今年は畑にズッキーニのほかにかぼちゃも植えた。
去年朝市で買った直訳すると「食用かぼちゃ」(ハロウィーンなどのお飾り用に黄色や縞のあるミニかぼちゃがよく売られているので区別するためだろうと思う)がとても美味しかったので種をとっておいて、それをまいてみた。かぼちゃをそだてるのは初めてだ。
海外在住の友だちから「日本からかぼちゃの種を買ってきて美味しいかぼちゃができたけど、次の年にその種をまいたら全然だめだった~」という話を何回か聞いていた。たぶんいわゆるF1種といわれるもので、一代目は育てやすくておいしい野菜がなるけれどその種をとって翌年植えてもだめ、という種だったのだろう。
私が朝市で買ったかぼちゃ(スウェーデン産)もF1種なのかもしれないとは思ったけれど、ものは試し!
つるを伸ばしていくかぼちゃをながめているうちに(っていうか、つるが伸び放題にならないように摘むべきだったらしい)何十年も前に祖母から聞いた話が蘇って来た。
戦争がひどくなって、祖父は東京に残り祖母は子供三人を連れて疎開していた時期があったらしい。食糧不足のために地面がある人は野菜を育てており、祖母も見よう見まねで畑を作るようになった。ある時、植えた覚えのないのに生えてきた芽がいくつかあるのに気が付いて、そのままにしていたらかぼちゃだったという。「大きくておいしいのが何個もとれたんだ。あのかぼちゃのおかげで一家でしばらくおなかいっぱい食べられたんだよ。」
祖母の話は食べ物のなかった時代の畑づくりだから趣味で家庭菜園をやっている自分とはまるで切迫感が違うのだが、彼女は畑づくりをそれなりに楽しんでいたようで、いろいろな野菜の話をしてくれた。
「戦争の時代に女性が強くなった」という話を聞いたことがあるが、祖母もそのいい例だと思う。子供三人連れてゆかりのない地に引っ越し、食べ物もろくにないところでがんばったのだ。自分でも夫に頼らなくても生活できるということをこの時期に身をもって実感したのだと思う。祖母は戦後子供が大きくなってから働き始め結局60過ぎて癌で倒れるまでずっと働いていた。
祖母のかぼちゃの話は私の中では「どこから飛んできたのかわからない種からおいしいかぼちゃができた」という不思議なおとぎ話でもあり、戦中戦後の女性の生活史の象徴みたいにもなっている。
霜にあたるのはよくないのでは、と思って気温が零下に近づいてきたときに全部収穫。(同じ株から色の濃いのと銀色っぽいのがとれた)
そのせいもあってちょっと熟し足りないかんじもするけれど、
味や口触りは日本のかぼちゃと同じ!(煮つけの写真をとるのを忘れました)
ちょうどインターネットの料理コミュニティでかぼちゃ入りニョッキの作り方を習ったので早速作ってみる。
バターにセージのかおりをうつしたソースにチーズをかけて。美味しかった!
畑のセージ。考えてみるとこれも種をまいたり苗をうえたりしたのではなくてどこからともなく生えてきたもの。
このニョッキがかぼちゃの甘みたっぷりだったので、きなことメープルシロップをかけてデザートとして食べてみた。これも白玉みたいで美味!