いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

母が最期を迎えた緩和ケア病棟から手紙が来た

2023-08-25 22:35:10 | 母の病気
中身は、手書きのメッセージ・カードで、
左側に、時候の挨拶と、
死から3ヶ月が経ったこと、
遺族への気遣い等…
右側は、時節柄、ひまわりのイラスト…
それと、遺族へのアンケートのお願い。
「日本ホスピス緩和ケア協会」のHPに
アクセスし、ネット上で回答するが、
遺族がお年寄りだけだと難しいかも。
この3ヶ月過ぎに届くというのが、
遺族も落ち着き、まだ記憶も新しい、
絶妙なタイミングだと思った。
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納骨が無事終わりました。

2023-06-29 13:45:01 | 母の病気
今朝の10時からでした。
全国的に不安定な天気の予報で、
昨日から各地で雷雨が発生しているが、
この地は朝から蒸し暑いカンカン照りで、
葬儀の時も晴れたし(前日と翌日は雨だった)、
天気に恵まれてきました。
 
葬儀や四十九日と同様、納骨についても
具体的には書きませんが(私のblogスタイルだと、
書くのは大変な労力になるし、思う所もあります)、
いい納骨でした。
霊園で、帰りしな、小さい花束を買い、
家の仏壇にも飾りました。
 
(他に助けのない、独り)喪主としての務めも、
一区切り付きました。
…長年気が張っていたので、ほっとしています。
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母の最期の七日間

2023-06-11 17:26:53 | 母の病気
ようやく、「母の最期の七日間」の概略を書く。
入院していたので、詳しくはわからないし、
医師からの説明は入院時だけだったので、
私が見て感じた事だけになります。
 
落ち着いた感じで、家では入れなかったお風呂も
入っており、まさかこの一週間後に
亡くなるとは思わなかった。
 
面会は平日週三回までだったので、この後、
急速に悪化したのか…
3年以上掛かった訪問診療の先生は、
「最期は水も飲めなくなり、そうなると、
七日間で亡くなる」
と言っていたが、この面会後に、そうなったのか。
 
折悪しくゴールデンウィークの休日で面会できず、
6日土曜に病棟の看護師から電話があった。
「今朝からせん妄が出ている。残された時間は短い」
病院に駆け付け、土曜の休日だが面会させてもらった。
母は、「全然来てくれなくて、どうなっているの。
家に帰る。介護タクシーを使えるって」
と繰り返し必死に訴えてきた。
これが、せん妄か?
苦しくて状況が理解できなくなっているが…
看護師さんと話したが、(こういう言い方では
なかったが、意味は)死期が近く、
もう車に乗って移動できる状態ではないと…
そしてこの時から、面会制限はなくなり、
24時間いつでもOK、付き添い可となった。
 
だが、個室内のソファーベッドたって、
寝られるようなものではなく、
私ひとりで最期まで家族としての務めを
果たさねばならず、
亡くなった後の事もあるので、
泊りはせず、毎日、面会に行った。
母は、もう、訴える元気もなくなり、
私が行っても眠ってしまい、
8日月曜は一言も声を掛けられず、
苦しそうな寝顔だけ見て帰ってきた。
寝間着から見える肌に赤い湿疹が広がり、
舌にまで湿疹があった(後で調べると、
がん末期によく出る症状らしい)。
 
そして9日火曜の朝に面会。
母はやっぱり眠っていたが、
看護師さんから
「話し掛ければ、わかりますよ」
と言われ、前日とは違い、いろいろ話し掛けた。
最後に、「夕方も来るね」と声掛けたのを
母はわかって、苦しい表情が和らいだ…
と思ったし、後で看護師さんも、
「娘さんが来た後、表情が穏やかになった」
と言ってくれた。
面会から帰宅し、職場に連絡を入れて、
お昼を作って食べようとした時、携帯が鳴った。
「緩和ケア病棟」からの着信を見た時、
聞かずとも用件はわかった。
「呼吸が止まりました。落ち着いて、来てください」
(おしまい)
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コロナ禍と同期していた、母のがん闘病

