例によって仕事でしたわ。歩いてても気が塞ぐと俳句ってできないものなのね。ええ、できないものなのね。
もしかして令和最初の昭和の日なんてやつ書きそうになったわ。もしかしなくてもそうよー。
昭和生まれなので、余裕があれば振り返りもしますけど、そんな場合じゃなかった。
疲れてる時の自分チェックのひとつに、今この質問をされて答える気があるかってやつがあるんですけど、軒並み答えがNOだったのでストレスに負けていますね。ツイッターだったらブロックするな、まで思ったから本当にやられております。項目は自分で決めて自分の中で処理するためのものなので、わざわざ書くこともないのですが既にした説明を聞かずに同じ説明を求められたらどうするかって系統が多いです。疲れてるとなんで聞いてなかったのか、必要な説明だからちゃんと聞いて欲しいと最初に言ったはずだけどどうでも良かったのかなどど言ってもしょうがないことで怒りがちです。他人に日本語が通じると期待しすぎなんだよ、もう。
あと、気楽に過ごせるタイミングを作ってしまうと、一段とそうでないところでげんなりしてしまいます。これはうかつだった。回復しきらないうちに次が来るのきついわ。
キャラシートというか、長めの話を書く時、A4の紙にシャーペンでキャラの名前と特徴、小さなエピソードなどを最初に思いつくまま書いておき、なるべくぶれないように、許容範囲に収まってくれろと祈る作業をします。かつては外見設定を絵で描くことも多かったのですが、今は文主体です。試しに描いてみても「君は誰だ」ってなりがち。
文章打ってる時のありがちな残念事項として、空間認識系がダメなのが反映されて「これはどこだ、どうなってる」になりがち。部屋の造りが想定通りに描けないことがまああります。
ヒューベルトは憧れの語彙「落ちくぼんだ眼窩」「痩けた頬」五年後は「おさまりの悪い髪」三点セットが行けそうな外見がいいなあと思うのですが、きっと書かない……。なんでかはわからないけど、どっかで書いてたら何か降って来ちゃったんだなと思っていただければってくらい、別の表現に行く気がします。
カップ味噌汁、なめこもおいしいし、あおさもおいしいから最高だな。
お吸い物にそうめんを入れて食べたくなったので、お吸い物買いました。楽しみだわ。
肯定的な話をするのに「けど」「でも」使いすぎだったので、気をつけようと思います。
もしかして令和最初の昭和の日なんてやつ書きそうになったわ。もしかしなくてもそうよー。
昭和生まれなので、余裕があれば振り返りもしますけど、そんな場合じゃなかった。
疲れてる時の自分チェックのひとつに、今この質問をされて答える気があるかってやつがあるんですけど、軒並み答えがNOだったのでストレスに負けていますね。ツイッターだったらブロックするな、まで思ったから本当にやられております。項目は自分で決めて自分の中で処理するためのものなので、わざわざ書くこともないのですが既にした説明を聞かずに同じ説明を求められたらどうするかって系統が多いです。疲れてるとなんで聞いてなかったのか、必要な説明だからちゃんと聞いて欲しいと最初に言ったはずだけどどうでも良かったのかなどど言ってもしょうがないことで怒りがちです。他人に日本語が通じると期待しすぎなんだよ、もう。
あと、気楽に過ごせるタイミングを作ってしまうと、一段とそうでないところでげんなりしてしまいます。これはうかつだった。回復しきらないうちに次が来るのきついわ。
キャラシートというか、長めの話を書く時、A4の紙にシャーペンでキャラの名前と特徴、小さなエピソードなどを最初に思いつくまま書いておき、なるべくぶれないように、許容範囲に収まってくれろと祈る作業をします。かつては外見設定を絵で描くことも多かったのですが、今は文主体です。試しに描いてみても「君は誰だ」ってなりがち。
文章打ってる時のありがちな残念事項として、空間認識系がダメなのが反映されて「これはどこだ、どうなってる」になりがち。部屋の造りが想定通りに描けないことがまああります。
ヒューベルトは憧れの語彙「落ちくぼんだ眼窩」「痩けた頬」五年後は「おさまりの悪い髪」三点セットが行けそうな外見がいいなあと思うのですが、きっと書かない……。なんでかはわからないけど、どっかで書いてたら何か降って来ちゃったんだなと思っていただければってくらい、別の表現に行く気がします。
カップ味噌汁、なめこもおいしいし、あおさもおいしいから最高だな。
お吸い物にそうめんを入れて食べたくなったので、お吸い物買いました。楽しみだわ。
肯定的な話をするのに「けど」「でも」使いすぎだったので、気をつけようと思います。