キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

変なスケジュール組んでしまった

2010年02月27日 | 日常
 お昼に用事ありで、朝イチで行ってもお昼頃に終わりそうな通院を先送りに(土曜日は混んでます)、基本ヒマ。ただし、何か作業を始めてしまうと、中途半端に時間がない。お昼に予定を入れるのは、今後控えよう。うん、そうしよう。

 「このくらい先の時点で、こうなってると良い」というちょっとだけ具体的な期待がないと、全面的にas soon as possibleで進んで行ってしまう人がいます。無茶だからやめて、と言う代わりに、ちょっとだけ具体的な期待を載っけてあげて欲しい。「三年後に新人さんにエクセルとワードを教えてあげられるようになっていて欲しい」とか。「オフィス系勉強しといてね」だと、ぎゅうぎゅうになるまで勉強しちゃうと思うなり。関数覚えたてなのにマクロができないのを気にする勢いで自分をできない子認識しそうで怖い。三年後にって話をしたらきっと二年目にマイクロソフトの資格を取りに行くペースで勉強してくれます。ええ、多分。
 期待のかけ方って、結構難しいですね…。
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幕別とマクベスくらい違う

2010年02月21日 | 日常
 近頃また体温が低下中です。先日は久々に月星人の強襲を受け、夜間診療のお世話になりました。あ、ちゃんと電話で行って良いかどうか確認してから行きましたよ。夜間に行くような用事かと自問する余裕もなかったです。救急車(を呼んでしまう)よりはかろうじてマシなレベル程度でしょうか。痛いと判断力が根こそぎ奪われてしまいます。そのくらい本格的に痛かったのは何年かぶりです。学生時代は結構ありましたが、社会人になってからは二、三度目くらい。そのうち一度は救急車を呼ばれました……。
 何種類もの薬を一度に飲みたくないとか言いつつ、鎮痛剤をあらかじめ飲んでおかなかったのが敗因です。優先順位を間違えたんですね。体重が減っているときは要注意ということも含め(1キロ2キロのことでいちいち気にするのはこのためです)反省しておきます。

 どうでも良いけど、スポーツニュースは「ぶ然」が「ムッとした、不本意な気持ちを前面に出した」くらいの意味で書かれていることが多いので、むしろ元々の憮然の意味で書いたら、書かれた方が驚くのではないでしょうか。
 金メダルが取れなくて失望のあまり表情もつくれなかったんですか、あの選手。
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予定は順調に遅れています

2010年02月11日 | 日常
 名前を変える予定でしたが、まあいいやと思い直しました。別のところで使います。ここでは老川雨岐でいこうかと。
 サイトの準備は大幅に遅れております。別の話を書くのが楽しくなっているからです。

 試験は予想通り落ちました。何しろ問題文が日本語じゃなかった(言い過ぎ)。日本語で書いてある振りをしているだけとしか思われず(全部ではないです)。何度読んでも意味が取れなかったのは、おそらく初めてです。ある程度は想像力でカバーできるとかいうレベルの文章ではありませなんだ。恐ろしや。今年も受検するかどうかはビミョーです。

 そういえば以前、暴力依存について書いたことがあった気がしますが、暴力依存の「被害者を殴り殺すと幸せになってしまう、より困ったタイプ」について書いていなかったと思います。都合の良い記憶だけ美化して残すので、「愛し合っていて幸せ」なんです。死んじゃったら反論も逃亡もできませんからね。

 また習い事を増やそうかと画策中です。あっぷあっぷしないように調整できればと思います。
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やっぱりそこは気をつけたいなと今更

2010年02月05日 | 日常
 かつて当ブログで書き間違ったと自覚している作品タイトルの修正を行いました。やっぱり固有名詞を間違いっぱなしなのは良くないなあと言いつつ、1年半くらい経っているので、今更直しても読まなくて良い内容です。
 やっぱり固有名詞は間違わない方が良いものだと思います。自分が間違われやすい名前というのもあるのですが(大概の間違われ方は経験済みです)、名前を間違われて喜ぶ人は見たことがない。
 自分が間違われるなら「ちゃんと間違われなくなるくらい認識してもらえるようになろう」とか「もう諦めよう(人ごとばっさり切り捨て型の諦め。最終手段)」とか切り替えることもできるわけですが、身内だとか友人だとか、恩師だとか、出身地だとか、大事に思うものの名前を間違われると、かなりしんどいです。
 この人は私から何を聞いていたのか(私の文のどこを読んでいたのか)とも思うし、私の伝え方がその人をその程度に扱わせるようなものだったろうかとも思うし。
 「あ、私はこの人にとって変換ボタン(スペースキー)1回分の手間を惜しまれるような名前なのだな」とやらかした人にがっかりすることはありますが、それでも「たいせつなもの」を間違われたときに比べたら、たいしたがっかりではありません。がっかりするだけならまだマシというものです。
 ついでに言うと、うちの母は、何十年も前の地方新聞に載っていた母校と恩師について書かれたとても小さな記事で、3箇所も間違いがあったと未だに覚えていますし、「新聞に書かれることの精度なんて所詮はこの程度、信頼するなどばからしい」と、それ以来新聞全体への信頼感の程度は低いままであるようです。
 大事なものの話をしているなと思ったら、そこだけは気をつけた方が無難です。きっと。
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やれやれ

2010年02月03日 | 日常
 余計なことを書くものではないとまたがっかりする事態になりました。増えたと思ったらもらい病。治れば体重も戻りやすいと言いますが、私は筋肉が落ちやすい。そして落ちた筋肉は戻りにくい。無情。また地道に増やします。

 以前、本棚をあさったら出てきた選手名鑑について書いた気がしますが、確認したらちゃんと2008年開幕時のでした。母が何度か応援ツアーに行っているので記憶ごと混ざったかもしれません。某旅行社さんにあらぬ疑いを向けるようなことを書いて申し訳ないです。応援ツアーは、ボールが飛んで来にくい席ならまた行ってみたいです。
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