悲しみの余り、一晩置かないと、書けなかった。
昨夜の「鎌倉殿」は、畠山重忠殿が謀反の濡れ衣を着せられ、
全くもって理不尽な合戦をせざるを得ず、殺される回だった。
史実がそうだし、ネットでは畠山氏退場のカウントダウンが、
徐々に近付いていた。
昨夜の副題も「武士の鑑」、畠山氏はドラマ内でそう呼ばれ、
現代社会でもそう呼ばれている。
…あー見ていない方には説明ができないので、それは諦める。
公開記事なのに、ゴメン。
以下、見ている方に向けて。
歴史観が全くない私は、畠山殿の名前を聞いたことがなかった。
(鎌倉幕府で知っている名前は、頼朝、義経、北条政子、
辛うじて実朝は聞いたことがあるような)
ただドラマ内で、やたらと格好がよく、
ネット内でもうすぐ退場と騒ぎになっていたので、注目。
あるとき、畠山殿の終焉の地が横浜市内で、
ゆかりの史跡が幾つもあることを知った。
少し遠いが、一応、居住市内。
夏の間、どこにも行かなかったし…
先週行ってきました、畠山氏の、史跡巡り。
鶴ヶ峰駅近くの「畠山重忠公碑」「首塚」「首洗い井戸」
うぅ、聞くだけで怖ろしい名前の史跡だが、
それぞれ、交差点から見下ろす窪地、アパートに囲まれた階段上、
区役所の敷地の外れに札のみ、と知らなければ横を通っても
見逃してしまうようなひっそりとした佇まいだった。
私は写真を撮る習慣はなく、心の中に焼き付けた。
(ブログ綴りとしてどうよ?、それでも読まれています・笑)
昨夜の「鎌倉殿」で畠山殿が討ち死にすることはわかっていた
ので、正直、見たくなかった、否、見るのが怖かった。
でも私が見なくても、討ち死にはするので、見た。
…全くもっての濡れ衣、一点の曇りもないのに、
これも濡れ衣の「重忠の息子」が先に討ち取られ、
次郎(重忠)は命が助かる道もあったのに、
武士の誇りの為に、戦って散る道を選んだ!
お陰で、末代に至るまで「武士の鑑」と称えられるが、
昨夜は妻のことまで描かれなかったが史実では、
妻も自害するんだよね、「駕籠塚」という史跡もある。
で、畠山殿の最期は、討ち取られたという台詞で描き、
また「首桶」が出てきた。
この中に畠山殿の首が…悲しい…
あ、畠山殿を演じた、中川大志さん、
24歳であの演技とは、見事です。
が、この後、別の衝撃の展開があった。
私が今まで見落としていた「稲毛重成」なる人物が、
全ての責任を押し付けられ、捨て駒として
(義時が、はっきりそう言った)、首を刎ねられた。
本人は、自分の死の意味が分からず、最期まで何故?と
言いながら、史実では、一族も殺された。
畠山殿の、理不尽ながら覚悟の死と並び、
これも良い人そうな稲毛殿の捨て駒としての死。
いやいやいや、この先も続くのか。
三谷さんの脚本の展開だが、生死は史実通りだから、
鎌倉幕府、恐ろしい時代だった。