2023-06-10 21:54:23 | 母の病気
ここは実は、最期の緩和ケア病棟のある病院で、
ここの婦人科ではがんを扱っていないので、
がんセンターに紹介で回されたが、
事実上、進行の卵巣がん告知をされた。
そして、この僅か数日後、横浜港に
停泊する豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号
から、当時は一般には聞き慣れなかった、
「新型コロナウィルス感染症」の陽性者が
続々と見付かり、世の中が大騒ぎになった。
母のがん闘病は、コロナ禍と同時に始まった。
 
そして、余命数ヶ月と見込まれたのに
3年4ヶ月もった闘病も、遂に終わりを迎えた。
2023年5月9日、死去。
新型コロナが5類に引き下げられた5月8日の、
翌日である。
私の職場でも、まだ感染者がポチポチ出ているし、
実際にはコロナ禍はまだ終わっていないが、
法律上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ
5類になったことで社会的な扱いは変わり、
母のがん闘病は、コロナ禍と同時に終わった。
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初めての月命日

2023-06-09 19:10:43 | 母の病気
仕事があるので午前は出社したが、
母が亡くなった時刻には家に居ようと、
午後休を取った。
刻々と、1ヶ月前の今、こうだった、
ああだったと、フラッシュバックしてきて、
ツラかった。
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昨夜は線香が煙かった/叔母から納骨に行こうかと電話が

2023-06-05 21:34:53 | 母の病気
昨日の午後2時に近所のおばさん達が来て、
線香をあげてくださったが、
その匂いがキツくて、
窓を開けて空気の入れ換えをしたのに、
夜になっても煙くて、眠る時も不快だった。
「煙が少ない」タイプを買ったのになー😢
せっかく買ったけれど、もう使えないなー😢
教訓。今後、こういう機会があったら、私は、
「お線香をあげさせて」とは言わずに、
「手を合わさせて」と言います。
 
そして帰宅後、スーパーで買ったかつ丼(!)を
食べていたら、叔母から電話が掛かってきた。
「先日、電話を聞き流してしまったが、
納骨は、いつ?行こうかー?」
「まだ決まっていない。これから決めるけれど、
(霊園の人には)施主の気持ちでいつでもいいと
言われた。私も(人並みに)きちんとはできないし、
霊園の人には、ひとりで行くと言ったし、
叔母さんには葬儀で十分見送ってもらったので、
納骨にも立ち会いたいのであれば来てもらって、
どちらでもいいよー。
葬儀は、叔母さんが来てくれないと困ったけれど、
納骨は余裕があるし、霊園の人も私の事情を
わかってくれたので、大丈夫だよ」
と話すと、一旦、考えると言われた。
 
そして心配してくださっている皆さん、
昨夜も(線香臭くても)よく眠ったし、
夕飯のかつ丼(!)よりも、
お昼の社食で、大飯食らいました。
私は元々、食べる量がかなり多い方です、
やややせ型ですが…(-_-;)
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やっと近所の人に弔問に来てもらえた(やれやれ)

2023-06-04 17:07:56 | 母の病気
マンションの隣の家のおばさんから、
亡くなって早々に、
「お線香をあげに行きたい」
と言われたのだが、今日の午後、
やっと実現した。
なしてそんなに日にちが掛かったか?
お隣なのに…
 
父が亡くなった時に仏壇を買い、
職場の同僚に高級線香も貰ったが、
母がぜん息で線香の煙がダメな為、
買い足すことはなかった。
線香関係の仏具もどこかにしまい、
母が亡くなっても線香をあげることを思い付かず、
正直にその旨を話したが、隣のおばさんは、
やっぱり線香をあげないと気が済まないらしく、
内心、「手を合わせるだけじゃダメ?」
と思ったが、仏具を探し出し、線香を買い、
あ、ろうそくも必要なんだと買い、
気持ちの整理と部屋の整理が付いた今日、
お声掛けした次第。
 
