あれよあれよ、という間にゴールデンウィーク目前。
ゴールデンウィーク直後の5月6日には今年度初の「いのちてんでんこ」学校公演がひかえております。
学校公演後、5月22日にはいよいよ、レナード衛藤さんのツアー、愛媛公演「Silently She Dances - 静かなるダンス」、そして5月23日の香川でのライブと続きます。
詳細はこちら↓ レナードさんのウェブサイトより切り抜かせていただきました♪
「Silently She Dances - 静かなるダンス」には脚本が存在します。
作品はとても普遍的なテーマを持っており、レナードさんならではの視点で見つめてきたそのテーマを原案とし、脚本の高階經啓さんがことばを使った物語として作品化。
現実とファンタジー、そして未来のようで現代のような時空を行ったり来たり、とても想像力を掻き立てられるものとなっています。
この作品、まずはレナード衛藤さんのライブ演奏&デーモン閣下の朗読で、そして次はレナード衛藤さんのライブ演奏&私のダンスにて産声をあげることになります。
そして私が踊る「She」は、まさにイマジネーションそのものが具現化されているキャラクターのように感じています。
生きること、祈ること、自然と共生すること。
私にとって踊ることは生きること。自然やひととの関わりの中で想像、そして創造すること。
自分のウェブサイトにもこんなことを書いていました↓
『ダンスは夢のようなものではないかと思う。自分の奥深くに潜む記憶と、想像力とが混ざり合い、目の前に現れる。
同じものは二度と現れない。
まさにライブ。生きることそのもの。
身体は一瞬にして全てを語る。空間を変える力がある。
わたしは、身体感覚を通して自分の外側と丁寧にかかわっていきたいと思う。』
最近思うんです。例えば命がけで過ごさねばならない状況に直面している、あるいは心から幸せを感じている、そういう両極にいればいるほど、危機感というのは募るものなのだろうか。
では、心からの幸せってなんだろう。
それはきっと、表現すること・人や自然と関わり共感し感動すること、そういったことなのではないでしょうか。
だって、それ以上の幸せってあるんだろうか?
だとしたら皮肉だけれど今の日本は幸せとは逆走しているよう。。
私は今、こうやって日々作品や表現と向かい合っている。
そんな状況の中で今月中盤以降、熊本地震のことはもちろん、自分にとっても「今」の大切さを思い知らされることが次々に起こっている。
今はずっと続くわけではない、と。
[今日やらなくて良いことは、死ぬまでにやらなくて良いこと]みたいなことをピカソが言っている。
本当身に沁みます。
最後に、こちらをご紹介いたします。
レナードさんのウェブサイトより
↓
『昔から日本人は自然に対して畏怖の念を持ち、五穀豊穣や無病息災を願って祭りを行い、祈りを捧げてきました。
その中心にあったのが和太鼓であり、踊りです。
今、日本は大変な状況になっていますが、私のミュージシャンとしての立ち位置は今までと変わりません。
それは、異なる価値観の人たちと音楽を通じて積極的にコミュニケーションを取り、共通する何かを見出して、
曲や演奏という形にすること。
そして、そのような人間の活動を支えている自然からのメッセージを真摯な気持ちで受け取り、前に向かって
生きていく。
そのことが、創造していくということだと思っています。Stay positive.
レナード衛藤』
ゴールデンウィーク直後の5月6日には今年度初の「いのちてんでんこ」学校公演がひかえております。
学校公演後、5月22日にはいよいよ、レナード衛藤さんのツアー、愛媛公演「Silently She Dances - 静かなるダンス」、そして5月23日の香川でのライブと続きます。
詳細はこちら↓ レナードさんのウェブサイトより切り抜かせていただきました♪
「Silently She Dances - 静かなるダンス」には脚本が存在します。
作品はとても普遍的なテーマを持っており、レナードさんならではの視点で見つめてきたそのテーマを原案とし、脚本の高階經啓さんがことばを使った物語として作品化。
現実とファンタジー、そして未来のようで現代のような時空を行ったり来たり、とても想像力を掻き立てられるものとなっています。
この作品、まずはレナード衛藤さんのライブ演奏&デーモン閣下の朗読で、そして次はレナード衛藤さんのライブ演奏&私のダンスにて産声をあげることになります。
そして私が踊る「She」は、まさにイマジネーションそのものが具現化されているキャラクターのように感じています。
生きること、祈ること、自然と共生すること。
私にとって踊ることは生きること。自然やひととの関わりの中で想像、そして創造すること。
自分のウェブサイトにもこんなことを書いていました↓
『ダンスは夢のようなものではないかと思う。自分の奥深くに潜む記憶と、想像力とが混ざり合い、目の前に現れる。
同じものは二度と現れない。
まさにライブ。生きることそのもの。
身体は一瞬にして全てを語る。空間を変える力がある。
わたしは、身体感覚を通して自分の外側と丁寧にかかわっていきたいと思う。』
最近思うんです。例えば命がけで過ごさねばならない状況に直面している、あるいは心から幸せを感じている、そういう両極にいればいるほど、危機感というのは募るものなのだろうか。
では、心からの幸せってなんだろう。
それはきっと、表現すること・人や自然と関わり共感し感動すること、そういったことなのではないでしょうか。
だって、それ以上の幸せってあるんだろうか?
だとしたら皮肉だけれど今の日本は幸せとは逆走しているよう。。
私は今、こうやって日々作品や表現と向かい合っている。
そんな状況の中で今月中盤以降、熊本地震のことはもちろん、自分にとっても「今」の大切さを思い知らされることが次々に起こっている。
今はずっと続くわけではない、と。
[今日やらなくて良いことは、死ぬまでにやらなくて良いこと]みたいなことをピカソが言っている。
本当身に沁みます。
最後に、こちらをご紹介いたします。
レナードさんのウェブサイトより
↓
『昔から日本人は自然に対して畏怖の念を持ち、五穀豊穣や無病息災を願って祭りを行い、祈りを捧げてきました。
その中心にあったのが和太鼓であり、踊りです。
今、日本は大変な状況になっていますが、私のミュージシャンとしての立ち位置は今までと変わりません。
それは、異なる価値観の人たちと音楽を通じて積極的にコミュニケーションを取り、共通する何かを見出して、
曲や演奏という形にすること。
そして、そのような人間の活動を支えている自然からのメッセージを真摯な気持ちで受け取り、前に向かって
生きていく。
そのことが、創造していくということだと思っています。Stay positive.
レナード衛藤』