〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

3月の朴木の会は第三土曜日です

2023-03-17 07:58:41 | 日記
3月の朴木の会はいつもとは異なり、第3土曜日に開かれます。
連絡が遅くなり、誠に申し訳ありません。

今回のテーマは「近代小説の未来」のⅢです。
『木野』論に決着を着け、鷗外の『鶏』について触れます。

 
『木野』は村上春樹ご当人も完成させるのが難しかったと言っていたように、
読者の我々にも極めて難解です。
しかし、拙稿「近代小説の未来・村上春樹『木野』論とその行方」をお読みいただければ、
木野という作中人物が実は、反木野という不条理、パラドックスにたどり着く、
一種ミラクルの如きプロセスを辿ることが出来ることが分かります。
お手元にない方は是非ご連絡ください。
すぐに添付してお送りします。

自分の中に隠れ、眠っているものは自分で気付くことはあります。
しかし、その無意識の自分に気付くだけでは自分の問題が解決するのではありません。
例えば、自身が両義的に引き裂かれていることに気付いても、
それに対して人は無力、引き裂かれたまま手をこまねくしかありません。
ここではそうした自分を超える話です。
自分が自分ではない自分に辿り着く話、これが『木野』です。
『一人称単数』『猫を棄てる 父親について語るとき』に重なるテーマ、反「私」の話です。

これを西田幾多郎の言葉で言えば、「絶対矛盾的自己同一」という言葉になります。
自己の内部の内部は外部というパラドックス、
生物学者の福岡伸一は植物の細胞の内部に入り、その内部の内部は外部に通じると言います。
拙稿でも注に挙げています。

人は識閾下(無意識)を探っていけば、自分の知らない自分に出会う可能性があります。
これを研究対象にしたのがフロイトやユングで、彼らの言う無意識、
集合的無意識・普遍的無意識を超えて、自分が自分でない自分に出会うという、
不条理の極限の話れが『木野』です。
人は自分の頭の動きを自分の頭の動きで消すことは不可能です。
この不可能なことに木野はカミタの導きで辿り着きます。

何故か、それは自身の中に自身を超えるものを見るからです。
木野は「両義的な生き物」であり、同時に背反するものに引き付けられている自身に
無自覚だったことことに出会います。
第二の「蛇」の話がそれです。
木野は自身が全く認めない自身を抱え込んでいた、心の中に蛇の心臓が隠れていて、
これを木野は殺すのです。
カミタの導きでカミタの言いつけを守っていた自分自身を否定するのです。

繰り返します。木野は自分で捉えている自分が限界に達し、
空白になり透明になっている自分を感じ、そこでこれを否定し、
カミタの言いつけを裏切ります。
実は、ここに逆説があった、カミタの言いつけを否定することがカミタの狙いだった、
パラドックスに陥るようにカミタが仕掛けでいたのです。

実は、これはもうずっと言っている〈他者〉の問題です。
他者とは主体にとって常に自分が捉えた他者である〈わたしのなかの他者〉のことです。
自分が〈わたしのなかの他者〉に閉じられていることを認めると、
「了解不能の《他者》」と向き合っている、
私という主体の外部の〈他者〉そのものと向き合っていることに気付きます。
謂わば大宇宙、大宇宙の一端が自分、ここは「私」は「私」でありながら、
「私」ではありません。この不条理との遭遇を果たします。

思うに、村上春樹もこれに気付き、小説を書き始めました。

以下、朴木の会からのお知らせを掲載します。


3月18日(土)に、田中実文学講座を開きます。

 今回のテーマは「近代小説の未来Ⅲ」です。
 はじめて方も歓迎します。大勢の皆さんのご参加をお待ちしています。

 ※下記時間は日本時間です。

講師 田中実先生(都留文科大学名誉教授)
日時 2023年3月18日(土)13:30~15:30
参加方法 zoomによるリモート
申込締切 2023年3月17日(金)19:00 まで

参加をご希望の方は、下記申込フォームから申し込んでください。
申し込まれた方には、締め切り時間後に折り返しメールでご案内します。

https://forms.office.com/r/p5VKidthCi
問い合わせ:dai3kou.bungaku.kyouiku@gmail.com

主催 朴木(ほおのき)の会