キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

おおお。

2008年06月27日 | 日常
 とうとうおパソが死にかけたので、サポートに電話しました。
 バックアップを勧められましたが、日頃から必要なデータはCドライブ外に保存する癖がありますから……。一応、最近(どうでも良いから)放っておいたメールだけバックアップしておきました。
 システムの復元をしたらなんとか動くようになったみたいです。元から(買った当初から)フリーズが多めだったことはとりあえず置いておいて、一年足らずで死にかけられたのは携帯電話以来です。初めて買った携帯電話は、一度電源を切ったら(観劇の際は電源を切ります)二度と起きませんでした……。初期不良なので無料で何とかしてもらいましたが、その後使い続けた年数を考えると、充分働いてくれたなあと思います。
 パソもそうであると良いなあ。サポートの方の言葉遣いがやけに丁寧で恐縮しきりでした。こっちは助けてもらってるのに~と思うのですが。また本格的におかしくなったらお世話になります(嫌な予告)。
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雨が降っています

2008年06月22日 | 日常
 昨日は検定にいってきました。午後は映画に。

 ブログは覚え書き程度に使うことが多いです。
 公の場であることを踏まえ、不穏当な発言をそのまま書かないよう気をつけています(何が検索に引っかかるかわかったものではないので)。気分だけでも伝えようと■■と文字数だけ合わせて埋めることもあります(どうでも良いですが、個人的には■で埋めた文を見ると、『99%の誘拐』(岡嶋二人)を思い出します)。
 たとえば、「演観の会員数が最近ちょっと厳しくなってきているのは■■■■をつぶしたかったのに署名集めて反対され、取り壊しを延期に持ち込まれた腹いせに■■■が呪いをかけているせいだと思います」とか書くときに■を使うわけです。
 読む人はまずいないですし、垂れ流してもそう問題になることはないとわかっていても、そこは自分で書かないと決めたことですので(ネガティブなことを言うときは個人名を出さない)当然自分で守ります。
 偏りまくった考えも、大概は(読まれないから)ほったらかしてもらえるけれども、それは許されているからと言うより、見限られているからに近い気がします。
 どこまでも許されたつもりになって、自意識を広げてゆくと、現実世界とかみ合わなくなってきます。肥大化しすぎた自意識は、アイデンティティを殺してしまいます(自意識の肥大化、とか肥大化する自意識という言葉を使うとき、浮かぶイメージは映画『AKIRA』の終盤です。「意識」じゃないけど、そういうイメージ)。
 そうならないために、自分ルールを決めておこうというわけです。あまり役に立ってはいませんが、何もしないよりはマシかなと思います。
 我々世代でもつきあい方で難しいなと感じることがあるのに、子供の時分からネット社会がある今の子供は大変だなあと他人事のように思います。第二次反抗期にメールもインターネットもなかった世代からしてみたら、戦う相手が大きすぎやしないかと。自分が世界と信じるものと、現実とを戦わせて戦わせて「自分」を再構成する作業をしていく時期に、膨大な情報と自我の集まりを世界に含めてしまうとどうなるだろうかと。大変だなあ。
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納得の魔法

2008年06月19日 | 日常
 今日はパソの調子が悪かったので焦りました。
 買ってからまだ一年もたってないのに~。

 小学生の時分、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の一節「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」の「カンジョウ」を「感情」だと思っていました。
 自分だけのことで怒らない、自分のことを哀れんで泣かない、自分が駄目だからと人をねたまない、そういうことだとイメージしていたようです。
 これってもしかして「勘定」なのかしらと思いついたのは、大学生になってからでした。
 納得してしまうと、その裏、その向こう側についてはあまり考えなくなるものですが(考えすぎないための防衛本能のようなものと思います)、たまには疑ってみることも必要なようです。
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蜂とか蚊とか食べようとするうちの犬はどうかと思う

2008年06月14日 | 日常
 不安になる理由がわからないときは、その分だけからだが重い気がします。
 多分、(体感地震ではないですが)この辺も揺れているらしいので、そのせいです。
 ……と思っても軽くはならないようです。北の友人が心配。

 ここのところ『パワポケ10』にかまけていて、色々おろそかになっています。
 甲子園そっちのけで掘っていたのですが、主人公が(比較的)楽に進めそうなスキルを身につけ、楽できそうなアイテムを手に入れていたデータで、道に迷って、死神に出会って大破→2部なので(以下心情的に書きづらいので略)。気に入っていたキャラクターだったのでデータごと消しました。またやり直します(懲りてない)。

 犬小屋近くに蚊が増えてきました(憎)。犬用蚊取り炊こうかなあ。
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食休みは「じきやすみ」と読む派です

2008年06月12日 | 日常
 まいくろそふとあっぷでーと(今月分)はもうやったはずなのに自動更新が「まだあるよ~」と言っています。なぜでしょうか。アップデート直後にPCが不調になったのと関係があるのでしょうか。とりあえずは履歴を確認してダブっていないか調べるところから始めてみようかと。

 タイトルは読み仮名の話。間違っていなくても自分が採用しがちな読みと違うと、聞いていてちょっと変な感じがすることはあると思います。
 背負う:「せお-う」「しょ-う」
 山間:「やまあい」「さんかん」
 口惜しい:「くや-しい」「くちお-しい」など
 文脈にあわせて雰囲気で勝手に脳内で切り替えているようなのですが、他人と合わない部分も当然あります。
 新緑とぽつりぽつりとある古そうな家を映しながらナレーションで「サンカンの小さな集落」と言われて、えー、と思う感じです。
 軽く(冗談交じりの)脅し文句を交ぜて「ねだる」人がいても、つい「ゆする」人と思ってしまうとか。強請ると漢字で書かれると、一瞬詰まります。
 だいぶ前、たまに観ていた某番組で「畳のフチ」を連発されて、それは違うと思いましたが(どう見てもヘリでした)。カタカナで書いてあったのかも知れませんが、文脈で差し替えることはできなかったのかと戸惑いました。
 食休みは最初に「親が死んでも食休み」で覚えたのが「じきやすみ」と反射的に読む理由です。万が一親になることがあって、このように言われたら「せがれ死んでも今一服」と応じるつもりがあります。なんにしろ、死にネタはシャレになるうちが花ですね。
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メインコンテンツを地味に