「あの人とあの人にも、声を掛ける」
と他のおばさんも来た。
で、その後、小一時間、母を偲んだ。
母の最期の様子とか、
「緩和ケア病棟って、個室代が高いんでしょ」
と聞かれたり、お墓の話になったり…
他のおばさん達も、こどもが娘だけだから、
墓じまいして永代供養墓に移すと言っていたな。
それが当り前になった時代なのね…
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8時間眠った/霊園に打合せに行った

2023-06-03 21:33:46 | 母の病気
3月に母の容態が急速に悪くなっていってから、
私の睡眠状態も悪化し、
母が亡くなった後も緊張が解けず睡眠障害が続いたが、
徐々に緊張が解けると同時に睡眠も改善し、
でも6時間ではなくもっと眠りたいと思っていたが、
昨夜は、8時間眠れた。久し振りだー。
 
午後は予約していた霊園に、
母の納骨の打合せに行った。
昨夜みたいな暴風になったらどうするのか聞いたら、
日延べの相談もできるらしい。
「皆さん、(条件は)同じですから」
と、話し易い人でよかった。
 
帰宅してから、葬儀に参列してくれた
東京の叔母(母の妹)に電話した。
今も毎週末、電話している。
伯母も私を心配して、いつでも電話していいと。
諸々の事が多くてblogには書き切れないし、
公に書けないことも多いが、伯母にほぼ話し、
すっかり私のカウンセリングになっている。
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訪問看護の担当看護師さんふたりが来てくれました。

2023-05-29 17:11:59 | 母の病気
余った紙おむつを引き取ってもらう(「寄付」という形)
為にですが、仏壇に手を合わせていってくれました。
お花まで持ってきて…
来てもらえば、そうなるよね、申し訳ない!
ただ、余った紙おむつは…
買えば、安売りで15,000円分位かな…
と書いたが、も少し多い、2万円分位で、
がさばるので、ふたりで2往復分、
せっかく来てもらったから、それ位あって、よかった。
そして、今後、誰かが使ってくれるから、よかった。
部屋がまた、広々とした。
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ひとつひとつ、終わらせていきます。

2023-05-27 14:04:49 | 母の病気
前回の記事から半月経ちました。
「母の最期の七日間」について、概略だけ書くと思いますが
(詳しくは書けない…)、それはまだ先になります…
 
この半月にあったこと…
母が亡くなって一週間後の17日(水)に仕事復帰した。
昔からの同僚で、親を亡くした事のあるふたりには、
私の気持ちがよくわかった様子で、
「ひとりでよく、頑張った」と言われたり…
所属の担当の役員さんに、
「母を亡くした時、遺品をなかなか捨てられなくて、
10年掛かった」と言われたり…
かと思うと、定年後嘱託のおじさんは、
自分の親を亡くした時もあまり感慨がなかったようで、
私の気持ちを全くわからない様子だった。
ほんと、人って、いろいろですよ。
 
また、20日(土)に、3年2ヶ月間、家の真ん中に置かれていた、
介護ベッドが撤収された。
介護保険でのレンタルだが、組み立て式で設置も撤収も大掛かり、
入院中は、また家に戻り使う可能性がある為、撤収しない。
母を優先したら、家の真ん中(居間続きの和室)の設置になり、
介護するには一番いいが、生活するには何かと不便だった。
それが撤収され、広々となった部屋を見た時に、
ああ、本当に母はもう帰ってこないんだと、実感した。
 
そしてあさって、訪問看護の担当看護師さんに来てもらい、
余った紙おむつを引き取ってもらう(「寄付」という形)。
…かなりある。買えば、安売りで15,000円分位かな…
ずっと履いていたパンツ式のおむつが、
完全寝たきりになりテープ式おむつに変わり、
おむつの中に敷く尿取りパッドも、
だんだん吸水量の多い物に変わっていった。
効率良く買えば、こんなに余らなかったのだが、
ちょうど物価が高騰し、紙類が不足するかもという時期で、
安売りの時に多く買い、それを使い切る前に病状が進み、
合わなくなり、大量に残されてしまった。
資源の無駄にもならずに済んで、よかったです。
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