりっこ。
そのせいか、昔から絵を描くのが大好きでした。
バレエが忙しくなった中高時代は美術部に入ったり
やめたり、また入ったり、という感じであまり描いていませんでしたが。
その後新国立劇場に入ってすぐ、また猛烈に描き始めました。
もっぱらTシャツがキャンバス代わり。
毎日のように描いては周りのダンサーにあげていました。
それからまた暫くはあまり描かずにいたのですが、
最近また少し描き始めています。
写真は昔描いた落書き。
なんとなく載せてみた、、、