2008年06月08日 | 更新記録
小説>res floris>本日のホッケは品切れです 1,2をアップしました。
フレームを使うかどうか迷うのは、地道に掲載物を増やしてからでいいじゃんと結論。
次は続きじゃないのをあげる予定です。色々遅れてます。
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うちの永徳さん

2008年06月08日 | 日常
 ATOKが鬼束ちひろは一発変換したのに、千昌夫は変換候補から探さないといけなかったのはどうしてなのかと今更思いました。
 後者の方がメジャーなんじゃないかしらと思うのですが。
 普段無茶な変換をお願いしている手前、あまり文句を言うところでもないかしらとも思います。

 昨日、久しぶりにオフラインパソを立ち上げました。ワープロからのサルベージに失敗したので(結局、諦めました)、データで残っている文章と、そうでない文章、あると思っていたけれどなかった文章、ないと思っていたけどあった文章を脳内整理しました。思いのほかたくさん消えていてがっかりです。あんなの残ってるのにあっちがなんでないの、と思ったり思わなかったり。
 ないのは今後、地道に打ち直すか封印するか要検討です。
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昨日は口語、普段は口語体

2008年06月05日 | 日常
 極端な話を例に出すとわかりやすい反面、現実感に乏しい気がします。伝聞とそこからの推量を積み重ねて文章を打つと、内容が意味をなくしがちになるものです。
 拾いどころを間違うと、真逆の意味に取られかねないこともあります。わざと相反する事実を重ねて反語を表現しているのに、上っ面だけで解釈され(表面上の矛盾が)気持ち悪いと言われることもあります(大体は文章自体の意味がわからないと言われますが)。
 他人が自分の文章をどう読むかは他人の勝手なのですが、明らかに意図と違う解釈をした上での感情的な反応が返ってくると、げんなりします。小難しい表現を使わなければいいのにと言われますが、ややこしいものはややこしいものとして存在しているのであり、それはややこしい言葉で表現するしかありません。ややこしいものは、簡単でわかりやすいものの組み合わせがややこしそうに見えるだけであり、だからそれは簡単でわかりやすい表現で説明できる……というのは必ずしも事実ではありません。組み合わせ方が有機であるなら、安易な分解は性質の根本的な改変を伴うことがあります。

 眠いと自分でもどう直して良いかわからない文章を書いてしまうことがあります。
 昨日今日とそんな感じです。お読み下された方、お疲れ様です。
 前にも書いたかも知れませんが、学生時代、海パンに水泳帽、ゴーグルを身につけ、片手に眠気と書かれたハンマーを持った睡魔ーを妄想していました。あのハンマーに殴られると眠くなるんだ。

 『ザ・マジック・アワー』をいつ観に行こうか相談中です。『THE有頂天ホテル』を最初観たとき、挿入歌の歌詞「AND 俺」をアンドレと聞き違えて、どうしてそこでいきなりフランス人の名前が出てくるのかと明後日なことを考えていました。ドン・キホーテもサンチョ・パンサもスペイン人じゃなかったかしらと。今回はそんな迷走がないと良いなあ。
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ですます調がそぐわない気分なので今日は口語

2008年06月04日 | 日常
 昔はDVって言わなかったけれど、昔から暴力依存の人はいて。分類では口唇期に何らかの問題を抱えたヒトと言われ。依存する相手に拒絶される、あるいは拒絶されたように感じると、赤子が親の庇護を失ったような絶望感を感じるのだとか。だからどこまでもしがみつくのだとか。非依存者を失うことは文字通りこの世の終わりのようなものなのだとか。殴ったことをものすごく後悔するけれど、殴ることで得る歪んだ万能感に似たものから得る快楽、に抗えないのかも。
 病院に行けと言いたいけれど、医者よりはカウンセラーの領分なのかな。どちらにしろ当たり外れはあるわけで。治療を受けること、カウンセリングを受けることと、それまでの自分が否定されることはイコールではないのだけれども。殴る自分を否定したい気持ちがなおさら思い込みを強化して、でも否定されるのは怖い。だから病院とか治療とかいう言葉は頭から否定。
 カウンセリングの手法までは習っていないので、物言いが中途半端になってしまうけれども。どこかに「大きなお荷物」が隠れているなら、誰かを殴っても誰も幸せにしないとわかっているのだから、不安をまき散らす「荷物」をやっつけてみたらと思う。それをヒトに転化させているうちは、本人も含めて誰も幸せにしない。やっつけ方はプロに相談したらいい。

 精神に過負荷がかかったとき、男は壊れる方向に、女は歪む方向に進みやすいと聞いたような。歪んだら誰かに代わりに壊れてもらおうとするんじゃないかな。殴られる女は殴らせる女かも知れず。ただ、希少なケースを挙げて鬼の首を取ったように被害者面するのは、加害者の方だろうなあ。

 カウンセラーの相談料が弁護士の法律相談並みなのは、内訳のかなりの割合が危険手当だからなのかとか、そんなこともついでに考えつつ。
 暴れるクライアント、ストーキングするクライアントなどなど色々いるようですから。
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